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カテゴリー「取材」の記事は以下のとおりです。

たまには虫でも食べてみませんか?


20151123204657.jpg 決まった区間を同じ季節に何度も何度も取材していると、いくら素晴らしい沿線風景でも旅行気分は無くなり「出張」感覚になってしまいます。そうしたマンネリ化をいかに抑えるか?という話を作者同士でもよくしますが、やはり沿線の温泉と食事は外せません。特に食事は「この店の○○が美味い」といった隠れた名店から「この地域でしか食べられない」いわゆるご当地グルメもあり、一日中取材で歩き疲れた体には何とも食欲のそそられる話です。

 ソースかつ丼やローメンといった伊那谷のご当地(B級)グルメはこれまでも触れましたが、今回はちょっと毛色の違う伊那谷を代表するご当地グルメ、その名も「昆虫食」をご紹介しましょう。

 

■イナゴ

20151123154247.jpg まずは入門編、「イナゴ」の佃煮から。全国広く昔から食べられていたのでイナゴと呼べば食べ物っぽいですが、要するにバッタ。稲に付く害虫でもあることから水田のある地域で大量に駆除・捕獲されるわけですが、タンパク源に乏しい内陸部では割と普通に食されていました。私の住む大阪府下でも半世紀くらい前なら山間部の農村地帯で摂って食べたという話をよく聞きます。

 山岳路線のイメージがある飯田線ですが、飯田以北は広い河岸段丘を活かした水田地帯をのんびり走るため、沿線では広範囲でイナゴを食すことができます。味付けは大抵が砂糖・醤油で佃煮にしたもの。自宅で調理される方からは素揚げが美味いという話も聞いたことがありますが、店頭で見たことはありません。

20151123205939.jpg 見た目と味はまんま小エビの佃煮。見ようによってはグロテスクかもしれませんが、エビだって「食べ物」だと認識しているから平気なだけで冷静に見るとなかなかグロいモノ。殻の食感、上アゴに刺さる脚の不快感もエビそのものです。味の癖も無いのでご飯のお供に、酒の肴に普通にアリです。

 

■蜂の子

20151123154248.jpg 少しハードルは上がりますが、こちらも比較的全国広い地域で食される蜂の子。蜂と言っても色々ありますが主にクロスズメバチの幼虫を佃煮にしていただきます。

 クロスズメバチは地中に巣を作る土蜂なので、まず巣を探し出して狩る必要があります。その方法は成虫に綿を取り付けて追跡するという危険かつ原始的なもの。安全のために駆除したハチの巣から蜜を採るのとは事情が異なりますね。古くはやはり内陸部の貴重なタンパク源として、近代になってからは高級珍味として、また健康食品や精力剤といった側面もあり、ビジネスとして成立しているからこそ、手間と危険を冒してまで採る価値があるのでしょう。

20151123205938.jpg 見た目が蛆虫そのものなのがちょっとアレ…ですが、まぁサイズが10~15mm程度と小さく、味は少々癖のある煮豆といった感じなので比較的抵抗なく食べられるのではないかと思います。

 余談ですが小鉢を平らげた後で周囲の人から「テンション高くない?」とか言われましたので、やはり元気になる効果があるのかもしれません。

 

■ざざむし

20151123154249.jpg さてここからちょっとハードになりますよ、食感と見た目が。ザザムシというのは虫の名前ではなく、カワゲラやトビケラといった水生生物の幼虫を食用として調理した時の総称、言ってみればお料理の名前ですね。

 このざざむしは昆虫食の中でも天竜川流域、その中でも伊那市周辺の極々限られた地域でしか食べることのできない、まさにご当地グルメ。

 漁業としては「ざざ虫踏み」と呼ばれる手法で効率よく採られていますが、漁協で管理されており許可が必要です。水の綺麗な河原でしか採れないため、水質の変化や護岸工事の影響で取れ高は減少、土産店や居酒屋でも目にする機会が減っている貴重なもので、値段も高く「高級珍味」として扱われています。

20151123205940.jpg 成虫は細長い蛾といった風貌のトビケラですが、食べるのはその幼虫。河原の石をひっくり返すと細長く節のある芋虫状の幼虫が張り付いているとのこと。調理は相変わらず砂糖醤油の佃煮ですが(結局なんでも濃い味にしないと食えないんじゃないかという疑惑が…)、ジャリっとした硬い食感と独特の苦みがあり好き嫌いが分かれそうです。何かに例えるのは難しいですが、強いて言えば癖のある煮干しの甘露煮でしょうか?

