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カテゴリー「データ制作」の記事は以下のとおりです。

住宅の建築様式2

 前回に引き続き、今回もまた建物と地域性のお話です。「おいおい、鉄道の話は無いのかよ?」というお声もあろうとは思いますが、まぁそう言わずにお付き合い下さいませ。 ファイル 13-1.jpg  今回新たに追加したのは「本棟造」という様式の大柄な民家です。南信地方独自の建築様式ですので他の地域にお住いの方は見慣れないことと思いますが、信州をイメージさせる建築のため蕎麦屋の大型チェーン店などでこの様式、またはそれを模した造りをご覧になっているかもしれませんね。  おおまかな特徴としては左の画像のように平屋+屋根裏部屋、妻入り(妻側に入り口がある)で勾配の緩やかな切妻屋根、平側と妻側の長さが同じくらいか、むしろ妻側の方が長いなど。専門家や地元の方に言わせれば他にも細かい定義付けが諸説あるようですが、生憎こちらは余所者かつド素人。先に挙げた程度の特徴を持っているモノは亜流や末裔も含めて本棟造りにカテゴライズしてしまいましょう。  前回の記事で建築様式における格式の話をしましたが、この地域では例外的に本棟造りが最上級とされていたようです。中でも立派なものには“雀おどし”と呼ばれる棟飾りが設けられていますが、今回のストラクチャでは汎用性の高い、「ちょっと立派な農家」クラスに仕立てたかったので省略しています。屋根は建築当初は石を載せて押さえた板葺きだったものを、後から新建材で葺き替えたという設定で、それ以外は原型をよく保ったスタイルに仕上げました。 ファイル 13-2.jpg  もう1点、こちらは形状こそ似ているものの年代が下り、格式の点からも本棟造りに分類するのはチト無理があるような外観ですが、本棟造りの流れを汲んだ近代住宅と解釈して良いでしょうか。外壁は安っぽいトタンの腰板で、屋根周りの装飾を一切廃した実用重視の造り。窓配置から察するに、近代住宅とさほど相違ない間取り。屋根の角度が上のモノと比べて少し深いのは、最初から瓦葺きとした屋根重量を逃がすためと、屋根裏部屋の有効スペースを大きく取るためでしょう。元々屋根裏部屋は養蚕(絹糸の原料ね)産業に使用することが多かったのですが、それが衰退した後は部屋として、物置として使われるよう時代とともに変化しています。  ちなみに軒下に収納されている材木は、収穫した稲を干すときに組んで柱にする“ハザ木”。農村部で見かけた方も多いと思いますが、コレがあるということは稲作農家ということになります。 ファイル 13-3.jpg  七久保~伊那本郷間に配置していたストラクチャのうちいくつかを新作に置き換えました。種類が増えたことでより自然に、そして地域独自の建築様式を取り入れたことで、より伊那谷らしい風景に近付けたかな? と思います。  冒頭にもおことわりを書きましたが、運転シミュレータでは添え物にすぎない建物に大きな労力を割いているのは、ひとえにご当地感を演出するため。実際の路線に乗ったことが無い方がプレイされたとしても、「あぁ、いま自分は飯田線を運転しているんだな~」という気分が自然に湧いてくるような、そんな路線データに仕上げるための重要な要素の一つが建築様式なのです。  以前にも単線で列車密度が低い地方路線は風景無しで面白味を出すのが難しいと書きましたが、かといって何でもいいからと適当にあり合わせの風景を付けただけでは、どこの路線をプレイしても同じような感想しか抱けません。九州には九州の、北海道には北海道の、そして信州には信州の景色を付けてこそ、製作時間の増加やデータの重量化というデメリットを抱えてまで風景を付ける価値が出てくるのではないでしょうか。  また実在路線に限らず、BVE界の中で度々その是非が問われる架空路線にしても、そうした地域性の表現などができれば「いかにもありそうな」架空鉄道として、ある程度リアル派にも受け入れられるモノが出来るんじゃないかと思いますが、どうでしょうか?

