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BVE5用信号機

ファイル 87-1.jpg  風景の立体化が進むに連れて、相対的にペラペラ感が気になっていた信号機のストラクチャを新規製作。ライトのヒサシを立体にしましたので、自線の左右どちら側に配置しても違和感の無い立体感が得られるようになりました。  BVE標準の信号機ではライトの周囲にボンヤリとした光彩がテクスチャ上に表現されていましたが、画面が高解像度化した今となってはリアルとは言えませんので廃しました。副作用として低解像度のディスプレイでは中距離での輝点が小さく視認性が悪くなりますので、フルHDクラスまたはそれ以上の解像度を持つディスプレイ推奨となります。 ファイル 87-2.jpg  信号機本体の製作に合わせて信号柱のリファインと、信号機を支持するアームを新規製作。3つのストラクチャを同一箇所に併記して1つの信号が完成します。アームは信号柱中心軸を原点としていますので、パラメータでy軸回転させてやれば柱から左右にオフセットして設置された信号機も簡単に再現できます。  汎用性の高いストラクチャですので、素材データとして配布します。構文の理解は最低限必要ですが、出来るだけ簡単に配置できる構成にしていますので路線作者の方はもちろん、プレイ専門の方でも少し研究すれば既存のデータと置き換えて遊んでいただけると思います。  残念ながら今のところ3現示の物しか作っていません。飯田線にはこの他4灯の遠方信号機がありますのでソレはいずれ作ることになりますが、その他の種類については余力があれば・・・ということにしておきます。  使用方法、使用条件は解凍したフォルダ中のテキストに記してあります。ご使用の前に必ずお読みいただき、用法・用量を守って正しくお使い下さい。 ●データのダウンロードはこちら ※ZIP形式を解凍可能なアーカイバが必要です。 ※リンクをクリックしても正常にDLできない場合、リンクを右クリック→  「名前を付けてリンク先を保存」(ブラウザにより表現は多少異なります)  を選んで任意の場所に保存して下さい。

入舟トワイライトゾーン

 飯田線には8月の半ばに乗ったばかりですが、先日東京で開催されたBVEオフ会に参加したついでにまたもや乗車。沿線で一泊して伊那市~伊那北を重点的に取材してきましたが、中でも中間地点の入舟はなかなか興味をそそられる地域でした。 ■入舟すてーしょん ファイル 86-1.jpg  伊那市駅と伊那北駅の間を流れる小沢川が天竜川に合流するあたりの地域を入舟と呼び、その名の通りかつては天竜川の船着き場として栄えた街です。舟の時代から鉄道の時代に移ろってからも入舟の繁栄は続き、沿線随一の建築物密集地帯に。飲み屋街が線路ギリギリまで迫り出す様から「路地裏電車」などと呼ばれるほどになりました。 ファイル 86-2.jpg  現在は踏切名に名残を留めるだけですが、伊那電時代はここに「入舟駅」がありました。戦時中の国有化に伴い廃駅となりましたが、70年近く経った今でもプラットホームの遺構が残されています。  しかし現在の伊那市~伊那北間ですら駅間距離はわずか900m。かつてはその間にもう一駅あったとは驚きです。そうした駅過密状態も廃止の大きな理由でしょうが、戦時下としては周囲が歓楽街であった事の方が問題だったのかもしれませんね。 ■デタラメな縦曲線 ファイル 86-3.jpg  入舟踏切の手前、伊那市寄りには小沢川の堤防を越えるための急勾配がありますが、ここの線形は常識で考えると随分と無茶苦茶です。  小沢川にかかる橋は水平、そこから33.0‰で下りますが、普通鉄道構造規則の通りに計算すると、少なくとも100m程の縦曲線長が必要になります。しかし写真から読み取る限りせいぜい20mほど。まるでプラレールの勾配レールのようにグンニャリと曲がっています・・・。  さらに勾配を下りきった踏切手前の縦曲線がヤバイ。まるでBVE2時代のストラクチャよろしく、線路がカクッと折れ曲がっているではありませんか。 ファイル 86-4.jpg  線路図や標識によると33.0‰から4.5‰への切り替えですので、勾配差は28.5‰と少しはマシですが・・・どう見ても5mに満たない縦曲線長。