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伊那大島駅

ファイル 41-1.jpg  とりあえずで敷設した伊那大島駅までの線路ですが、やはり線路があると運転してみたくなるもの。しかし風景どころかホームすら無い状態ではそれもままならず、必要最低限ホーム周辺だけ製作しました。  ホーム先端がグニャっと曲がっているのは、七久保や飯島と同様、分岐器を渡る車両のオーバーハングを避けるためです。このあたりの処理の仕方は駅によってバラバラで、なんだか取って付けた感がありますね。  実は先日gaku様よりメールを戴き、ようやく念願かなってご挨拶させていただくことが出来たのですが、その中で「伊那大島を始発として、七久保への勾配区間を再現する予定だった」とのお話を聞かせていただきました。色々あって結果的には皆様ご存じの七久保発に落ち着いたわけですが、何と言いますか、さすが分かっていらっしゃるなぁ・・・と。  もとより手を抜くつもりはありませんが、そういったお話を聞かせていただくと、尚のこと力が入るものですね。少し前まで軽量化と忠実さのバランス取りに悩んでいたところがあったのですが、色々整理が付いたり吹っ切れたりしまして、極力再現度を上げる方向で作業しています。 ファイル 41-2.jpg  とはいえ技術的にどうにもならないこともあり、今回は今まで避けてきた透過テクスチャを使ってしまいました。人と植物以外では初めてじゃなかろうか?  透過させたのは、まるで庭園用の様な形状の転落防止柵。この形を手打ちのcsvデータで三次元化するのは・・・まぁ難しいでしょう。テクスチャの撮影方向を工夫したことと、支柱を別途頂点打ちの平板で並べたことで、できるだけ立体感を損なわないようにしています。  透過部のテクスチャは256x256ピクセルと、描画サイズの割には大きなPNG画像を使用していますが、それでも輪郭が汚くなってしまうのは残念ですね。 ファイル 41-3.jpg  上2点の画像はBVE5(IM0.5)にて撮影。ここからOpenBVEのViewerになります。  伊那大島のホームは施工法が見事に無節操。上下ホームとも四角錐の石材を積み上げる「間知石積み」なのは同じですが、下りホームが石を水平に積む「布積み」なのに対し、上りは45度に石材を傾けて積む「矢羽根積み」。さらに延長部は下りがコンクリの打込み、上りは鉄骨+コンクリ板と、まるでホーム構造の展覧会のようです。何度も延長、変更を繰り返して今の形になったのでしょうね。  余談になりますが、間知石積みに使われる石材の短辺は約30cm、つまり一尺です(例外・地域性ありますが)。6個並べると一間(いっけん=6尺=1818mm≒畳やベニヤ板の長辺1820mm)となり、一間を知ることができる石の積み方・・・間知石積みとのことです。なんとJIS規格。  石積みに限らず、日本の建物は完全な輸入住宅を除けば、尺貫法でサイズが構成されていますから、それを理解していれば採寸せずとも、写真からストラクチャの寸法を割り出すことができます。このあたりは次の機会に詳しく解説したいと思います。 ■複線用架線柱の再リニューアル  かつての伊那大島構内は、最大4線が複線間隔を微妙に変えつつ収束する変則的なレイアウトでしたので、様々な横幅の架線柱が必要になります。今まではいくつかを最大公約数的に使い分けていたのですが、もはや誤魔化しが利かなくなりましたので、トラスが4~8スパンの5種類を作り分けました。  特に難しい構造のストラクチャではありませんが、頂点数が多いので製作が非常に面倒。これまでは手抜きのために、テクスチャの重複読み込みが発生するところも幾つかありましたが、これを機に全面リニューアルしました。 ファイル 41-4.jpg  作業はスパン数の調整と構文の整理がほとんどですので、見た目の印象はあまり変わりませんが、少しだけ追加の精密化を施しました。画像中、矢印で示した三角形の物体がソレ。三方向から集まるアングル材をボルトで結合する際に、土台の役割をする鉄板なのですが、これが有ると無いとでは随分と精密さが違いますね。  