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まだまだ駒ヶ根駅

ファイル 11-1.jpg  忙しい日や疲れている日は製作がはかどらないものですが、たとえ倉庫1棟だけでもいいから毎日少しずつデータを作るようにしています。そうこうしているうちに、週末分と合わせるとソレナリに進展があるもので、駅構内に関してはかなり「駒ヶ根らしさ」が出てきたと思います。曖昧な表現ですが「らしさ」というのは重要な要素で、当時を知るファンの方や実家が周辺にある方などに懐かしさを感じていただけるようなモノに仕上げられたら、と思っています。  レンガとコンクリートのビルは伊那電時代の旧赤穂支社ビルで、本社は東京にありましたが実質の本社機能はこちらにあったようです。ビルはJR移行後も残っていましたが、残念ながら98年に解体されてしまいました。  明治の鉄道施設には東京駅に代表されるような欧州色の濃い建築物が多かったわけですが、大正時代に入ると米国寄りのモダニズム建築が流行したようですね。シカゴ派といいますか、均整の取れたスタイルに装飾を極力省いた質実剛健な造り、しかしレンガをアクセントに使ってさりげない色気を出しています。華麗ではないけど無味乾燥とした量産品でもない、個人的には非常に好ましいスタイルの建築物と思っています。欧風から米風へ、第一次世界大戦後の世界における勢力図の変化が、こんなところからも読み取れそうですね。  ビル背後のアンテナ鉄塔は高圧鉄塔を簡単に改造しただけの仮のモノ。鉄骨の組み方が違うのを作り直すかどうか、あとパラボラアンテナ直下の作業台に手すりや支持サポートを取り付けてゴチャゴチャ感を出したいと考えています。 ファイル 11-2.jpg  先日から両開き分岐器、いわゆるYポイントを作らないと上りホームの形状や電留線の正確な再現ができないと書いてきましたが、文章だけではイメージしにくいと思われるので画像を交えて考察していきます。  現在の構内配線は既に完成している8番片開き分岐器を使用しての仮配置で、画像中に赤線で示したのが本来あるべき配線です。手前から2番目のポイントを両開きにすることで、限られた敷地にできるだけ長い有効長のホームや電留線を確保しているのがよく分かります。同時に分岐角やホーム幅確保の関係で、結果的に3番線ホーム(119系のいるところ)が湾曲するというのもお分かりいただけると思います。また旧支社ビル前の安全側線ですが、アレはかつて豊橋方に存在した貨物側線の成れの果てですから、延長部が本線右手の空き地に接続しないと辻褄が合いません(点線部)。  分岐器ひとつ変えるだけでホーム形状、電留線有効長、安全側線の位置関係すべてに納得ができ、周囲の風景との位置関係も自然なものになるでしょう。しかし逆に言えば、ちょっとした配線のミスが全体の正確性を損なう可能性もあるわけで、限られた資料で路線データを製作することの怖さでもありますね。  ・・・と、これだけ書いておきながら、分岐器のストラクチャにはまだ手を付けていません。しばらく気合い充電中なのです。 ファイル 11-3.jpg  先日の更新ではホーム側の壁面1枚しかできていなかった駅舎も、手前部分を作り込んで完成に近付きました。豊橋方は壁や屋根が複雑に入り組んでいて、作っていて楽しくも大変なところです。ホーム長・位置を算出する時に、計算上は周辺にあるはずの165.8キロポストを基準にしようと取材時の写真素材を探したのですが標識を見付けられず、4両有効長+αをだいたいの勘で割り出して寸法を決めることになってしまいました。原則としてキロポストは下り方向の左手、一部の複線区間では上下線の中間部に植えられていますので見失うことはあまり無いのですが、後日写真を整理しているとこんなところに! そりゃないよ。  不幸中の幸いだったのが、路線データの165.8キロ位置と、キロポストがあるべき風景の位置のズレがわずか3mだったこと。読みが大きく外れてはいなかったわけで、「考証派」というよりは「雰囲気派」の私にしては上出来ではないかと安心しました。もちろん構内踏切・トイレ周辺の寸法を修正して、 165.8キロぴったりの位置に植えました。 