住宅の建築様式

 これまでの区間に比べると住宅の多い小町屋~駒ヶ根間に風景を付けていると、やはり圧倒的にストラクチャが不足していることを痛感させられます。動画「その4」で紹介した数+そのバリエーション違いだけで自然な街並みを表現するのは不可能ですね。そもそも種類はあっても似通った色合いの物が数点あったり、バリエーション違いと言えば聞こえは良いものの、屋根の色が違うだけとか差し掛け屋根の有無だけとか、実のところ手を抜いて数だけ揃えたようなストラクチャも結構ありましたので、根本的に種類を増やす必要があると判断しました。 ファイル 12-1.jpg  切妻、入母屋造りのストラクチャはこれまでいくつか作ってきましたが、寄棟造りのモノは一棟もありませんでしたので新規に製作しました。この寄棟造りの住宅、実際に伊那谷へ行ってみると結構な比率で建っているのですが、これまでストラクチャを作っていなかったのは、産れも育ちも関西の私には普段から目にすることの少ない、馴染みの薄い様式だったからです。 ファイル 12-2.jpg  和建築の様式としては入母屋>切妻>寄棟の順で格式が高いとされていますが、機能的な違いとして、破風を持たない寄棟は通気性に劣るため、湿気の多い関西には適さないのかもしれません。逆に寒暖の差が激しい伊那谷には適していると言え、格式云々よりも適材適所といったところでしょうか。まぁ、関西は京都や奈良といった古都があるため格式を重んじるというか、見栄を張っている側面もあるとは思いますが? 真相はどうでしょう。  伊那谷は大田切を境に関東文化圏と関西文化圏に分かれるなんて言われますが、そう明白な境界線があるわけでは無いので周辺の建築様式にしても東西チャンポン、関西とほぼ同じ様式の入母屋、切妻の建物も多く、見られないのは虫籠窓や紅殻格子を持った町屋造りくらいでしょうか。というわけで、切妻の民家も新規に二種類製作しました。 ファイル 12-3.jpg 以前より使っていた切妻民家のストラクチャとは少しスタイルを変え、一階、二階の妻壁を面イチにして、間に差し掛け屋根を挟まない形態にしましたが、むしろこちらの方が一般的かもしれません。  純木造のイメージで作った過去作との差別化を図るため、外装にモルタルやトタンを使った、少し年代の下るモノに仕立ててみました。テクスチャのクオリティも過去作が新作ストラクチャに比べて陳腐化してきましたので、より写実的にしています。これまで使い回してばかりだった瓦のテクスチャも今回より一新し、全体的な質感の向上に概ね満足しています。 ファイル 12-4.jpg  既にお気付きのこととは思いますが、寄棟二点、切妻二点、それぞれcsvファイルの基本構造は同一で、テクスチャと小物類の配置、一部の寸法を変えて違いを出しているだけです。さすがに隣に並べて配置すればバレバレでしょうが、間に他の建物を挟むだけで同一形状とは分からなくなるくらい異なるイメージに仕上がっています。同じ形の建物が山ほどあるのは考えものですが、棟瓦や鬼瓦といった屋根周りの立体化に手間のかかる日本家屋は、ある程度csvデータの使い回しをしないと勿体ないですね。時には手抜きも必要です。  あとはもう少し複雑な形状の入母屋の民家数点と、90年代半ばとなれば輸入建材の近代住宅も建ち始めていますから、そういったモノもいくつか用意したいところですね。 ■リレーボックスの作り分け ファイル 12-5.jpg  話は変わりまして、踏切や信号機の近くに配置されているリレーボックス、いわゆる器具箱を数種類に作り分けました。これまでは「それっぽいもの」を汎用として配置していましたが、周辺ストラクチャの作り込みレベルやテクスチャ解像度が上がってくると、相対して違和感を感じるようになってきたので、キチンと作り分ける必要が出てきたのです。  飯田線に使用されているボックスはほとんどが遮熱板の付いたタイプですが、これは直射日光による庫内の温度上昇を避けるためと、積雪時の結露防止でしょうか。この構造は見る度に戦艦大和の副砲塔を連想してしまいます。それはそうと、この二重構造を実際に再現するか迷いましたが、結局タダの箱組みに隙間を黒く表現したテクスチャで簡単に仕上げました。あと2~3点、形状の違う物が必要なのですが、そのあたりは追々・・・。  