 

■蚕蛾のサナギ

20151123154246.jpg 蚕蛾。おかいこ様。その成虫の風貌は愛らしく、繭からは美しい絹糸が紡がれる蚕ですが…なんだかんだ言っても「ガ」です。サナギは見た目まんま幼虫、それでもってサイズは小指ほどになるのでかなり迫力があって…グロい。国内昆虫食としてはラスボス級です。

 蚕蛾というのは実は結構儚い生き物で、そもそもは生糸を採るため人の手によって生み出されました。成虫は羽も口も退化してしまい、たとえ野に放っても捕食されるか落ちて死ぬか、野生では生きることのできない品種なのです。

 絹糸はこの蚕蛾が成虫になる前の段階、サナギが作った繭をサナギごと茹でてほぐれたところを紡ぎあわせて糸にするのですが、中のサナギは当然熱で死んでしまいます。この残ったサナギは大抵飼料として再利用されるのですが、伊那谷や群馬県の一部などで食用としたのがこのサナギです。

 こうして書いてみると人間の業の深さというか、美と金を追求する裏にこんな犠牲があったのか…などと思ってしまいますが、見た目はともかくそういう悲しい生き物の命をありがたくいただきましょう。

20151123154250.jpg グニッとした食感に微妙な粉っぽさ、何とも言えぬエグ味と匂い。正直なところ個人的にはさほど美味いとも思えず…、タンパク不足を補う補助食品的な立ち位置以上にはなれない気がします。そもそも養蚕が盛んだった時期は「廃品」としてサナギが大量に発生したので原価も安かったわけです。今となっては「高級珍味」といった肩書も見受けられますが実際の価格はかなり安く、そういう触れ込みにすることによってビジネスを維持している、とうのが実情ではないかと思います。

 ちなみにサナギになってからの時期によって食感が違い、上記のものは時間の経った成虫に近いモノ、逆にサナギになりたてのものは比較的柔らかく、若干クリーミーな感じがします。

 

 以上紹介しましたイナゴ・蜂の子・ざざむし・サナギ。日本全国探しても4種類もの昆虫を一度に味わえる地域は南信州の伊那谷だけなのです。道の駅の物産コーナーや駅前の土産物店はもちろんのこと、居酒屋、なんとそのへんのスーパーにすら昆虫食が売られていますので、飯田線で旅行された際は是非とも伊那市、駒ヶ根市あたりでお試しください。

