伊那市出張運転会(後編)
さて伊那市運転会ですが、まずは時系列を少し遡って準備段階の裏話。大阪の拙宅から伊那市へ運転台を輸送するにあたっては、当初伊那市から大手運送業者を手配してもらう算段でしたが、大型かつ一品物のため混載便でははく専用便での扱いになり、想定を遙かに上回る見積もり(往復で片手!)ということで頓挫。 そこで登場したのが伊那市所有のハイエース。大阪運転会の輸送では5ナンバーのコンパクトミニバンにギリギリ詰め込んでいますから、それに比べると余裕の容積で、緩衝材をたっぷり挟める余裕に安心しました。しかも車椅子用のリフト付きで超便利。とはいえまず解体して2階から降ろす必要があり、職員の皆様にお手伝いいただき2時間程で搬出・積み込みが完了しました。 交代とはいえ長野~大阪を1日で往復するハードスケジュール、安全運転で運んでいただきありがとうございました。 運転会前日、大阪発の特急しなので信州入り、車両データ・プラグイン関係の製作を全面的にお願いしているRock_On氏さんと岡谷で合流して飯田線に乗り継ぎ、伊那市へは昼過ぎに到着しました。さっそく駅前でソースカツ丼を頬張り、気合いを入れて準備に掛かります。 運転会の会場は展示室隣の会議室が割り当てられました。椅子を並べると20~30人のキャパシティといったところで、運転台の後ろは椅子を並べて待合い・見学スペースとしました。自室にあると場所食いな運転台も会議室だとちんまりした感じになってしまいますね。将来的には前面3画面で堂々とやりたいものです。 組み立て・配線、また今回に備えて全面改修したブレーキ弁と対応プラグインの擦り合わせを夜まで行い、翌日の本番に備えました。 ■無事に始まりました 運転会は1時間あたり3名様、一人の持ち時間が20分の計算で行いました。運転区間は飯島~駒ヶ根の4駅間、定時運転で約15分強といったところです。この運転時間は運転体験の類ではかなり長い方で、大手博物館等では人数を捌くため数分で終わってしまうものがほとんどです。このため事前予約制・かつ抽選となりましたが、路線データや運転台を造っている時から“博物館にできないことをやりたい”という思いもありましたので、一人一人の方にできるだけ楽しんでいただけるような配分としました。当然副作用として人数枠は小さくなってしまい、できるだけ増枠の調整はしたものの数名の方が抽選漏れとなってしました。せっかくご応募いただいたのにお応えできず申し訳ございません。 年齢層は半分くらいが小学生、残りの半分が適度にばらけている感じでしたが、ご高齢の方はいらっしゃいませんでした。地域は伊那市・駒ヶ根市といった南信の沿線を主体に、愛知・新潟・東京といった遠方からいらした方も。 小学生が主体になるのはある程度予測していましたので、「お子様運転士とそれをカメラに収めるママさんの図」みたいな構図を期待して国鉄の帽子なども持ち込んでいたのですが、想像したまんまの光景が展開されていてホッコリしました。 また1995年前後という路線の時代設定も良い方向へ転んだようで、沿線のお母様方にとっては少し懐かしい、今のお子さんにとっては生まれる前の、ちょっと新鮮な景色が親子の会話に弾みをつけていたように思います。 今回は内輪のマニアな集まりとは違うため操作を簡略化すべきかどうか迷いましたが、ありのままの飯田線を沿線の皆様に知ってもらう方が良いだろうと、ほぼそのままのデータをお持ちしました。実際と違う点はドア扱いが運転士ではなく車掌であること(これはBVE5のシステムに因る)、停車位置の精度を駅ホーム内に2両全てのドアが入っていたら開扉するように甘くしたことだけです。 またBVE2時代のデータで予習してこられた一部の方以外にとっては初見の線形ですので、曲線における制限速度や適切なノッチ位置などは指導運転士よろしく横から指示させていただきました。おかげで曲線・勾配だらけの飯田線を運転することがどれほど忙しく難しいか、日頃何気なく乗っている飯田線の運転士の大変さがおわかり頂けたのではないかと思います。