比較的解像度の高い透過テクスチャで作られた架線柱を拝見していると、この部分のディテールが潰れずに再現されているものがありまして、前々から「いいなぁ・・・、これ」と思っていたのです。 ファイル 41-5.jpg  更にもうひとつ。運転席視点では何の恩恵もありませんが、先日の119系をOpenBVEで眺めていた時に、架線柱の上部があまりに寂しかったので、補強板を装着しました。  Open~を使用しない場合は全くの無駄どころか、PCの負担増にしかなりませんが、テクスチャは架線柱のパーツ一式を纏めた画像1枚の中に組み込んでいますから、容量は以前と比べても増えていません。頂点数に関しては1箇所あたり4つ。最大8スパンの架線柱で28の頂点が増えますが、このデータを動かすことの出来るGPUにとっては、数十~数百の頂点増は屁でも無いレベルでしょう。  まぁ、無くても良いものですが、あったからといって害になるほどでは無い、と言うことです。  伊那大島は、両開き分岐器を完成させ、信号・標識類をいくつか配置すれば、線路周辺はほぼ完成です。風景については取材漏れがいくつかありましたので、冬の18きっぷシーズンまでお預けかな・・・。  このまま上片桐、伊那田島、大沢信号所の線路周辺だけでも作り込み、とりあえず試運転だけでも出来るようにしてから、駅間の風景を作り込むことにしましょうか。

Yポイント製作中

ファイル 40-1.jpg  独特の電留線をご覧になれば、ピンと来る方もいらっしゃるでしょうか? 七久保からぐぐっと南下しまして伊那大島駅です。「いずれは飯田を起点にしたい」なんて言いながらも、七久保からの距離・駅数を考えると気が遠くなりそうで、くじけないために線路だけでも・・・と、とりあえずココまで引っ張りました。  前方の崖と、その上の料理屋でも作れば一目瞭然なんですが、そのあたりはマァ追々に。  以前から作業中の駒ヶ根駅構内の配線を再現するには両開き分岐器、いわゆるYポイントが必要なのですが、なかなか面倒で製作をズルズルと引き延ばしていました。しかし、伊那大島、そして次の上片桐の線形を整えていると、どうしても両開きが必要になり、重い腰を上げての製作開始です。 ファイル 40-2.jpg  基本的には以前作った片開き8番と同じ造りですが、だんだん慣れてきたのか構文は微妙に洗練され、形状も少し凝っています。ウィング、ノーズといったクロッシング部は、レールを組立てた形態を意識して製作し、微妙な曲げや面取りも再現しました。  作り分けが解りやすいように"setcolor"で着色してみましたが、"CreateMeshBuilder"は2つだけ。つまり白いところ全部でひとくくり、茶色いところ全部でもうひとくくりです。  これはテクスチャ画像の重複読み込みを徹底して排除するため。テクスチャは同じファイル名であっても"LoadTexture"の回数分だけ読み込まれますから、各部レールをいくつもの"CreateMeshBuilder"で分割してしまうと、同じ画像を何度も読み込み、余分にメモリを消費することになります。  ひとつの面やオブジェクトに対してテクスチャ画像を作るのではなく、テクスチャ画像1枚に対して1つの"CreateMeshBuilder"を作る、常に逆順で考えるクセを付けておくと、見た目は複雑でも、効率の良いデータになるはずです。  ひとくくり中の頂点数が数百になると頭がこんがらがりそうですが、まぁ・・・ある程度は慣れます。  先日の119系などを自分で見返してみると、「アホなことやってるなぁ・・・」なんて思うこともありますが、あれくらいの作業量をこなしているうちに、空間把握力や効率の良い頂点の組み方などが自然と身に付いてきますから、全くの無駄にはなっていないと思います。 ファイル 40-3.jpg  前作片開き同様、トングレール先端は厚みを持たせてペラペラ感を軽減させました。立体による造形はここまでで、これから先はテクスチャのお仕事になります。  余談ですが、飯田線内の分岐器の多くは合成樹脂製の枕木(レンガ色のやつです)に交換されていまして、木製枕木のテクスチャ素材を撮影できる機会が減ってきました。