ファイル 11-5.jpg  ホーム手前は色んな建物が並んでいて地味に時間のかかるところです。一部の建物は既に解体されてありませんし、手前のプレハブ倉庫が建っている場所は現在駐車場になっていますが、旧支社ビルの取り壊しと同時期に工事したのではないかと判断し、保線資材などが野積みされている時代を再現しました。  右手奥に見えるスレート造りの倉庫はかなり古そうでしたので当時からあった物と思いますが、さらにその奥の保線詰所(ほとんど見えませんが)はいつ建設されたのか自信がありません。これに限らず当時の写真に写っていない建物類は建築様式と汚れ具合などで95年前後に存在したか否かを判断していますが、微妙なラインにあるものは判断に苦しみます。また外装がリフォームされていると判断できず、取材時にも写真を撮り逃した物が結構あります。駅前のビル群もそういった判断ミスから撮り逃した物がいくつかあり、夏の青春18きっぷシーズンになったら駒ヶ根を再訪しようと思います。 ファイル 11-6.jpg  BVE4ではストラクチャが600m先で画面上に現れるとき、データが重すぎると一瞬カクッとフレームが落ちることがありましたので、できるだけオブジェクトを小分けにして位置をずらして配置するなど工夫が必要でしたが、BVE5では重量級データでも特に問題なく描画してくれます。  プログラム構造の違いなのか、単純にGPU依存になって処理能力に余裕が出来たのかは分かりませんが、駅周辺の専用ストラクチャについてはひとまとめにして1つのファイルに纏めてしまうことも可能になったわけです。  画像は駒ヶ根駅構内のメインストラクチャで、これ全部で1つのストラクチャデータです。これ以外に旧支社ビルと前回解説しました上りホームの上屋を並べれば旅客駅部分の完成となります。一部バラストまで一体化していますが、これはcrack構文を使うと横に伸びすぎてテクスチャがおかしくなる、間隔の広い部分です。 ファイル 11-7.jpg  1つに纏めるメリットとしては、路線データ上での配置が簡単・シンプルというのもありますが、テクスチャの重複読み込みを少しでも減らそう、というのが主目的です。例えば、下りホームと上りホームの石積みに同じテクスチャを使用していると仮定して、上下ホームを別々のファイルで造れば最低2回は同じテクスチャを読み込むことになりますが、1つのファイル、かつ1つのCreateMeshBuilderで上下ホームを造れば、テクスチャの読み込みは1回で済むことになります。  通常のデータならここまですることも無いとは思いますが、専用ストラクチャをふんだんに使った長大路線、しかもできるだけ高解像度のテクスチャを使って・・・という路線を作る場合、好き放題に作っていたのではいつか実行時のメモリ使用量が限界に達して起動しなくなってしまいます。旧作ストラクチャの効率化改良も並行して進めており、以前は1.8GB以上だったメモリ使用量を1.3GB程度にまでダイエットさせました。BVE5ネイティブで製作できるようになればカーブレール、カーブ築堤類が不要になるので1GBを切るのは確実と思われますが、逆に新規部分を1駅延伸させる毎に必要なメモリ量は着実に増えていきますから、将来延伸させるつもりがある路線データなら神経質なまでの節約をしておくべきでしょう。 ※必要なメモリ使用量が2GBだったとして、物理メモリを2GB以上積んだパソコンでないと動かない、というわけではありません(実際にはOSや常駐ソフトが既に多くのメモリを消費しているのですが、話が複雑になるのでここでは割愛)。物理メモリに収まりきらないデータについてはOSが自動的にスワップファイルなるモノをハードディスク上に作成し、それを「仮想メモリ」として使用しています。ただし、シリコン製のメモリに比べるとハードディスクの読み書き速度は非常に遅いため、いくらでも増やして良いというものでもありません。品質に影響が無い範囲で、削れるものは可能な限り削っておくべきでしょう。

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