特に速度制限が設けられているわけでも無く、こんな線路に20m級電車を走らせて大丈夫なの!? なんて思ってしまいます。  余りに異様なのでもう少し冷静に、逆方向の伊那北側から少し離れて観察してみるとカラクリが見えてきます。 ファイル 86-5.jpg  なんと踏切の前後に勾配が分割されているというオチ。本当は根本的に線形を改良したいのだけど踏切があるためどうにも出来ない・・・といったところでしょうか。  まぁ五分五分に分割したところで、本来はそれぞれ40mほどの縦曲線が必要になりますから規格外もいいところ。甲乙丙の更に下、飯田線が特殊と言われるのも頷けます。  実質二つの勾配が連続してあるわけですが、資料でも標識でも一つとして扱われています。これが混乱する一因でもあるのですが、いい加減というか何というか、現地を見ないことには理解できない事が時々ありますね。 ファイル 86-6.jpg  BVE5のお陰でこうした変則的な線形も再現できるようになりましたので、早速データに反映してみました。運転台からの視点では分かりにくい勾配ですが挙動の異常さは明確に現れますから、BVE5.3で搭載された「運転士の頭の揺れ」を効かせていると“グラッ”とした大きな揺れを疑似体験できます。 ■やきとりオリンピック  電車を撮るでも無く線路際でカメラをポチポチやっているのは不思議なもんでしょう、取材中に声を掛けられることが幾度となくあります。  時には好意的に、時には怪訝な感じで「何を撮ってるの?」と訪ねられますが、たいてい「飯田線の線路から見える風景を全て撮り歩いている」「模型の製作や絵を描く資料として」といった具合に答えています。厳密に言えば事実と異なりますが、ご年配かつ専門外の方を相手にCGがどうの、シミュレータがどうのというのは理解されにくく無駄に話が長くなるだけ。嘘にならない程度に置き換えて話した方が丸く収まるというものです。もちろん隠すような話でもありませんので、先方が話に乗ってこられた時は「最終的にはコンピュータ上で立体化してですね・・・」といった流れで詳しく説明させていただくこともあります。  意外に思われるかもしれませんが、これまでお叱りを受けたり邪険にされたことはありません。中には気の遠くなる話に呆れ返る方もいらっしゃいますが、概ね沿線の皆様には良くしていただいています。 ファイル 86-7.jpg  この日、入舟踏切の近くで声を掛けて来られたのは一人の老婦人。幸い今回も好意的な印象で、線路沿いを撮り歩いている由を説明すると「ウチも線路のすぐ横なんだよ、もう撮ったかな? 今帰るとこだし付いといでよ!」てな具合でお誘いを受けまして、突然お宅にお邪魔することに。旧入舟駅から徒歩0分。外見はタダの民家ですが、一歩足を踏み入れると小さなカウンターに小さなテーブルが2つ、そしてこれまた小さな小上がりがあってまるで居酒屋のよう。なんでも数年前まで焼き鳥屋を営んでらしたそうです。  「にーちゃんお昼食べた?」昼食は抜いてしまおうと思っていたのですが、いなり寿司に秋刀魚の南蛮漬け、冷たいお茶まであれよあれよという間に出していただいて、有り難くご一緒させていただくことに。 ファイル 86-8.jpg  食べながら元店内を眺めていると、ホント窓のすぐ外に飯田線。ちょうど電車が通過して行きますが、余りに近すぎて213系の台車しか見えません。少し五月蠅いけど「時報だねぇ」と笑い合う穏やかなひととき。しかし貨物が走っていた時代はさぞかし・・・なんて、話題は絶えません。  写真と見紛うほど良く出来た布貼り絵をはじめ、あちこちに「オリンピック」の文字が目に付き何かと思えば、当時の屋号がオリンピック。長野の?と思ったら、戦争突入で幻に終わった昭和15年の東京オリンピックに肖ってのことだと仰る。戦前はレストランとして、焼き鳥屋は昭和30年からとお聞きし、歴史の深さに驚きっぱなし。戦前から三四半世紀、ずっとこの場所で商いを続けて来られたのですね。  小さな電車がトコトコ走っていた伊那電時代、大勢の男子学生を兵隊として入舟駅から送り出したこと、自らも学徒動員で陸軍の伊那飛行場(戦争末期、空襲の激化に備え熊谷陸軍飛行学校を疎開させることになった)建設に携わったこと、華やかだった昭和30~40年代・・・、尽きぬ話はまさに生き字引。  