入舟トワイライトゾーン

 飯田線には8月の半ばに乗ったばかりですが、先日東京で開催されたBVEオフ会に参加したついでにまたもや乗車。沿線で一泊して伊那市~伊那北を重点的に取材してきましたが、中でも中間地点の入舟はなかなか興味をそそられる地域でした。 ■入舟すてーしょん ファイル 86-1.jpg  伊那市駅と伊那北駅の間を流れる小沢川が天竜川に合流するあたりの地域を入舟と呼び、その名の通りかつては天竜川の船着き場として栄えた街です。舟の時代から鉄道の時代に移ろってからも入舟の繁栄は続き、沿線随一の建築物密集地帯に。飲み屋街が線路ギリギリまで迫り出す様から「路地裏電車」などと呼ばれるほどになりました。 ファイル 86-2.jpg  現在は踏切名に名残を留めるだけですが、伊那電時代はここに「入舟駅」がありました。戦時中の国有化に伴い廃駅となりましたが、70年近く経った今でもプラットホームの遺構が残されています。  しかし現在の伊那市~伊那北間ですら駅間距離はわずか900m。かつてはその間にもう一駅あったとは驚きです。そうした駅過密状態も廃止の大きな理由でしょうが、戦時下としては周囲が歓楽街であった事の方が問題だったのかもしれませんね。 ■デタラメな縦曲線 ファイル 86-3.jpg  入舟踏切の手前、伊那市寄りには小沢川の堤防を越えるための急勾配がありますが、ここの線形は常識で考えると随分と無茶苦茶です。  小沢川にかかる橋は水平、そこから33.0‰で下りますが、普通鉄道構造規則の通りに計算すると、少なくとも100m程の縦曲線長が必要になります。しかし写真から読み取る限りせいぜい20mほど。まるでプラレールの勾配レールのようにグンニャリと曲がっています・・・。  さらに勾配を下りきった踏切手前の縦曲線がヤバイ。まるでBVE2時代のストラクチャよろしく、線路がカクッと折れ曲がっているではありませんか。 ファイル 86-4.jpg  線路図や標識によると33.0‰から4.5‰への切り替えですので、勾配差は28.5‰と少しはマシですが・・・どう見ても5mに満たない縦曲線長。特に速度制限が設けられているわけでも無く、こんな線路に20m級電車を走らせて大丈夫なの!? なんて思ってしまいます。  余りに異様なのでもう少し冷静に、逆方向の伊那北側から少し離れて観察してみるとカラクリが見えてきます。 ファイル 86-5.jpg  なんと踏切の前後に勾配が分割されているというオチ。本当は根本的に線形を改良したいのだけど踏切があるためどうにも出来ない・・・といったところでしょうか。  まぁ五分五分に分割したところで、本来はそれぞれ40mほどの縦曲線が必要になりますから規格外もいいところ。甲乙丙の更に下、飯田線が特殊と言われるのも頷けます。  実質二つの勾配が連続してあるわけですが、資料でも標識でも一つとして扱われています。これが混乱する一因でもあるのですが、いい加減というか何というか、現地を見ないことには理解できない事が時々ありますね。 ファイル 86-6.jpg  BVE5のお陰でこうした変則的な線形も再現できるようになりましたので、早速データに反映してみました。運転台からの視点では分かりにくい勾配ですが挙動の異常さは明確に現れますから、BVE5.3で搭載された「運転士の頭の揺れ」を効かせていると“グラッ”とした大きな揺れを疑似体験できます。 ■やきとりオリンピック  電車を撮るでも無く線路際でカメラをポチポチやっているのは不思議なもんでしょう、取材中に声を掛けられることが幾度となくあります。  時には好意的に、時には怪訝な感じで「何を撮ってるの?」と訪ねられますが、たいてい「飯田線の線路から見える風景を全て撮り歩いている」「模型の製作や絵を描く資料として」といった具合に答えています。厳密に言えば事実と異なりますが、ご年配かつ専門外の方を相手にCGがどうの、シミュレータがどうのというのは理解されにくく無駄に話が長くなるだけ。