リレーボックスにしろ先ほどの住宅にしろ、3DCGに限った話ではありませんが、こういった現実をベースにした創作物におけるリアリティは、全体のバランスがとても重要。一カ所だけを突出してリアルに再現すると逆に他の部分が安っぽく見えてしまい、結果的に全体の見栄えを低下させてしまうのです。また、リアルにすればするほど誤魔化しが効かなくなり、どこまでも細分化、作り込みをしなくてはならないスパイラルに陥ります。  例えば、ストラクチャが簡単な箱状のオブジェクトに解像度の低いテクスチャを貼り付けた「建物のようなモノ」であれば、住宅にも倉庫にも工場にも使うことが出来るわけですが、その箱ストラクチャに「明らかに住宅に見える」鮮明なテクスチャを貼ることで、それは住宅にしか使えなくなってしまい、更にその住宅が木造であると判別できるなら、木造の住宅としてしか使えなくなります。ということは、住宅、商店、工場といった建物の種類の違い、そしてそれぞれに木造、土壁、モルタル、コンクリートなど建材の違い、更にそれぞれ色や建てられた年代の違いなど、各々数パターンを用意するとなれば、必要なストラクチャの数はネズミ算式に増えてしまうわけですね。  現実的に考えて沿線風景の全てをそのままリアルに作るのは不可能ですが、少なくとも「嘘を嘘と感じさせない」程度のリアリティを持たせるなら、画面一瞬の中に同じ建物が二つと無いくらい豊富な種類のストラクチャを用意する、それくらいの勢いで製作に挑む必要がありそうです。 ■駒ヶ根駅周辺 ファイル 12-6.jpg  最後に駒ヶ根の進捗状況をご報告。前回の画像と比較すれば、旧伊那電支社ビルやアンテナ鉄塔から位置関係がお分かりいただけると思いますが、駒ヶ根駅へのアプローチがそれらしくなってきました。これまでほとんど見られなかったビル建築がチラホラと出現して、一気に賑やかな感じになりました。  ストラクチャは専用品と汎用品が五分五分といったところで、駅に近付くほど専用品の割合が増えています。先述の踏切器具箱も早速配置してみましたが、やはり専用品を作ると説得力が増しますね。ちなみに右手のカマボコ屋根の建物は建て替えられて現存せず、今はJAの「虹のホール」という立派な施設になっています。地方の農協は強いなぁ・・・。  細々ながらも日々ストラクチャを増産したおかげで遠目にはなんとか市街地らしくなってきましたが、それでも汎用品を用いた前方左側の商店街が実際のイメージと違いすぎていることや、駅前ロータリーの再現は未着手であるなど、完成と言えるまでには程遠い状態です。今月末には詳細な画像をお見せできるくらいになっていれば・・・と思っていますが、テクスチャの材料が根本的に不足しているところもあるので微妙ですね。作り込めば作り込むほど伊那谷へ再取材に行きたくなりますが、万年金欠病の私としては18きっぷシーズンを待たざるを得ないのが悲しいところです。

まだまだ駒ヶ根駅

ファイル 11-1.jpg  忙しい日や疲れている日は製作がはかどらないものですが、たとえ倉庫1棟だけでもいいから毎日少しずつデータを作るようにしています。そうこうしているうちに、週末分と合わせるとソレナリに進展があるもので、駅構内に関してはかなり「駒ヶ根らしさ」が出てきたと思います。曖昧な表現ですが「らしさ」というのは重要な要素で、当時を知るファンの方や実家が周辺にある方などに懐かしさを感じていただけるようなモノに仕上げられたら、と思っています。  レンガとコンクリートのビルは伊那電時代の旧赤穂支社ビルで、本社は東京にありましたが実質の本社機能はこちらにあったようです。ビルはJR移行後も残っていましたが、残念ながら98年に解体されてしまいました。  明治の鉄道施設には東京駅に代表されるような欧州色の濃い建築物が多かったわけですが、大正時代に入ると米国寄りのモダニズム建築が流行したようですね。シカゴ派といいますか、均整の取れたスタイルに装飾を極力省いた質実剛健な造り、しかしレンガをアクセントに使ってさりげない色気を出しています。華麗ではないけど無味乾燥とした量産品でもない、個人的には非常に好ましいスタイルの建築物と思っています。欧風から米風へ、第一次世界大戦後の世界における勢力図の変化が、こんなところからも読み取れそうですね。  ビル背後のアンテナ鉄塔は高圧鉄塔を簡単に改造しただけの仮のモノ。