特に両開き分岐器ともなれば全体数も多くなく、撮影できる範囲では適当なものを見つけられませんでした。  代替として両開き分岐器の多い関西本線に何度か乗り、見晴らしの良いキハ120の前面窓から駅前後の分岐器を撮りまくりました。クロッシング部は全てマンガン鋼の鋳物が使われていましたが、欲しいのは枕木部だけですので、ちょっとした画像処理で使えそうです。 ファイル 40-4.jpg  最後の写真はリアル伊那大島。313系の先頭助手席側から撮影しましたので、スクリーンショットとは微妙に角度が異なりますが、偶然にも件の分岐器をほぼ真正面から捉えています。  こうして見ると6:4くらいの振り分けにも見えますが、この写真からの判別は難しいですね。例えそうであっても、ストラクチャをそれぞれ作り分けるのは大変ですから、余程偏った振り分け率でない限りは、両開きとして扱ってしまいます。  スクリーンショットでは左手前方向に2本の側線がありますが、現在では撤去されています。かつて左側には上屋付きの貨物ホームがありましたが、櫛形ホームの間は砂利で埋められ、上屋も解体撤去されています。  しかしこの貨物ホームに入るにはジグザグにポイントを渡らなければならず(119系の停車している線はこの先すぐで行き止まり)、地形の制約がある中、無理矢理作った感じです。鉄道が物資輸送を担っていた時代は、街の生活のためにそこまでしたのですね。

食欲の秋@伊那谷

 このところの車両ストラクチャ製作で疲れたので(ホント数字に弱いんです。知恵熱出そう・・・)、気分転換に伊那谷を訪問しました。七久保駅手前の地形やディテールの資料も不足していましたので、取材ついでに「美味いもん食いに行こう」ってなわけです。  (注)今回の記事は食べてばっかりで、あとはコンクリートに萌えただけ。興味のない方は読み飛ばして下さい。  もう先週の話になりますが、10/29(金)の夜から車で大阪を出まして、台風14号に追いかけられるように東進。週末なので高速道路を使っても良かったのですが、高速入ると寝ちゃうので・・・宇治、関ヶ原、恵那峡などを経由しつつ12時間ほど走らせ、木曽谷から権兵衛トンネル経由で伊那谷に入りました。  台風の直撃は免れたものの、岐阜あたりから前線による雨に降られて土砂降りに。しばらく取材はできそうにありませんので、とりあえず朝昼兼で食事を摂ることにしました。 ファイル 39-1.jpg  まずはさくら丼(馬肉丼)かな、ということで今回はお店の新規開拓。中田切のΩカーブ内側にある「来居頂(らいちょう・・・ですよね?)」さんに行ってみました。三州街道沿いに目立つ看板が建っていますので、飯田線の撮影に来られる方々もご存じなのではないでしょうか?  こちらのさくら丼は火を一切通していない刺身。赤身(900円)と霜降り(1100円)が選べるので、今回は霜降りにしてみました。伊那谷は赤身であることが多いので、ちょっと珍しいですね。 気持ち贅沢したつもりでしたが、小鉢・味噌汁・漬物の他にサラダまで付いていまして、なかなかのお得感。そしてメインのさくら丼は写真の通りの凝った盛りつけで、女性店主ならでは?  写真では馬肉のサシが飛んでしまっていますが、薄くスライスされていることもあり溶けるような食感で美味しゅうございました。火を通していませんので馬肉独特のクセが少々あり、おろし生姜で臭みを消します。このあたりは風味と取るか、クセと取るか。好みと慣れ、あとお酒を飲むか飲まないか・・・といった要素で評価が変わってくるのではないでしょうか。 ファイル 39-2.jpg  食後は田切~伊那福岡周辺の追加取材を行ったり、雨に降られて時間つぶしをしたり、なんだかんだとやっているうちに夕食時。お邪魔したのはローメン専門店の「うしお」さん。とりあえず店に入った瞬間に猛烈なケモノ臭に怯む。どうやらモツ煮の臭いのようですが、ちょっと強烈。そしてお世辞にも綺麗とは言えない、小蠅の飛ぶ店内。なんというか、良くも悪くも「昭和の居酒屋」といった雰囲気で、実際お客のほとんどがビールを片手に食事しています。  