お歳を召したとは言え女性に年齢を聞くのも如何なものかと脳内で逆算してみると、だいたい80代半ばといったところでしょうか。隣を歩いた時は足腰を患ってらっしゃるようで甚だ心配でしたが、座って話し始めると元気溌剌。さすが客商売をされていただけあってテンポが良い。貴重な生のお話を存分に聞かせていただきました。 ファイル 86-9.jpg  店を閉じた後は場所を貸して欲しいとの声も絶たないようですが、頑なに断っているそうです。少し生活感は感じるものの、掃除は行き届いているし壁のカレンダーも今月のもの。入口の内側に掛けた暖簾は「夕方になったら出すんでしょ?」と思ってしまうくらい、半世紀以上にわたるお母さんの記憶とリズムが染みついた聖域なのです。  「私はいつでもココにいるから、また来た時は寄ってね」別れ際にそう言って下さいました。そうだなぁ、私もこの場所はこのままであって欲しい。次の取材時にはこちらの銘菓でも持って、また話し相手にお邪魔しようと思います。お母さん、いや女将さんもどうかお元気で。  オリンピックを後にし、ここは汎用ストラクチャではダメだな・・・と、念入りに周囲を撮影。キッチリ作りたい、思い入れのある場所がひとつ増えました。  残念ながら線路側からではタダの住宅にしか見えませんけど、今は無き表側の看板や提灯、人懐っこいお母さんの笑顔、そして想像するしか無い焼き鳥の匂い・・・、運転する度にそれらを思い出せるようなデータに仕上げたい大切な場所です。

夏休みの遠足

 世間様より少し遅めの盆休みをいただきまして、8/17~20まで長野~新潟~群馬を巡る旅行に出かけてきました。今回はその記録がメインでBVE関係にはほとんど触れませんので、興味の無い方は読み飛ばして下さい。 ■8/17  早朝に大阪府下を出発、いつも通り東海道を乗り継いで豊橋から飯田線519Mに乗車です。119系が全て引退してこの列車も213系になりました。空気バネに転換クロスシートは非常に快適で、地元の方にも好評なのではないでしょうか。 ファイル 85-1.jpg  飯田線内では少しのライフワーク。線路図記述の数値にいくつか誤記と思われる箇所がありましたので、自分の目で正誤確認。また逆に資料は正しいものの線路際の標識が建植ミスと思われるケースもあったため、こちらも目視で地形の再確認です。他にも普通鉄道構造規則を基準に考えるとあり得ない線形に見えるところなど、実地で目視確認しないと納得できない疑問点を潰してきました。それらは別の機会に触れますが、資料や標識も100%の信用はできないものです・・・。  119系時代とは打って変わり、実に快適にのんびりと伊那市まで乗り通して下車、駅前のビジネスホテルにチェックインを済ませ、いつもの飯島食堂へ向かいました。お目当てはソースカツ丼と杏仁豆腐です。 ファイル 85-2.jpg  駒ヶ根・伊那市にはソースカツ丼を供する飲食店が他にもたくさんあり味もボリュームも様々ですが、飯島食堂の夜営業は座敷の個室でゆっくり出来るのが気に入っています(昼はテーブル席の食堂で営業)。これだけのボリュームをテーブル席でガツガツ食べて短時間で退店するのは正直キツイ。  今回初登場の杏仁豆腐は本来3~4人分とのことでラーメン鉢に入っており、まるで湯豆腐のように大きく切られた杏仁豆腐が山盛りに! これを二人で平らげて至福のひととき。杏仁豆腐と言えば温泉卵の白味のようなドロッとしたタイプもありますが、私個人としては角の立った堅めのが好みで、今回のはちょうど良い食感でした。 ■8/18 ファイル 85-3.jpg  ホテルでゆっくり休んで伊那市出発。2日目は岡谷・松本経由で大糸線へ。中央~篠ノ井線の115系は淡緑色の内装が懐かしく、モケットの柄こそ違うものの国鉄時代の印象を色濃く残していました。  大糸線内は残念ながら風情のカケラも無いE127系。18きっぷシーズンにボックス・ロングシート変則合造の2両編成で快適とは言えませんが、穂高、木崎湖に代表される仁科三湖、白馬といった風光明媚な風景が次々と移ろう車窓は、飽きる暇無く乗客を楽しませてくれます。 