鉄骨の組み方が違うのを作り直すかどうか、あとパラボラアンテナ直下の作業台に手すりや支持サポートを取り付けてゴチャゴチャ感を出したいと考えています。 ファイル 11-2.jpg  先日から両開き分岐器、いわゆるYポイントを作らないと上りホームの形状や電留線の正確な再現ができないと書いてきましたが、文章だけではイメージしにくいと思われるので画像を交えて考察していきます。  現在の構内配線は既に完成している8番片開き分岐器を使用しての仮配置で、画像中に赤線で示したのが本来あるべき配線です。手前から2番目のポイントを両開きにすることで、限られた敷地にできるだけ長い有効長のホームや電留線を確保しているのがよく分かります。同時に分岐角やホーム幅確保の関係で、結果的に3番線ホーム(119系のいるところ)が湾曲するというのもお分かりいただけると思います。また旧支社ビル前の安全側線ですが、アレはかつて豊橋方に存在した貨物側線の成れの果てですから、延長部が本線右手の空き地に接続しないと辻褄が合いません(点線部)。  分岐器ひとつ変えるだけでホーム形状、電留線有効長、安全側線の位置関係すべてに納得ができ、周囲の風景との位置関係も自然なものになるでしょう。しかし逆に言えば、ちょっとした配線のミスが全体の正確性を損なう可能性もあるわけで、限られた資料で路線データを製作することの怖さでもありますね。  ・・・と、これだけ書いておきながら、分岐器のストラクチャにはまだ手を付けていません。しばらく気合い充電中なのです。 ファイル 11-3.jpg  先日の更新ではホーム側の壁面1枚しかできていなかった駅舎も、手前部分を作り込んで完成に近付きました。豊橋方は壁や屋根が複雑に入り組んでいて、作っていて楽しくも大変なところです。ホーム長・位置を算出する時に、計算上は周辺にあるはずの165.8キロポストを基準にしようと取材時の写真素材を探したのですが標識を見付けられず、4両有効長+αをだいたいの勘で割り出して寸法を決めることになってしまいました。原則としてキロポストは下り方向の左手、一部の複線区間では上下線の中間部に植えられていますので見失うことはあまり無いのですが、後日写真を整理しているとこんなところに! そりゃないよ。  不幸中の幸いだったのが、路線データの165.8キロ位置と、キロポストがあるべき風景の位置のズレがわずか3mだったこと。読みが大きく外れてはいなかったわけで、「考証派」というよりは「雰囲気派」の私にしては上出来ではないかと安心しました。もちろん構内踏切・トイレ周辺の寸法を修正して、 165.8キロぴったりの位置に植えました。 ファイル 11-5.jpg  ホーム手前は色んな建物が並んでいて地味に時間のかかるところです。一部の建物は既に解体されてありませんし、手前のプレハブ倉庫が建っている場所は現在駐車場になっていますが、旧支社ビルの取り壊しと同時期に工事したのではないかと判断し、保線資材などが野積みされている時代を再現しました。  右手奥に見えるスレート造りの倉庫はかなり古そうでしたので当時からあった物と思いますが、さらにその奥の保線詰所(ほとんど見えませんが)はいつ建設されたのか自信がありません。これに限らず当時の写真に写っていない建物類は建築様式と汚れ具合などで95年前後に存在したか否かを判断していますが、微妙なラインにあるものは判断に苦しみます。また外装がリフォームされていると判断できず、取材時にも写真を撮り逃した物が結構あります。駅前のビル群もそういった判断ミスから撮り逃した物がいくつかあり、夏の青春18きっぷシーズンになったら駒ヶ根を再訪しようと思います。 ファイル 11-6.jpg  BVE4ではストラクチャが600m先で画面上に現れるとき、データが重すぎると一瞬カクッとフレームが落ちることがありましたので、できるだけオブジェクトを小分けにして位置をずらして配置するなど工夫が必要でしたが、BVE5では重量級データでも特に問題なく描画してくれます。  プログラム構造の違いなのか、単純にGPU依存になって処理能力に余裕が出来たのかは分かりませんが、駅周辺の専用ストラクチャについてはひとまとめにして1つのファイルに纏めてしまうことも可能になったわけです。  画像は駒ヶ根駅構内のメインストラクチャで、これ全部で1つのストラクチャデータです。