何を隠そう私はアルコールの一滴も飲めない下戸でして、素面にコレは色々とキツイものがありますが、とはいえココのローメンの評判は方々で聞いていましたので、ローメン(並・大盛り・超・超々とあったので大盛りで)と、せっかくなのでモツ煮も頼みました。  そもそもローメンって何ぞや?なのですが、蒸した中華麺を炒め、肉(原則マトン)とキャベツなどを放り込んだもの・・・、それって焼きそばとどう違うの?と言われると説明が難しい。「食べてみないとワカラン」と言いたくなりますが、ひとつ言えるのは汁気が多いこと。ラーメンのようなスープに浸して食べるタイプと、焼きそばのようなタイプの2種がありますが、後者でもちょっと汁気があります。ちょいと間違うと湯切りの甘いカップ焼きそばになってしまいそうですが、なんだか独特。B級感丸出しで感動するほど美味い!という食べ物では無いのですが、なぜかまた食べたくなるような中毒性があって、伊那谷を訪問すると一度はどこかでローメンを食べてしまいます。  「うしお」のローメンは汁気の少ない焼きそばタイプで、ソースは伊那谷にしては辛みの強いウスター系。モツ煮はよく煮込まれてトロットロ。味はどちらも美味しかったのですが、最後まで店内の臭気が気になって満喫できませんでした。ん~、上級者向け? ファイル 39-3.jpg  翌31日は七久保周辺を散策しましたが、せっかくですので地名のルーツとなった「大宮七窪神社」を朝から訪れました。こぢんまりとした神社ですがナカナカ貫禄があり、また限られたスペースに神社の体を成すに十分な建物類が効率よく配置されているあたり、極めて模型的で好印象です。  周囲を立派な杉林に守られており、雨上がりの湿気を含んだ朝の空気とも相まって、とても静謐な空間でした。煌びやかで荘厳な社殿を持つ立派な神社も見どころはありますが、私はこういった落ち着いた雰囲気の方が好きですね。ちなみに10月上旬には周辺の三社合同で秋祭りが行われ、夜店が並び獅子が舞い、打ち上げ花火まで上がるそうです。来年は日程を合わせて訪問してみたいところですね。 ■コンクリ萌え ファイル 39-4.jpg  七久保から高遠原まで南下しつつ沿線を取材し、お次は上片桐と伊那大島の中間点から、天竜川左岸の支流「小渋川」上流へ車を走らせること約10分、突如谷間に現れるのは「小渋ダム」、堤高105mの立派なアーチダムです。ダムの王様たる黒部ダムが186mもあるので数値上は小さく感じてしまいますが、実際は100m以上のダムなんてなかなか無いもので、間近で見ると本当にデカイ! しかし天端の長さ293mに対して厚みが4mと極めて薄く、「迫力がある」というより「美しい」という印象。アーチは単純な円曲線ではなく3種の曲線を組み合わせたもので、肉眼で見ていても広角レンズを通して見たような感覚に囚われます。ダムの用途は治水・灌漑・発電と多目的。なんとダム湖である小渋湖には諏訪湖の水と同じ量を貯水できるとか。こんなものを人間が造ってしまうのだから凄いものです。  お天気は微妙でしたが、控えめな紅葉と相まってナカナカの景色。左岸・右岸どちらからでも見物・撮影できるのも嬉しいですね。 ファイル 39-5.jpg  外から眺めるだけのつもりで訪問しましたが、この日は地元のお祭りの一環で、運良く堤体内の監査路を見学できるとのこと。狂喜して参加させていただきました。堤体下流側にブスリと突き刺さった四角い柱は、監査路へ降りるためのエレベーターです。昭和44年のダム完成から一度も取り替えられていない(たまに故障する:by案内いただいた職員の方)という、少し年期の入ったエレベーターに乗り込むと約80mを一気に降下、古いデパートのような「チーン!」という到着合図がシュールでしたが、もう扉の外は堤体内の監査路です。細かなコンクリートの打ち目が美しい・・・。  更に斜坑内を階段で20mほど下るとダムの最深部に到達。堤体のアールに沿って曲線を描く監査路には、一定間隔で漏水計が並んでいます。どこのダムでも漏水があるものだそうですが、小渋ダムの漏水は極めて少ないレベルだそうです。頑丈な岩盤と、優秀な施工の結果でしょうか。