ファイル 85-4.jpg  白馬を過ぎると列車は姫川の渓谷沿いに北上。川底が透き通って見えるほど水が綺麗で、下車して泳ぎたくなりますね。気の早い話ですが、来年の夏旅行は自転車の輪行と川で泳ぐことを目標にしました。  基本的にローカル線好きな私ですが、中でも複雑な渓谷に沿う区間が一番好きです。関西本線や高山本線、福知山や山陰の旧線も良かったですね。そういう視点で言うと飯田線は南部の一番景色の良いところがトンネルの連続で眺望が期待できませんので、好きな路線としては次点になってしまいます。 ファイル 85-5.jpg  東西JR、電化非電化の境界となる南小谷で途中下車。以前、伊那街道の項で触れた記憶がありますが、大糸線は糸魚川から塩尻へと至る塩の輸送路「千国街道」を鉄道化したもので、南小谷もかつては宿場町でした。現駅舎はなまこ壁調の装飾がされており、旧街道を意識した造りになっているのが分かります。駅から徒歩10分程の「おたり名産館」も同じくなまこ壁の蔵造り風。こちらで蕎麦と天ぷらを昼食にいただきました。 ファイル 85-6.jpg  ざる蕎麦並が650円、大盛りは850円と大変リーズナブル。気持ち太切りで強いコシ、黒い粗挽きの風味高い蕎麦は良い意味で田舎蕎麦といった感じです。  そしてもう一つの名物「特天ぷら」は山菜が12種盛りで500円。葉っぱ?シダみたいなの? 山菜と言うよりむしろ野草といった風貌ですが、それらの知識に乏しいので残念ながらひとつひとつが何なのかサッパリ分かりません。しかし、あっさりしたものから苦みのあるものなどそれぞれに特徴があり、普段なかなか食べることが出来ないことも相まって大変美味しくいただきました。見た目通りボリュームも十分で、蕎麦と天ぷらだけで腹一杯になったのは初めてかもしれません。 ファイル 85-7.jpg  雨が降るよりは嬉しいのですが余りに天気が良いのも考えもので、この日は直射日光がキツイのなんの。名産館で見つけた「栂池雪どけサイダー」なるものを購入して駅へ戻りました。飲んでみると微妙に塩っぽい独特の風味でしたが、成分表示に変わったモノは見当たらず。雪解け水のミネラル分でしょうか?  さて南小谷から糸魚川へはJR西の非電化区間。キハ120に揺られて北上します。相変わらず私の好きな川沿いの区間ですが、このあたりは大雨で線路や橋梁が流され補修しているため、意外と風景が新しく風情に欠けるのが残念です。  そうやって再生を遂げた大糸線北部ですが、北陸新幹線の開業に合わせて廃止が検討されており風前の灯火。糸魚川駅ホームに立てられた「全線開通55周年」の巨大な看板が少し虚しく見えました。  糸魚川からは北陸・信越本線を乗り継いで日本海沿岸を北上、柏崎の手前「青海川」駅で途中下車。長野から新潟へ抜ける際はいつも飯山線を使っていたので(川フェチゆえ)直江津以北は未乗だったのですが、Rock_On氏に勧められて訪問することにしました。  まるで何も無い無人駅ですが「日本一海に近い駅」との触れ込みの通り、ホームのすぐ裏手が海岸になっています。 ファイル 85-8.jpg  日没に合わせて写真を撮りたかったので、それまでに国道8号線沿いの洋食レストラン「ジロー」にて早めの夕食を摂りました。古くからの集落は海岸・駅と同じレベルにありますが、国道8号線といくつかの商店はうんと高い崖の上にあるため、勾配のきつい旧道を15分ほど歩かなくてはなりません。平面地図では徒歩3分くらいに見えるのですが・・・左上画像の右端に見える赤い橋(米山大橋)の高さまで、約15分かけて登らなくてはならないのです。  ステーキセットがオススメとのことで、いつになく豪華な食事になりましたが、セットで1070円は十分リーズナブル。特別高級なお肉では無いでしょうが美味しくいただきました。いつもの「食堂」ではなく「レストラン」というお洒落空間でゆっくり食事というのも悪くありませんね。 ファイル 85-9.jpg  さて日没前後の撮影タイム。米山大橋から青海川駅を見下ろして撮ることが出来れば最高だったのですが、自動車専用道では無いにしても歩道が無く路側帯も狭い、しかも大型車がひっきりなしに通る幹線道とあっては命の危険を感じて却下。代替案として駅前の集落とを結ぶ旧道の中腹から撮影することに。  