これ以外に旧支社ビルと前回解説しました上りホームの上屋を並べれば旅客駅部分の完成となります。一部バラストまで一体化していますが、これはcrack構文を使うと横に伸びすぎてテクスチャがおかしくなる、間隔の広い部分です。 ファイル 11-7.jpg  1つに纏めるメリットとしては、路線データ上での配置が簡単・シンプルというのもありますが、テクスチャの重複読み込みを少しでも減らそう、というのが主目的です。例えば、下りホームと上りホームの石積みに同じテクスチャを使用していると仮定して、上下ホームを別々のファイルで造れば最低2回は同じテクスチャを読み込むことになりますが、1つのファイル、かつ1つのCreateMeshBuilderで上下ホームを造れば、テクスチャの読み込みは1回で済むことになります。  通常のデータならここまですることも無いとは思いますが、専用ストラクチャをふんだんに使った長大路線、しかもできるだけ高解像度のテクスチャを使って・・・という路線を作る場合、好き放題に作っていたのではいつか実行時のメモリ使用量が限界に達して起動しなくなってしまいます。旧作ストラクチャの効率化改良も並行して進めており、以前は1.8GB以上だったメモリ使用量を1.3GB程度にまでダイエットさせました。BVE5ネイティブで製作できるようになればカーブレール、カーブ築堤類が不要になるので1GBを切るのは確実と思われますが、逆に新規部分を1駅延伸させる毎に必要なメモリ量は着実に増えていきますから、将来延伸させるつもりがある路線データなら神経質なまでの節約をしておくべきでしょう。 ※必要なメモリ使用量が2GBだったとして、物理メモリを2GB以上積んだパソコンでないと動かない、というわけではありません(実際にはOSや常駐ソフトが既に多くのメモリを消費しているのですが、話が複雑になるのでここでは割愛)。物理メモリに収まりきらないデータについてはOSが自動的にスワップファイルなるモノをハードディスク上に作成し、それを「仮想メモリ」として使用しています。ただし、シリコン製のメモリに比べるとハードディスクの読み書き速度は非常に遅いため、いくらでも増やして良いというものでもありません。品質に影響が無い範囲で、削れるものは可能な限り削っておくべきでしょう。

駒ヶ根駅

ファイル 10-1.jpg  いつになく急ピッチですが、駒ヶ根駅が形になってきましたのでご報告。  先日更新した後も駒ヶ根まで何度か通して試運転をしていたのですが、とりあえずとはいえ終着駅で駅舎すら無いのはどうかと思い、突貫工事で作りました。この年代の建築物への愛の無さ故か、駅舎部分はテクスチャ1枚の板切れ状態です。ホーム幅が広く壁面が奥まっているのでテクスチャ解像度も比較的低めに設定しました。そのぶんホーム屋根は鉄骨類を立体的に組み合わせて再現しましたので、多少簡略化している部分はあるものの実物の雰囲気をかなり忠実に捉えていると思います。あとは看板やベンチなどの小物を設置してやればホーム側は完成ですね。 ファイル 10-2.jpg  対して手間のかかったのが、かねてから話題に出していた上りホームの木造上屋。健在当時の鮮明な写真は少ないので、構造が似ているというか同一設計と言っても良いであろう伊那市駅のモノを参考に作りました。実は去年の現地取材の時点ではこの上屋が取り壊されている事を知らず、伊那電時代の旧駅名「あかほ」の文字がうっすら浮き出て読めるという駅名標を見るのがとても楽しみでした。なので真新しくも素っ気ない鉄製の上屋を見た時のショックときたら・・・。維持補修と新築のコストバランスの問題、日常的に利用されている方にとっては「綺麗になって良い」という意見もあるでしょうから、一方的にJR 東海の姿勢を批難するのはどうかと思いますが、しかし歴史的価値を考えれば勿体ないと思わざるを得ません。というわけで、せめて画面の中だけでも存続を。 ファイル 10-3.jpg  屋根を支える骨組みは以前より再現してみたかったところ。運転時にどれだけ見えるかを考えると自己満足にしかならないのですが、やはり複雑な幾何学的構造物は美しいですね。  各部の陰影を考えてテクスチャを作っていますが、縦横だけではなく「斜め」という要素が加わると、どこが明るくてどこが影になるのか、とたんに難しくなります。