他にも堤体や岩盤の歪みを計測するプラムラインや、漏水を集めて排出するポンプなど、解説を交えて案内いただき、次に扉を抜けると堤体の外でした。 ファイル 39-6.jpg  ダムを前面から見上げる機会というのはナカナカありません。案内された一番低い位置のキャットウォークでも高さ25m以上あり、マンションでいえば9~10階くらい。十分に高いところなのですが、ここから天端までが高すぎるため、高いところにいる恐怖感は全くありません。それどころか、しばらく眺めているうちにモノのサイズの感覚が麻痺してきます。エレベーターの直下に他の見学者が数名写っているのですが・・・人間ってこんなに小さかったっけ?  昭和44年竣工のダムにしてはコンクリートが白く綺麗に感じますが、常用洪水吐(下段に2門並んだゲート)の制御室などを見ると、まるで一昔前の鉱山施設のようなデザインをしており、それなりに年季の入った建造物であることがわかります。上部の非常用洪水吐は堂々の5門。ここからの放流が必要になったことはまだ無いそうです。どちらのゲートも地形の都合上、右岸側にオフセットされており、先述の三曲線混合アーチと相まって独特のバランスです。これを真下から見上げる機会が来ようとは・・・。う~ん、タマラン! ファイル 39-7.jpg  ダムを堪能して一気に北上、伊那市の東外れにある高遠へ向かいます。某氏は「高遠には城跡と饅頭しか無い」なんて言ってましたが、その城跡の桜は全国的に有名ですし、高遠蕎麦でも知られています。「高遠蕎麦」といえば、なぜか有名なのが会津大内宿。ネギを箸の代わりにして食べるアレです。これは高遠城主であった保科正之氏(お蕎麦大好き。徳川家光の弟さん、玉川上水を造った人といえば分かりやすい?)が、会津藩主となった際に伝えたものがルーツだそうです。  高遠の高遠蕎麦(ややこしい)はネギを箸にはしませんが、辛み大根のおろしと焼き味噌をつゆに入れる「からつゆ」が特徴。そして10月下旬から11月上旬といえば新蕎麦の季節。実はこのタイミングを狙ってきたようなものです。ということで、高遠中心部の「華留運(ケルン・・・読めないよ)」さんへ。城下町を意識した和風の外観とネーミングが違和感バリバリでしたが、店内を眺めて納得。中の造りも和風ですが、壁には山の写真がずらり。なるほど地名のケルンではなく、登山道の石塚が由来なのでしょうね。登山家さんなのかなぁ・・・。  オーソドックスに高遠蕎麦(+かき揚げ)を注文。最初に出てきた蕎麦を見た時は「少なっ」と思ったのですが(失礼)、細い麺が密度高く盛られているため、食べても食べても意外と減らない。蕎麦はプリップリのつるんつるん、この食感は地元じゃなかなかいただけないですね。つゆは少し薄め、味噌を全部投入しても蕎麦の味を殺さない程度の味になるので、個人的には許容範囲。もう一つ用意されたのは、この店オリジナルの「胡桃」のつゆで、濃厚甘口。全部をコレで食べるとクドイでしょうが、からつゆと食べ比べるとコントラストが面白いです。  食後は店のご主人と伊那の衰退ぶりに暗い華を咲かせつつ、桜のソフトクリームをいただきました。カップを機械にポコッと入れる大手メーカーの量産品と思いますが、あえて桜の名所で食べるから良いのです。味は冷たい桜餅。  高遠から飯田線沿線に戻り、しばらく取材活動。データ製作の方は小町屋周辺も未完成ですし、駒ヶ根~伊那市はとりあえず線路を引いただけの状態ですが、資料はこれまでの取材で潤沢に揃いましたので、今回は七久保~上片桐といった南部を中心に取材しました。南北へ行ったり来たりになってしまいますが、車で移動すればアッという間です(それを言うと飯田線の存在意義が・・・)。  陽が落ちるのもめっきり早くなりましたね。日没と共に雨が降り出して、取材は終了。時間は少し早いものの、他に出来ることも無いので夕食を摂ることにしました。今回はまだソースカツ丼を食べていなかったので、メニューは決定。少し足を延ばして三州街道を北上し、地図上では辰野町、飯田線で言えば羽場駅から徒歩10分のところにある「まつくぼ」さんを訪ねました。土砂降りと渋滞の中を移動しましたが、むしろ程良い夕食時の到着となりました。 