嘘にならない程度に置き換えて話した方が丸く収まるというものです。もちろん隠すような話でもありませんので、先方が話に乗ってこられた時は「最終的にはコンピュータ上で立体化してですね・・・」といった流れで詳しく説明させていただくこともあります。  意外に思われるかもしれませんが、これまでお叱りを受けたり邪険にされたことはありません。中には気の遠くなる話に呆れ返る方もいらっしゃいますが、概ね沿線の皆様には良くしていただいています。 ファイル 86-7.jpg  この日、入舟踏切の近くで声を掛けて来られたのは一人の老婦人。幸い今回も好意的な印象で、線路沿いを撮り歩いている由を説明すると「ウチも線路のすぐ横なんだよ、もう撮ったかな? 今帰るとこだし付いといでよ!」てな具合でお誘いを受けまして、突然お宅にお邪魔することに。旧入舟駅から徒歩0分。外見はタダの民家ですが、一歩足を踏み入れると小さなカウンターに小さなテーブルが2つ、そしてこれまた小さな小上がりがあってまるで居酒屋のよう。なんでも数年前まで焼き鳥屋を営んでらしたそうです。  「にーちゃんお昼食べた?」昼食は抜いてしまおうと思っていたのですが、いなり寿司に秋刀魚の南蛮漬け、冷たいお茶まであれよあれよという間に出していただいて、有り難くご一緒させていただくことに。 ファイル 86-8.jpg  食べながら元店内を眺めていると、ホント窓のすぐ外に飯田線。ちょうど電車が通過して行きますが、余りに近すぎて213系の台車しか見えません。少し五月蠅いけど「時報だねぇ」と笑い合う穏やかなひととき。しかし貨物が走っていた時代はさぞかし・・・なんて、話題は絶えません。  写真と見紛うほど良く出来た布貼り絵をはじめ、あちこちに「オリンピック」の文字が目に付き何かと思えば、当時の屋号がオリンピック。長野の?と思ったら、戦争突入で幻に終わった昭和15年の東京オリンピックに肖ってのことだと仰る。戦前はレストランとして、焼き鳥屋は昭和30年からとお聞きし、歴史の深さに驚きっぱなし。戦前から三四半世紀、ずっとこの場所で商いを続けて来られたのですね。  小さな電車がトコトコ走っていた伊那電時代、大勢の男子学生を兵隊として入舟駅から送り出したこと、自らも学徒動員で陸軍の伊那飛行場(戦争末期、空襲の激化に備え熊谷陸軍飛行学校を疎開させることになった)建設に携わったこと、華やかだった昭和30~40年代・・・、尽きぬ話はまさに生き字引。  お歳を召したとは言え女性に年齢を聞くのも如何なものかと脳内で逆算してみると、だいたい80代半ばといったところでしょうか。隣を歩いた時は足腰を患ってらっしゃるようで甚だ心配でしたが、座って話し始めると元気溌剌。さすが客商売をされていただけあってテンポが良い。貴重な生のお話を存分に聞かせていただきました。 ファイル 86-9.jpg  店を閉じた後は場所を貸して欲しいとの声も絶たないようですが、頑なに断っているそうです。少し生活感は感じるものの、掃除は行き届いているし壁のカレンダーも今月のもの。入口の内側に掛けた暖簾は「夕方になったら出すんでしょ?」と思ってしまうくらい、半世紀以上にわたるお母さんの記憶とリズムが染みついた聖域なのです。  「私はいつでもココにいるから、また来た時は寄ってね」別れ際にそう言って下さいました。そうだなぁ、私もこの場所はこのままであって欲しい。次の取材時にはこちらの銘菓でも持って、また話し相手にお邪魔しようと思います。お母さん、いや女将さんもどうかお元気で。  オリンピックを後にし、ここは汎用ストラクチャではダメだな・・・と、念入りに周囲を撮影。キッチリ作りたい、思い入れのある場所がひとつ増えました。  残念ながら線路側からではタダの住宅にしか見えませんけど、今は無き表側の看板や提灯、人懐っこいお母さんの笑顔、そして想像するしか無い焼き鳥の匂い・・・、運転する度にそれらを思い出せるようなデータに仕上げたい大切な場所です。