Photoshopとテキストエディタ、ObjectViewrを同時起動して行ったり来たり、何度も試行錯誤を重ねて納得のいく立体感を出していきます。  余談ですが右端の標識は「ジスコン」。一般的には電気回路の断路器を指しますが、この場合はパンタグラフを人力で上げ下げする「ジスコン棒」の収納場所でしょうか。決して姉とか妹が好きな人達は関係ありませんのでお間違えなきよう。 ファイル 10-4.jpg  今回の上屋製作ではいままでとは違う手法で手抜きをしてみました。同じ構造が複数回連続する柱の骨組みを作る時、コピペ&Translate構文を使えば楽に複製できますが、テクスチャの重複読み込みが発生するためメモリ使用量の点から考えると褒められたものではありません。かといってひとつの CreateMeshBuilderで組むには頂点数が多すぎて作業が大変(あんまり頭が良くないのでCreateMeshBuilder内の頂点数が3桁を超えると製作ペースがガタ落ちなのです)。  「出来るだけリソースを無駄食いせずに楽をしたい」ということで、オブジェクトを3つに分割して路線データ側で並べるようにしてみました。画像中に赤丸1番で示したのが妻板の付いた一番手前のパーツ。2番は複数回使用する中間部の柱・骨組み、そして3番は一番奥の柱・妻板と、屋根や待合室を一体にした物です。それぞれ柱の位置がZ値0mで、これらを路線データ上で1,2,2,2,2,3と5m間隔で並べると一つの上屋になるという按配です。  これならテクスチャの重複も最小限かつ小さいサイズのものだけで済みますし、製作時間も一纏めにした場合と比べると3割程度で済みます。プレイヤー兼データ作者の方がソースを見れば「汚いデータだなぁ」と思われるかもしれませんが、一個人が長大路線を完成させるには表面上のクオリティに影響の無い手抜きはやむを得ず、ご理解いただければ幸いです。

東へ西へ

ファイル 9-1.jpg  前回「駒ヶ根まで線路を引いた」と書きましたが、大まかな形状でホームを配置し、いくつかの専用ストラクチャも製作しました。119系電車が停車中の3 番線は本来カーブしているのですが、それを再現するには手前から2つめの分岐器を両開きにしなければなりません。ストラクチャが完成したらホームの形状も改めることにします。右側に展開する電留線、材料線の再現もその時に。解体された木造上屋は伊那市駅の上りホームにほとんど同じ構造の物が現存しているので、そちらを参考&テクスチャ材料にする予定です。  手前右手のプレハブ建物はJA(農協)の施設の一部と思われますが、形状が印象的かつ同じ物が複数並んでいますので専用ストラクチャで再現しました。正面前方の商店は停車中は視野に入りっぱなしになるため、実物の写真よりテクスチャを起こして専用品にしています。このあたりは他にも必要な専用ストラクチャが多数有り、駒ヶ根周辺の完成にはかなりの時間がかかりそうです  ここで少し閑話休題。たかだか運転シミュレータの路線データにドラマだ、物語だ、なんて言うと少し大袈裟かもしれませんが、そういった「流れ」のようなものを演出できたらなぁ・・・、とは常に思っています。飯田線は南部の急峻な山岳鉄道、北部はアルプスの麓をゆったり走る高原鉄道という二つの顔を持っていますが、七久保駅周辺は後者のクライマックスのひとつと言っても過言では無いでしょう。七“久保”(転じて窪)なんて地名とは裏腹に、七久保駅は前後を 25‰の急勾配で挟まれた高地の駅。モーター音も高らかに勾配を上り詰め、油槽所と交換設備のある主要駅から前方に望むは雄大な中央アルプス、なかなかドラマチックな展開ではないですか。  gaku氏制作のBVE飯田線はこの七久保から鉄道ファンなら外すことの出来ない二つのΩカーブを超え、伊那から果ては辰野、そして中央線の岡谷まで到達するという、遠大ながらもツボを押さえた素晴らしい作品です。ただ、大変不躾ながらも惜しまれるのは、クライマックスたる七久保へ至る過程が存在しないため、高原列車としての表情やワクワク感が足りないようにも感じるのです。 ファイル 9-2.jpg  というわけで路線データに話を戻しまして、気まぐれで2つ手前の大沢信号場→高遠原→七久保間を逆延伸しました。線路まわりはほぼ完成し、山林や田畑といった大まかな風景も付けました。実のところ、この区間は建物も少なく、ほとんど手持ちのストラクチャのみで再現可能だったというのも延伸に手を付けた理由のひとつです。  