ファイル 39-8.jpg  ここのカツはデカイと聞いていましたが・・・まさかこれほどとは。飯島食堂と同等かそれ以上、厚さ3~4cm、300g以上のカツがデデンと横たわっています。底の広いドンブリなのでご飯の量もかなりのボリューム、見るからにヤバそうです。  ソースは伊那谷の中でもかなり甘め。私としては「伊那谷のソース=林檎たっぷり=甘口」の図式が脳内に定着していますし、カレー好きのくせに甘口を注文する人間ですので、全く問題なし。むしろこれまでで一番好みの味・・・とも思いましたが、甘いのが苦手な方は、ボリュームも相まってキツイかも? これほど分厚いカツなのに外はサクサク、中までちゃんと熱が通っていて柔らかいのが不思議。惜しむ必要も無いのでガツガツ食べ進めますが、さすがに後半はペースダウン。なんとか完食しましたが、あまりの量に食後はしばらく身動きが取れないくらいになりました。  美味いんだけども、腹のキャパシティ限界のボリュームと、1500円というお値段もあって普段から食べるのはキビシイものがありますが、時々人を連れて行ってネタにするには良いのではないでしょうか。 ファイル 39-9.jpg  11月に入りまして、1日(月)。この日のうちに帰阪したいので、午前中は取材漏れのフォロー、お昼ご飯を食べて帰路につきます。色々一通り食べましたが、最後に寄ったのは飯島駅前の「天龍軒」さん。動画やブログで何度も紹介しているお気に入りのお店です。ここのさくら丼をシメにして帰ることにしました。あくまで個人的な好みですが、馬肉はタタキが一番好きです。馬肉独特の風味がちゃんとあって、かつクセや臭みが無いので非常に食べやすいのです。  今回は盛りつけがチョット雑いですが・・・肉のサイズが揃わなかったのかな? ボリュームとお味はいつも通りでしたので特に気にしていませんが、ハテ。写真奥に鎮座する小惑星イトカワのような物体は、今回が初登場のアイテム「馬ロッケ」・・・馬肉のコロッケです。ネーミングはともかく、味は普通に美味しいコロッケで、やはり熱を通し切るとクセが抜け、良くも悪くも馬肉っぽくはありません。  馬肉らしさを求めて食べると普通すぎて拍子抜けしますが、元々牛肉が希少であった時代に、代用品として食べ始めたのが伊那の馬肉であったわけですから、「普通に美味しい」というのは、ある意味成功しているということかもしれません。まぁ、話のネタに一度ご賞味あれ。  最後に七久保の道の駅「花の里いいじま」にて、安かったので旬の林檎を大人買い。ウチの家族はそれぞれ味の好みが違うので、酸味の強いジョナゴールド、甘口のシナノスイート、中間のシナノゴールドなど、計20個ほど買い込み、もう林檎屋が開けそうなくらい。  味には問題ないけど、見た目のバランスが悪かったり少し当たっていたりと、いわゆるB級品のようなものですが、帰って食べてみるとメチャクチャ美味しい! 甘みや酸味の強さはもとより、水分量が圧倒的。地元のスーパーや果物屋で売っているものは一体何だったのか?と思えるくらい味が違いました。旬のモノを産地で食べるのが、安くて美味いという典型ですね。  平日になってしまいましたので、帰路も一般道で。紅葉の中を走りたい気分でしたので、権兵衛峠から開田高原、下呂を経由して名古屋市内で迷子になり(私は車で名古屋に行ってスンナリ出られた試しがありません)、名阪国道・阪奈道路をすっ飛ばして帰阪しました。  食べてばかりの取材記録になってしまいましたが、既に取材を反映して路線データの製作を再開しています。風景だけにあらず、線路も南北へぐんぐん延ばしていますので、また製作状況を順次アップしていきますね。

119系前面立体化