30年間お疲れ様でした

ファイル 83-1.jpg  春のダイヤ改正まであと数日ありますが、飯田線に於ける119系の運用は先週でほぼ終了しました。週の後半あたりから豊橋に戻った編成から順次浜松へ廃回され、またリバイバル国鉄色のE4編成についても9日金曜日をもって通常運用を離脱し、あとは月末まで団体・臨時便での運用を残すのみとか。  それらの情報を得たのが前日である8日木曜日の夕方。困ったことに9日の運用は早朝~通勤時間帯のみで、朝から大阪を出て豊橋へ向かったのでは間に合いません。仕方なく急ぎの仕事を片付けてカメラ等を準備、この日の最終乗り継ぎの東海道本線で豊橋へ向かいますが、あいにく地元JR西の信号トラブルで新快速がウヤ、京都~米原間を新幹線でワープして何とか豊橋にたどり着きました。 ファイル 83-2.jpg  一泊しても幸先の悪いスタートは尾を引き、9日は早朝から小雨。E4編成の運用は水窪始発→豊橋の512Mと、続いて豊橋-豊川の短距離1往復のみ。少しでも撮影機会を増やすため、512Mを本長篠まで迎えに行って折り返し豊橋まで乗車、豊川往復の407M-410Mには乗車せず、豊橋駅ホームで発車ギリギリまで対向ホームで粘る作戦をとりました。  雨が心配でしたが、車体側面の濡れは最小限で何とか撮影できるコンディション。前面の濡れは気になりましたが、まぁ画像処理で何とかなりそうでしたので、限られた時間で撮ったにしては及第点です。 ファイル 83-3.jpg  ストラクチャに使用するテクスチャ材料の撮影は、どこにどう使用するかを考えながら撮らなくてはなりません。ありがちなのは電車の側面を真横から撮って立体感を失うケース。何を撮るにしても、運転している列車の運転台からの視点にできるだけ近い角度で撮るのが立体的に見せるコツです。  いつもは車体に対して45度くらいの角度をイメージして撮影しているのですが、完成後の立体感が乏しいように感じていましたので、今回は30度くらいの浅い角度で撮ってみました。角度を寝かせすぎると側面のディテールが損なわれるのではないかと心配になったり、望遠で撮ることになるので手ブレが発生しやすくなるなど、何かと勇気が要いりますが思い切って。 ファイル 83-4.jpg  レンズの合焦範囲や遠近補正時に必要な解像度のマージンを考慮して、一度に広範囲を撮ろうとせず、カメラの解像度を天地方向に最大限活用し、長さ方向は後から切り継ぎ合成することを前提に複数枚撮影します。  合成後、窓や戸、諸々の突起物の厚み表現をさらに強化。作業中の画像を見ると厚み部分の幅がやたら大きくて不自然に見えますが、「やりすぎ」くらいを意識して仕上げます。 ファイル 83-5.jpg  ストラクチャデータを書き換え、テクスチャを置き換え。微細な貼り付け位置調整のため何度か編集を繰り返し、同時に色彩を路線データにマッチさせて完成です。不自然に見えた厚み表現も、運転台から対向列車を見る角度ならば極々自然な立体感になります。  さらに踏み込んで窓や戸を頂点編集で凹ませたデータも作ってみましたが、手間の割には余りリアルに見えませんでしたので、テクスチャ上での立体表現に留めています。 ファイル 83-6.jpg  かねてより懸案だった車両データはRock_Onさんが製作して下さることになりましたので、こちらも運転台パネル画像の製作に着手しました。まだまだ素材を仮配置しただけですが、アップ撮りした複数の画像を繋ぎ合わせていますので、可能な限りノイズの少ない実写パネルになる予定です。  実写系かイラスト系か、パネル画像については好みが分かれるところですが、個人的には路線データのイメージに合わせるべきと考えています。つまり路線のテクスチャが実写寄りなら実写パネルで、イラストCGならイラストで、明るさや色相・彩度にしても路線とパネルがマッチしていなければ、それぞれが良い出来であっても不自然になってしまいます。  ですので路線と車両の作者が違う場合でも、パネル画像だけは路線の作者が作るとか、止むを得ず作者が別々になるなら、双方のデータの共有、そして感覚の共有を密にする必要があるのではないかと思います。 ファイル 83-7.jpg  仮配置の段階で解像度が不足していたり、角度がマッチしないなど、足りない素材がいくつか出てきましたので、これも今回の乗車中に補っておきました。できるだけノイズを抑えるためiso200で撮影しますので、まともに撮れるのは停車中のみ。駅に止まる度にターゲットを変え、角度を変え、できる限りの素材を集めておきます。泣いても笑っても、119系を撮影できる機会はもうありません。 ファイル 83-8.jpg  E4編成の国鉄飯田線色に特別な思い入れがあるわけではありませんが、データの公開時にはこの水色の119系を対向列車に設定させていただきます。鉄道ゲーム業界に詳しい方ならご存知と思いますが、なぜかJR東海はこの分野に対して何かと厳しく、あくまで「国鉄飯田線」という設定にせざるを得ないのです。同様に駅名票や看板類、リレーボックス等に表記されたJRロゴやオレンジ色のコーポレートカラーも最終的には塗り潰すことになります。  あまり「グレーゾーン」というのは好みませんので、一度JR東海に掛け合ってみたい考えもあるのですが、どうあってもNGが出た場合、他の東海系データの作者さんにもご迷惑が及ぶ可能性がありますので、今のところ消極的回避の方針です。  「まだ公開しないのか?」とヤキモキされている方もいらっしゃるようで対応に苦慮しているのですが、ちゃんと公開に向けて日々作業していますので、そのへんは安心していただいて良いかと思います。  当たり前ですが「出来たところ」だけをピックアップしてブログのネタにしていますから、一見完成しているように見えて、実は空白地帯だってまだまだあるのです。「これだけは置き換えたい」という初期製作のストラクチャや、仮にお借りしたままの素材もいくつか残っています。BVE4→BVE5への対応作業もまだまだ途中です。車両の件も(ほぼ丸投げですが)やっと光が見えてきたところ。  軽量化作業は全線にわたって完了し、大幅にFPSが向上しました。画像の飯島駅も放置していた細部の作りこみが完了したほか、列車交換がらみのギミックをいくつか新たに盛り込んでいます。  「最低限やることリスト」を消化すべく、ほぼ毎日それなりの時間を取って作業しています。できれば2012年のQ4、遅くとも2013年のQ1にはまとまった形での発表を考えていますので、それまで焦らず気長にお待ちいただけると、こちらも心穏やかに作業が捗ります。何卒ご協力をお願いします。