もっとも、中には大変お上手な方もいらして、慣れた手つきで指差喚呼される方、本職顔負けの電直ブレーキ捌きを披露する女性の方も登場して驚きました。 一般の方には馴染みのない各機器の名称や信号システムなどを前説だけで理解していただくのは時間的に不可能なため、運転に必要な最低限の内容を盛り込んだ運転マニュアルを作成して、創造館から運転される皆様へ事前に郵送していただきました。 1回きりの体験運転でやるには本格的すぎるだろうか? もっと気軽に“遊んで”もらうほうが良いのではないか?といった葛藤もありましたが、煩雑な手順があってこそ「なりきれる」面もありますし、鉄道の安全に対する人・設備両面の取り組みも理解してもらいたい。まぁゲームセンターや広報を目的とした鉄道イベントの体験コーナーなら「あー、面白かった!」で終わるのも良いかと思うのですが、そもそも伊那市創造館が教育委員会の学習施設であるため、何らかの学習要素を持たせたいという思いも当初からあり、できるだけ実物に忠実な運転をしていただくことにしました。 そんなわけで楽しんでいただけるか不安もありましたが、小学生たちも予想以上に上手に運転していて安心しました。あまりに飲み込みが早いので普段から運転ゲームなどしてるのかな?と思って聞いてみるとそうでもないらしい。普段電車に乗った時から運転席の後ろで観察しているんでしょう、見よう見まねで指差喚呼してみたりと大したものです。 また最初は戸惑って上手く扱えなかった電直ブレーキの操作も、みなさん後半では随分スムーズになっていまして、これについては運転区間を4駅間と長めに取ったことが功を奏したと思います。 “一番好きな電車は169系”という重度のマニアな小学生は、「今まであちこちのシミュレータをやったけど、今回が一番楽しかった!」と言ってくれました。休憩時間にはRock_Onさんのサービスで車両データを115系に切り替えてブロアの起動音に大興奮、ブレーキハンドルの脱着までして大はしゃぎ。困ったもんだと溜息混じりの表情ながらも微笑ましく見守るお母さんが印象的でしたが、これらも博物館ではなかなか出来ない体験ですので良い経験になったのではないかと思います。 初日の午前中にはNHK松本局や地元伊那ケーブルテレビのカメラが入り、新聞社の方もチラホラと。この時間帯に運転された方は若干緊張されたかもしれません。 荒唐無稽な動画が乱発する動画サイトなどを見る限り、やみくもにBVEの知名度を上げユーザー数を増やすのが得策とは思えませんが、例えば模型鉄の中でも車載カメラによる運転に限界を感じている方など、純粋にリアルな運転を楽しみたい方、将来的に作者となり得るような方々へのアピールは必要だなぁ・・・と、仲間内で集まるたびに話しております。そうした意図もあってブログを書いたり動画を投稿したりしているわけですが、ローカルとはいえ電波や紙面と言った既存メディアへの露出も効果的なのではないかと思います。 ただBVEのコミュニティもマニュアル整備や各種ガイドラインの取り決めなど、人を呼び込む前にやることが山積みなんですが、みんなそれぞれ1人のユーザーであり作者ですから、自分の作品を形にするので精一杯。それ以外のところまで手が回らないのが現状です。wikiの整備など少しずつ進んでいますので、ゆっくり時間をかけて熟成するしかありませんね。 恥ずかしながらトークショーという催しもありました。得体の知れない大阪人が1時間しゃべるだけのイベントですから、誰も来てくれなかったらどうしよう・・・なんて思いましたが、約30名の来場者に予備の椅子まで持ち込んで対応する盛況ぶりで、恐縮するやら照れくさいやら。しかし何を話すか事前に考える時間がなかったのでぶっつけ本番。ほとんど製作秘話みたいなので終わってしまいました。一応BVEの詳細をご存じない方にも理解できるよう気をつけたつもりですが、あんなのでトークショーの体を成していたでしょうか・・・??? 運転会のみならず企画展全体の視点から、飯田線の今後についてなどお話ししたいコトは色々あったのですが、気がつけば時間も押し押しになっていました。