まだグリーンマット状態のところもありますが、このあたりは果樹園が多く、そのストラクチャが未完成のため空白になっています。初夏になったら林檎の木を探して写真を撮らなくてはなりません。また実際の景色もグリーンマット(田畑ではなくただの荒れ地とか)な部分がありますが、いわゆるグリーンマットではなく、荒れた緑地をどうやってリアルに表現するかが難しいところです。もうひとつ、この信号場の複線間隔は実際かなり広いのですが、それにしても現状のデータは広すぎですね。これは分岐器に8番を使っているためで、10番のストラクチャが完成したら置き換えて間隔も詰めます。  また話が少し脱線しますが、大沢信号場は1966年に輸送力増強のために列車交換を目的として新設されましたが、周辺で交換可能な駅は辰野方の次々駅が七久保、そして豊橋方も次々駅で上片桐。つまりたった4駅間、停車時間も含めた所要時間にして10分弱の区間の列車密度を上げるために建設されたわけです。諸行無常とはよく言ったものですが、飯田線の現状からすれば考えられない当時の盛況っぷりに驚きを禁じ得ません。 ファイル 9-3.jpg  七久保のひとつ手前の高遠原駅はホーム、待合室、トイレを作りましたので、現状でも割と見れるレベルになっています。ただし、95年当時の待合室は改装前で窓配置や窓枠形状に差異があるので、テクスチャを加工しなくてはなりません。  この高遠原駅、県道から折れて細い農道のような道を降りていくと突き当たりに現れるのですが、車を切り返すスペースが駅前に無く、途中までバックで戻るハメになりました。ほとんど歩行者専用の駅なのですね。少し歩くと県道沿いの集落に出るので所謂「秘境駅」ではありませんが、逆にそのような悪くはない立地なのに人々から忘れ去られたような不思議な駅です。  右手は既に撤去されている作業側線。ちゃんと再現するなら乗越え分岐器のストラクチャを作らなくてはなりません。さらにその右手はこちらも再現に困るリアルグリーンマット。伊那電開業時は栄えたといわれる高遠原ですが、このあたりの荒れ地に駅前商店街が存在したのでしょうか? まとまった時間が取れたら周辺の図書館を巡って郷土史でも読んでみたいものです。 ファイル 9-4.jpg  この区間の再現で一番手間がかかるのは七久保駅です。というのも、元々停止位置よりも後方は一切作っていませんので、油槽所はおろか駅舎すらありません。また飯島同様、豊橋方に構内踏切のあるタイプのホームですからチョット面倒ですね。  そしてその油槽所。貨物廃止後の早い時期に解体されて資料が少なく、再現に手こずりそうです。今は大まかな寸法の土台部分と、cylinder構文で簡単に作ったタンクを並べて、各施設の配置やサイズを検討しているところです。当時の施設配置略図や前面展望ビデオのジョイント音から割り出した敷地の長さ、現在の地図上の空白地帯のサイズなどを加味してだいたいのサイズを割り出していきますが、最終的には実際に配置してみて違和感が無いことが重要です。  テクスチャの材料についても手持ちで使えそうなものがありませんので、コンビナートなどで似た雰囲気のモノを写真に納めて来なくては・・・。  逆延伸は辰野か岡谷まで完成してから・・と思っていたのですが、イキナリ気まぐれでやってしまいました。しかし七久保へ駆け上る高揚感も感じられるようになりましたし、大沢での列車交換を待って再出発・・・というキリの良さも適当かと思います。辰野方は現在工事中の駒ヶ根を一応の区切りとして、大沢~駒ヶ根を完成させて第一期版の配布にしたいと思います(ただし、BVE5の機能が最低限出そろってから&そこそこマトモな車両データを自作で完成させるか、どなたかに作っていただくか・・・、この二点が解決してからですが)。  運用、イメージの両方から考えて駒ヶ根から先でキリの良い駅となると伊那市までありませんし、逆に豊橋方は上片桐や伊那大島、元善光寺も大きな駅ですが路線データの起点としては役者不足で、結局飯田までは適切な駅が無いかと思われます。いずれも現在できている区間からは駅数も多く、第二期版の完成までは更に年単位の時間がかかることでしょう。

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