伊那谷再訪

 先日はまるで梅雨のような雨続きにやられ、空振りの取材となってしまいましたが、台風も一過、ようやく晴れの予報が続きましたので再び伊那谷を訪れました。仕事? 仕事・・・・ってなんだっけ。  7日の夕方に大阪を出発、豊橋で一泊して8日朝6:00の飯田線に乗車、天竜峡・飯田で乗り換え、10時過ぎには伊那大島に到着です。18きっぷシーズンの上諏訪・豊橋直通519M列車は混み合いますから、自転車を輪行しての乗車は気を遣います。スケジュールが許すなら、今回のように他の乗り継ぎ列車にするのが良いでしょう。 ▼秋ですね ファイル 69-1.jpg  しばらく涼しい日が続いたからでしょうか、稲穂は黄金色に実り、ススキが丈を伸ばし、秋桜は花を咲かせ、あちらもこちらもすっかり秋めいてきました。風情があって良いものですが、テクスチャ材料としては画像を修正しないと季節感が狂ってしまうので面倒です。  初日の取材は伊那大島~上片桐~伊那田島の3駅間と、飛んで小町屋、駒ヶ根あたりを自転車で廻ってみっちりと。特に伊那大島・上片桐は比較的駅周辺が栄えているため建物も多く、鉄道林で隠れている区間以外は、ほとんど歩いて取材をするのと変わりません。 ▼赤蕎麦 ファイル 69-2.jpg  上片桐~伊那田島間では伊那谷の名産「高嶺ルビー」と呼ばれる“赤蕎麦”が花を付けておりました。まだ七分咲きといったところですが、一面の赤い絨毯はなかなかの見物。  花だけではなく実も赤く、作った蕎麦も少し赤味を帯びていて香りが高いとのこと。一度食べてみたいのですが、普通の蕎麦に比べると面積あたりの収穫量が1/3程度ということもあり、新蕎麦の季節でないと食すことができません。だいたい9月下旬から10月上旬でしょうか、いずれは機会を作りたいですね。 ▼みや川 ファイル 69-3.jpg  晩飯は何度も登場しています伊那市の「みや川」にて。地のモノでも何でもない「ハンバーグ定食」ですが、昼食を抜いた上、1日中自転車に乗っていたので空腹に耐えかねて、つい・・・。  写真ではわかりませんが、ハンバーグは長さ15センチ、厚みが3~4センチくらいの巨大なもの。ご飯を小にしましたが(通常だとドンブリに山盛り)それでも終盤はフードファイト状態に。  これでお値段580円→ご飯小で50円引きの530円です。とにかく安くで腹一杯になりたい時はココですね。  宿泊は南箕輪、木ノ下~北殿間の漫喫に連泊です。 ▼温泉 ファイル 69-4.jpg  9日は駒ヶ根~沢渡間を線路沿いに取材。朝夕は日光の黄味と影が強すぎて良い写真が撮れないため、実質的に活動できるのは10~15時くらいに限られてしまいます。曇天なら早朝~日没まで、それなりに使える写真が撮れるのですが、まぁあまり贅沢を言って雨に降られては困りますので、我慢しましょう。  なんとか満足のいく写真素材を撮り集め、早めに活動を切り上げて伊那市の「みはらしの湯」でマッタリしてきました。伊那市の中心部から約7kmとお手軽な距離ですが、中央アルプスの裾野、標高900m(伊那市駅からの標高差は約260m)の高台にありますので、ずっと上り坂です。体力・脚力が十分ではありませんのでかなりキツイ行程ですが、汗だく→温泉の爽快感はたまりません。  露天風呂や休憩室からは伊那谷と南アルプスが一望でき、黄昏時から夜景への移ろいを風呂からボ~ッと眺めるのは、なんとも贅沢な時間の使い方ですね。 ▼サイクリング ファイル 69-5.jpg  10日は18きっぷの最終日。この日のうちに帰阪しないといけませんが、七久保で撮りたいものがあったので、朝から自転車で南下。伊那市街の一部を除いて国道153号の路側帯が狭く、しかも大型車がやたら多いのは前の2日間でよくわかりましたので、天竜川左岸の県道18号を走行。比較的直線・平坦な右岸の国道153号とは打って変わっての田舎道で、伊那・駒ヶ根市境の「火山峠(ひやまとうげ)」をはじめ、常にアップダウンの繰り返しになります。  国道より時間はかかりますが交通量が少なく安全で、なにより左に南アルプス、右に天竜川と中央アルプス、周囲には森や田圃と最高のロケーション。観光で伊那谷を訪れる方は、是非とも国道ではなくこちらを満喫して欲しいですね。ただし松川町内には離合不能な区間が多数ありますので、自動車の場合、運転に自信のない方は要注意です。  同ルートは自転車の練習コースになっているのか、短い間に5人のロード乗りとすれ違いました。お互いメットを下げてご挨拶。中には交流を嫌う方もいらっしゃるでしょうが、同じ趣味の方とすれ違うと、上り坂の途中でも「もうちょっと頑張ろう」という気になります。  飯島町に入って天竜川右岸へ移り七久保駅へ。駅周辺で数カット撮影して自転車での取材は完了です。この3日間で合計160kmほど走りましたが、乗って降りて撮っての繰り返しの割には、よく走れた方です。  午前のうちに上諏訪発の豊橋直行に乗車、快適な313系ですから、そのまま乗っていても良かったのですが、中部天竜の旧貨物ホーム上屋を撮っておきたかったので下車し、1本遅らせて119系でガタゴト豊橋へ。あとは新快速乗り継ぎで、米原で乗り換えるだけの楽チンなタイミングでした。  紆余曲折ありましたが、なんとか冬の間も作業の手を止めないで済むくらいの素材が集まりました。路線データはこの調子で進めるとして、車両さえ何とかなればという条件付きですが、来年中の部分公開も可能ではないかと思います(もちろん確約ではありませんよ、念のため)。  タイミング的に119系引退で飯田線が賑わってくる頃でしょうが、逆に言えば車両の音素材などは、今冬中に収録しておかなければなりませんね。リニアPCMのICレコーダも随分と安くなりましたし、頑張って買っちゃいましょうか。自転車での取材で重いデジ一眼を持ち歩くのはキツイので、マシなコンデジも欲しいし、なんだかんだで出費が続きそうです。