 前面のジャンパ栓や配管を中心に精密化した119系ストラクチャですが、前回の記事中にも書きましたように、斜めから撮影した従来のテクスチャ画像では、ライト類や幌枠などの突起物が、見る角度によっては妙な見え方になってしまうため、今回はそのあたりを修正していきます。 ファイル 37-1.jpg  まず最初に、実車を真正面から撮影した画像を元に、前面テクスチャを作り直しました。「特定の角度から見た時だけベストに見えるモノ」から、「どの角度から見てもソレナリに見えるモノ」への変更で、進展なんだか後退なんだか・・・。おかげで角度を変えて見ても、明らかに違和感を感じるような箇所はありませんが、斜めから見た時のノッペリ感や、ライトの「余所見してる」ような感じは否めません。 ファイル 37-2.jpg  これ以上の立体感をテクスチャだけで得るのは不可能ですので、次はパーツを立体化していきます。とりあえずライトから手を付けましたが、いきなり頂点打ちを始めるのではなく、調整が簡単な"cylinder"構文を使って位置やサイズ、曲面分割数などを検討します。ライトは実物をよく見るとタダの円筒ではなく、テーパーがかかっていることが多く、多少のデフォルメを加えつつ、それらしく見える寸法を割り出します。 ファイル 37-3.jpg  程良いバランスが決まれば、次は地道に頂点打ちです。今回は『理想の角度から撮ったテクスチャ画像に劣らぬ立体ストラクチャ』とは、どの程度の精密さを要求されるのか? ということの研究を兼ね、円筒部の分割数は20角形と贅沢な仕様にしました。テールライトは16角でも良さそうだったのですが、構文を使い回すために、こちらも20角形で・・・。  ライトというモノは思いのほか複雑な形状をしており、ただの円筒にライトの絵を貼り付けただけでは、それらしく見えてくれません。透明レンズであるヘッドライトは、内部の反射鏡を意識した凹形状に、濃い色付きレンズであるテールライトは、レンズの凸形状をそのまま再現し、各方向から見ても違和感が出ないようにしています。 ファイル 37-4.jpg  最後にそれぞれテクスチャを貼って完成です。これで正面はもとより、右から見ても左から見ても違和感のない、立体的なライトを再現することができました。  ライト1個あたりの頂点数が120。これだけの手間とPCへの負荷かけてまで立体化する必要があるのかどうか、いっそ板ストラクチャで良いのではないか? 想定する画面解像度やPCスペック、車両の使用方法などをよく考えてから作業にかからないと、「たいして効果もないのに重いだけ」のデータに時間を費やすことになってしまいます。 ファイル 37-5.jpg  ライトの立体化だけではペッタンコ感が否めないので、幌枠、貫通路の渡り板、ステップを立体化しました。渡り板の固定が甘く、ちょっと斜めに倒れているのがツボです。ヒンジの部分はテクスチャだけでは立体的に見えませんでしたので、簡単に別パーツで立体化。  各パーツのテクスチャ作りは、簡単なように見えて意外と繊細で、立体化部分が浮いて見えないように微調整を繰り返しました。例えば幌枠の側面ですが、陰影はもとより、窓周りの黒や帯色が照り返してわずかに色を落としているところなど、単色で仕上げてしまっては違和感が出てしまいます。「別パーツなのに、パッと見では1枚の画像に見える」のが目標ですが、それがナカナカ難しい・・・。  大まかなパーツを全て立体化したことにより、どの角度から見ても自然に見えるようになりましたが、それでも手すり類の立体感や方向幕の奥行き感など、一定の角度から撮影した画像1枚よりも、表情に劣るところがチラホラあります。とはいえ、これ以上はキリがありませんので、全方位対応とのトレードと割り切るべきでしょう。まぁ、全体が完成してからポリゴン数に余裕があるようでしたら、手すり類も作ってみましょうか。 ファイル 37-6.jpg  幕とライトの画像を差し替えて、対向列車用のストラクチャも仕立ててみました。車体のテクスチャを、錆や汚れ具合の違うものをベースにすれば、より臨場感が出るでしょうか。  ヘッドライトは光線の表現ができない以上、このくらいで精一杯です。停車中に減光してるのってこんな感じかな? ちなみに、点灯時のヘッドライトは反射鏡がほとんど見えませんので、テールライトと同様、レンズの凸型形状に座標を打ち変えています。  長くなりましたが、これでようやく前面に関しては完成と言えそうです。次は途中放棄したままの右側床下機器と、パンタまわりの製作ですね。全く手を付けていないクハですが、こちらは前面ディテールなどはバッサリ省略して、後追いの視点で見える部分だけに注力しようかと思います。