せめて内容を箇条書きにして時計見ながらしゃべるとか気を遣うべきだったんでしょうけど、未熟というか、それ以前に普通に考えてあり得ない機会のため完全に力不足でございました。 2日目の夕方、運転会の締めくくりに運転されたこちらの女性ですが、なんと記念すべき企画展1000人目の有料入場者の方でした(入場券を持っていれば2回目以降は後日であっても無料で入場できるシステムだったので、延べ入場者はもっと多いそうです)。 実はこの方、自主製作映画の世界では有名な女優さんである傍ら、ローカル鉄道の振興に携わるお仕事をされているとのことで「飯田線マニアックス」の企画初期段階から相談に乗ってもらっていたと、創造館の館長よりお聞きしました。まるで仕込みのようですが、本当に偶然に偶然が重なってキリ番とトリの運転士を務めていただき大盛り上がり、最後は少し華やか雰囲気で出張運転会は終了いたしました。 なお当日の様子は“伊那谷ブロードキャスターズ”さんによりUSTREAMでの動画中継が行われ、後日YOUTUBEにもアップロードされていますので興味のある方はご覧下さい。(動画一覧) ※ ※ ※ 前編にも書きましたように準備に奔走した2ヶ月間で、十分なクオリティを維持して間に合わせることが出来るのか、突発的なトラブルなどで取りやめになるような事態が発生しないか、あくまで個人活動ですから機材や経済的なバックアップ体制が不十分で不安の種も盛り沢山でしたが、なんとか無事に終えることが出来ました。 実は運転会の打診があった時点でのデータや機材の状況、自分のキャパシティからお受けして良いものか少し悩みました。しかしフィールドワークで外へ出かけることが多い反面、分野外の人との交流といった面では内に籠もる傾向のある鉄道趣味の分野で、一般の方々のご理解をいただき、また楽しんでいただける機会がある。しかもそれが自分の活動している飯田線沿線の皆様とあっては是が非でも参加しなくては! と、無理を押しての出展でありました。 色々大変だったのは先述の通りで、夜を通して普通に寝られた日が何度あったか・・・誇張抜きにそんなレベルでしたが、はしゃぎつつも真剣な表情で運転する子供達や、「そうそう、昔こんな感じだった」と懐かしんでくれるお母様方、BVEはやっていたけど運転台で存分にやってみたかったという方など、皆様の反応を見聞きしていると疲れも吹き飛びます。 直接利益を生むような活動ではありませんが、打算的なところでは今回の件がひとつの身分証明書になりますから、今後の取材活動、交渉ごとが少しはやり易くなるのでは? などと勝手な期待をしています。 私の名前ばかり表に出て恐縮ですが、今回の運転会は多くの方の尽力によって実現しています。最後になりましたが車両データとプラグインを極めて高い完成度で仕上げて下さったRock_Onさん、BVE本体の描画を改良して下さったmackoyさん、専用のスタフを作成して下さった所属指名どーぞーのHeyさん。企画展の企画運営にあたられた館長以下伊那市創造館の皆様、監修の田切ネットワークの皆様、USTREAMでの動画配信を担当された伊那谷ブロードキャスターズさん。東西から応援に駆けつけて下さったBVE作者陣の皆様、そして何よりも運転会に参加いただきました沿線・遠方の皆様、この度は貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございました。 さて、なんとかやり遂げられたおかげで段取り、必要な準備時間やコストなど、だいたいのノウハウが得られました。同様の機会がありましたら喜んで馳せ参じますので、沿線自治体、各種団体、企業の皆様、ご要望がありましたら遠慮無くお声をかけて下さい。余裕のある生活をしているわけではありませんので輸送費・滞在費等のご面倒は見ていただく必要がありますが、スケジュールの調整が利く限りは全力で対応させていただきます。 さしあたっては自前のイベントである大阪運転会が6/1~2に迫っておりますが、告知が遅れてスミマセン。近日中に詳細を書きますので今しばらくお待ち下さいませ。