取材空振り

 8/19~23の5日間、これまでの区間で抜け落ちている分と、延伸分の資料を集めるため現地取材に出かけてきましたが、生憎全日程通しての雨天。何とか捻出した数万円の旅費と休日を、全くの収穫無しで消化して帰ってきました。  天気のすることですから仕方がないとはいえ、いやむしろ、だからこそ気持ちの持って行き場所が無いというか、ぶっちゃけマジヘコミ。作業を進める気力も湧かずに悶々と過ごしておりました。  19日早朝に大阪を出発、豊橋から上諏訪直通519Mで飯田線をえっちらおっちら。佐久間で途中下車し、天竜川橋梁から旧線の痕跡を眺めつつ中部天竜の集落へ逆戻り。今回は取材のフットワークを強化すべく自転車を輪行してきましたので、佐久間ダム経由で大嵐駅までサイクリングです。 ファイル 68-1.jpg  佐久間ダムは建造から55年も経っていますが、155.5mの堤高は今でも国内第9位、当時では日本最大、世界でも第7位だった巨大ダムです。更に飯田線のうち18kmにも及ぶ区間の付け替えを要した発端ですから、一度見ておきたかったのです。  中部の集落からダムまではたった3kmくらいですが、実は体調の問題もあって自転車に乗るのは約2年ぶり。のっけから堤高分の標高差を稼ぐため延々と続く上り勾配は、出戻りには少々ハードでした。体力付けなきゃね。  佐久間ダムはその特徴でもある、上部に並ぶローラーゲートが巨大なためどこかアンバランスで、写真では全体の巨大さを感じにくいですね。ゲート横に立つエレベーター棟の窓間隔が一般のビルと同程度ですので、少しはその大きさを感じていただけますでしょうか。  コンクリの塊を堪能した後は天竜川右岸、つまり旧線の対岸を約30km走行して大嵐駅に到着。体力に余裕があれば温田あたりまでは飯田線に沿って走れそうでしたが、まぁ復帰第一弾としてはこのくらいが限界です。大人しく飯田線に揺られ、伊那市で下車。以前「巨大唐揚げ」を紹介した「みや川」で夕食を取って、この日の活動は終了です。  翌20日は予約していたレンタカーでの行動ですが、朝から完全に雨。本来は伊那大島~七久保の取材を予定したのですが、「いつか雨がやめば・・・」という希望に縋って、観光を兼ねた時間つぶしをすることになりました。 ファイル 68-2.jpg  伊那市から高遠を経て秋葉街道をひたすら南下、標高1000mの斜面に貼り付くように展開する下栗集落の「はんば亭」で昼食をとることに。コシの強い手打ち蕎麦の他に、飾らない地の料理が楽しめる「蕎麦定食」はどれも美味しくいただきましたが、惜しむらくは蕎麦がかなり小盛り。次の機会があれば盛り蕎麦単品で注文しましょうか。  下栗に着いたときは「雲の上」といった感じでしたが、食事をしている間に「雲の中」になってしまい、辺りは真っ白&霧雨に。おかげで風景の写真を撮る事はできませんでした。 ファイル 68-3.jpg  食後は林道の更に高所へ車を走らせ、しらびそ高原へ。雨が止む気配は感じられないので、なるべくお金をかけずに時間を潰せるところ・・・となると風呂。標高1912mに位置する「ハイランドしらびそ」のお風呂は温泉ではありませんが、湧き水を沸かしているとのこと。“ヌルヌル”とか“トロトロ”ではなく、“サラサラ”した独特のお湯で、“しっとり”と“サッパリ”という相反する浴後感を両立しています。宿泊施設ですが日帰り入浴も可能ですので、貸切状態でマッタリと。 ファイル 68-4.jpg  入浴後、相変わらずの霧雨で途方に暮れていたところ、なぜかこんな山の頂で酒井の5トン機を発見。しかも比較的状態の良い木造客車(といっても、2つの運材台車に箱を乗せただけの、いわゆる王滝タイプ)と、立派な材木を乗せた運材台車のフルセット。しかも運材台車なんて板バネの枕バネを装備した生意気なタイプ。事前情報はノーチェックでしたから、これは嬉しい誤算です。  説明の看板によれば遠山森林鉄道の物だそうで、実はこれまで存在すら知りませんでした。南信の森林鉄道=木曽谷しかイメージしていませんでしたし、どこの国鉄線とも接続されていない事も、知る機会が無かった一因でしょうか。  しかしこの静態保存、状態もさることながらロケーションが素晴らしく、今にも動き出しそうです。土木工事でこういう機関車を使う機会も無くなりましたし、立山砂防の機関車も新型に代替わり。そんな中、こんなに活き活きとしたプリムス・スタイルの機関車を今でも見る事が出来るのは素敵なことです。 ファイル 68-5.jpg  結局この日は日没まで雨のまま。七久保駅近くの道の駅「花の里いいじま」にて夕食。「馬肉蕎麦」なるものを食べてみましたが、これがなかなか絶品。肉は甘辛く下味が付けてあってクセも無いので、気軽に馬肉を食すにもってこいですね。この辺りはギリギリ関西文化圏なんですが、うどん・蕎麦のつゆは関東風。食文化は違うルーツがあるのか、調べてみたら面白いかもしれません。  晩はそのまま駐車場で車中泊。21日朝、とりあえずレンタカーを返却。当初の予定では自転車で駒ヶ根~沢渡周辺を1日かけて取材する予定でしたが、どうにもならない雨続き。この日の晩は松本市内にホテルを予約していましたので、取材は諦めて松本まで自転車で自走する事にしました。  