吹田工場に行ってきました

ファイル 36-1.jpg  昨日はJR西日本の吹田工場が6年ぶりの一般公開ということで、朝から出掛けて参りました。前に吹田工場を訪れたのは実に20年以上も前。1/1スケールに興味がなかった時期があったり、しばらく鉄道趣味から離れていたり、いざ行きたくなった頃には、あの福知山線脱線事故の影響で見送り。本当に久しぶりでした。  入り口すぐの流電モハ52は、過去に見た姿と変わらず良い状態で健在。飯田線ファンとしては嬉しい限りです。吹田工場の保存車が関西由来の原形に戻されているのは納得できるのですが、佐久間レールパークの同型車が(中途半端に)原形改造されたのは結構ショックでした。あのまま東海博物館に入るのはチョットなぁ・・・。  会場は建物の中も外も溢れんばかりの人・人・人で、新聞報道によれば13,000人で賑わったとか。来客層も展示内容もファミリーに重点を置いた感じで、鉄道マニア的には物足りない部分もありましたが、「広報イベント」としては正しい在り方だったように思いました。関係者の方々には大変な週末だったと思いますが、できることなら来年以降も続けていただきたいですね。 ファイル 36-2.jpg  会場内で開催されていた廃車部品のオークションで競り落とした「MC53型主幹制御器」、いわゆるマスコンです。飯田線の快速"みすず"で使われた169系や115系がMC53、そして119系も4段仕様の同系MC53Aですから、どうしてもこの型が欲しくて1年くらい前から探していたのですが、ようやく念願かなって入手できました(出品リストは事前に公表されていましたので、実はコレ目当ての吹田訪問でもありました)。  一部の品では壮絶な空中戦が繰り広げられていたオークションですが、当品は私にとっては安くはないものの、「鉄道ブーム」などと言われる昨今の相場からすれば高くもない、むしろお買い得なくらいでした。朝イチの即売会は見ていませんが、オークションについては殺伐とすることもなく、終始和やかムードで、見ているだけでも楽しめました。  右に置いたブレーキ関係は以前から購入していたもの。ハンドルは格安購入でしたので木部・金属部ともにボコボコ・ボロボロでしたが、削って磨いて新品同様に。部品コレクターの方だとオリジナルの状態に手を入れるのは御法度なのかもしれませんが、私にとっては1/1スケールの模型というか原型というか、そういう位置付けなので仕上げ直しをしたくなるのです。  ブレーキ弁のお頭は、ブレーキ守の形状からしてME48かな? 本当はME49のが欲しかったのですが、未だ見つけられていません。「交換してもいいよ!」なんて方がいらっしゃればご一報下さいませ。 ファイル 36-3.jpg  内部は無数のカム・接点でギッシリ。技術者が何十年もかけて改良してきた最新の車両を貶すつもりは毛頭ありませんが、アナログ一辺倒な古い機械には、独特の凄みや魅力がありますね。  その昔、電気街で購入した折り畳みキャリアーで持って帰りましたが、それでも重くて今日は上半身が筋肉痛です。体重計に載せたところ24kgとのこと・・・。  クロ480-2301といえば、「かがやき・きらめき」編成の小窓車ですね。大昔に写真を撮ったはずですが、管理が悪いのでどっか行っちゃいました。このところ電車そのものについてはテンで疎くなっていますので知りませんでしたが、晩年は国鉄色に戻って雷鳥のA10編成でしたか。「ふつーの雷鳥」が希少に思える日が来ようとは・・・。  さて、このブログに載せているということは、何をしようとしているのかお分かりと思いますが、残念ながら私はマイコンとかプログラミングなんてのはサッパリですので、PCキーボードの回路とスイッチ類をアレコレして何とかしようと企んできます。  ただ抑速ノッチについてはBVE5でどういう扱いになるのかが分からず、仕様がはっきりしてから工作するべきか、それとも、いつでも改造できるようにしておくか悩みます。とりあえずブレーキまわりから・・・、かな?

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