伊那市から松本まで国道153→19号で、鉄道で言えば大八廻りの塩尻経由で、距離はだいたい60kmといったところ。出戻りの体力に加え、狭い路側帯、意外と多い交通量、そして雨天という悪条件のため速度はゆっくりめ。 ファイル 68-6.jpg  途中、雨脚が強くなってきたため、辰野と塩尻の境界にあたる矢彦神社で雨宿り。諏訪大社に次ぐ信濃国二之宮、そして上伊那地方の総鎮守とあって大変立派、貫禄たっぷりの神社です。面白いのが辰野側に矢彦神社、塩尻側に小野神社という、2つの神社が南北に隣接・・・というか、一つの境内に仲良く並んでいます。境界には塀も堀もありませんので別の神社だと気付かないほど。しかも小野神社の境内を含め周辺の行政区画は塩尻市に属しているのに対し、矢彦神社の境内だけは辰野町の飛び地というカオスっぷり。  本殿を写真に撮るのはあまり好きではありませんので、画像は矢彦神社の神楽殿と御柱。7年に一度の御柱祭は諏訪大社の翌年に行われています。 ファイル 68-7.jpg  大八廻りこと辰野支線がトンネルで抜けている善知鳥(うとう)峠を越えて塩尻の市街地へ。ちょうど現三州街道とされる国道153号の終点近くの「いずみ屋」さんで手打ち蕎麦の昼食としました。二段の盛り蕎麦は味もボリュームも十分。高い天井と太い梁が立派な店内も雰囲気満点で、大変ようございました。  ところで塩尻の地名は、太平洋側の三河・駿河から塩尻へ至る三州街道、秋葉街道、そして日本海側は糸魚川から塩尻へ至る千石街道、これらが塩を内陸へ輸送する「塩の道」であったことに由来します。塩の道の終点だから塩尻。鉄道で言えば前者は飯田線、後者は大糸線となり、今となっては何れも屈指のローカル線ですが、時代を遡れば国の生命線でもありました。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったのも、大糸線経由で運んだと思えば感慨深いものです。 ファイル 68-8.jpg  無事に松本市内のホテルにチェックインし、体を休めた後は松本城周辺を散策したり、自転車屋を覗いてみたり。適当に時間を潰し、駅前のつけ蕎麦屋で夕食としました。関西では馴染みの薄いつけ蕎麦。歴史が浅い創作蕎麦のイメージもありますが、コレはコレでなかなか美味。正統派?の蕎麦続きでしたのでアクセントに良いですね。  22日も相変わらずの雨。ただし降ったり止んだりの微妙なお天気。本来なら既に取材を終え、黒部ダムでも見に行こうかと予定していたのですが、これまで何も出来ていませんのでキャンセル、天候の改善に期待して伊那谷へ戻る事にしました。  松本から塩尻は自転車で自走、塩尻からは嘘んこ快速「みすず」に乗車。昼過ぎに伊那市に着く頃には雨も上がり、路面も乾き始めている案配。この調子なら少しは取材もできそうです。  とりあえず沢渡駅の取材をしようと、伊那市駅前で自転車を組み立てて移動を開始しましたが、走行中にポツポツ・・・から土砂降りへ。沢渡に着いた時には駅舎も濡れてしまい、撮影できるコンディションではありませんでした。  23日まで休みを確保していましたが、諦めて1日早く帰ろうかな・・・と時刻表をめくってみると、ギリギリ当日中には帰ることが出来ないタイミング。なんだか今回はやることなすこと全てが裏目に出ている感じです。 ファイル 68-9.jpg  伊那市に戻り“飯島食堂”でマッタリ時刻表を眺めながら、久しぶりの巨大ソースカツ丼をいただきました。相変わらずデカくて美味いです。夕方からの営業は個室ですので、頭を捻るのにうってつけ。  もう1泊するにしても、列車の旅くらいは楽しんで帰らないとやってられませんので、上田で宿泊し、翌23日は長野から信越本線のお得列車「妙高」で直江津へ抜け、北陸本線では未だ健在な457系に揺られて帰阪しました。「蕎麦づくし」の〆として、長野駅と福井駅で駅蕎麦を食べたのですが、風味や食感の乏しいことに驚き。日頃それなりに美味いと思っていたのですが、ちゃんとした蕎麦を連続で食べた後では、その味気なさが顕著に感じられました。アレは何というか、「蕎麦のようなもの」ですね。まぁそんなに肥えた舌じゃありませんので、一週間もすれば普通に美味いと思えるようになりそうですが・・・。  というわけで、ほとんど蕎麦を食べに行っただけの5日間でした。これまでも草木が緑色をしている夏のうちに取材をし、翌年にかけてPC上での製作作業を進めるというスケジュールを取ってきましたが、ここに来て大ピンチ。  せめて暫定公開を予定している区間の不足だけでも補っておきたいところですが、もう一度訪問するにしても費用的に限界があるため、18きっぷ+漫画喫茶連泊+牛丼280円という強行軍になりそうです。いくら取材とはいえ侘びしいなぁ・・・。しかもこの週末は台風で潰れてしまい残り時間もありません。最終手段として平日にぶっちぎっちゃうのもアリですが、ちょっと片付けないといけない仕事が溜まっているので不透明。最悪の場合は暫定公開を1年遅らすかもしれません。

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