出発前から天気が心配でしたが、嬉しいことに当日は適量の雲を従えた晴れになり、絶好の写真日和となりました。トワイライトエクスプレスの通過も押さえられるよう時間調整をしたのですが、残念ながらまだ少し日が高く理想的な絵にはならず、もう1ヶ月ほど撮影時期を遅らせると程良い時間帯になるでしょうか。 ファイル 85-10.jpg  日常の喧噪から掛け離れた光景を前に、夢中になってシャッターを切っているうちに夕景から日没、薄暮へと移ろい、やがて辺りは真っ暗に。  忘れた頃にやってくる列車が奏でるMT54の寂しげな音、谷間に響くゆったりとしたジョイント音と甲高いホイッスル・・・。そして虫の声とかすかな波の音だけが最後に残る素敵な空間。3時間近くも滞在しましたが、刻一刻と変化する風景のお陰で一瞬たりとも退屈することはありませんでした。 ファイル 85-11.jpg  青海川からは柏崎、長岡を経由して新潟へ移動。新宿行きの夜行快速「ムーンライトえちご」乗車までの間に、駅徒歩10分の銭湯「みどり湯」でリフレッシュ。汗と潮風でベタベタだったので極楽、極楽。  このみどり湯、建物こそ鉄筋コンクリートの無個性な造りですが、木製の靴箱や男女脱衣場を見渡せる番台、天井の高い浴場に壁面の見事なタイル絵(女湯は富士山!)と、古き良き銭湯のスタイルを実に良く留めています。浴場の造りは浴槽が中央、周囲の壁面に洗い場のある(ほぼ)関西式。気になって新潟の他の銭湯も調べてみると東西式が入り乱れているようで、これが地域的な違いなのか時期的な違いなのか分かりませんが意外な発見でした。ただしケロリンの桶は関西人から見ると大柄な関東バージョンです。 ■8/19 ファイル 85-12.jpg  早朝まで485系に揺られて新宿着。5時台の山手線は既に満員電車で大阪には無い活気に驚くものの、同時に殺伐とした空気を感じてゾッとします。上野から東北本線、小山から両毛線で大回りして睡眠時間を稼ぎつつ高崎に到着。3日目はC61の牽引する「SLみなかみ」に乗車です。  さすがの夏休み中、家族連れが大勢を占めますがとにかく人・人・人の大賑わいです。これが撮影目的ならイラッとくるのかもしれませんが、今回は観光列車に乗りに来ただけですので、これだけ多くの人が鉄道に乗って楽しんでいることに純粋な喜びを感じます。 ファイル 85-13.jpg  スハフのディーゼル発電機が発する騒音を避けるため前から2両目の客車を指定しましたが、上越線の線形の良さに加えて大型機の余裕もあり走りそのものは大人しく、線路際が擁壁や建物で閉塞された場所を除いてドラフト音が一切聞こえないのは寂しいですね。磐越西線も比較的平坦、九州も人吉として復活してからはほぼ平坦線、大井川は小型機ばかりですので、走りの迫力を体感するには山口線が最適かと思います。  車端のオーバーハングが大きい12系客車はジョイント音のリズムが悪いのも不満ですが、これは言っても仕方が無いでしょうか。しかし安全対策か冷暖房維持のためか、下段窓がほとんど開かないようストッパーで制限されているのはSL牽引列車として不満の極み。乗ってしまえばタダの混雑した電車と変わらないのは非常に残念です。 ファイル 85-14.jpg  とまぁ乗車中は不満の多いSLみなかみですが、外から眺めるとなかなかの迫力で、さすがハドソンといったところです。  私個人はスマートなC57と、限界いっぱいなC62の大ファンなので、どこか中途半端感のあるC61への興味は薄いのですが、動輪径とボイラーの太さ、適度に主張する煙突やドーム類のバランスは、一般の方が思い浮かべるSLのイメージに近いのではないでしょうか。最大公約数的な優等生スタイルは貴婦人、王者に並べてなぞらえるなら、差し詰め王子様と言ったところでしょうか? ファイル 85-15.jpg  転車台でのぐるぐる回しショーを見物した後、駅とは利根川を挟んで対岸の食堂「あしま園」にて昼食。昭和の喫茶店といった風貌ですが、こちらの売りは大盛りというか超盛り。私の食べたカレーライスは普通盛りですが、画像の印象よりも皿が深くかなりのボリューム。他の方が注文された大盛りを見てみると、宅配ピザほどの大皿に山盛りのカレーが・・・。ちなみにカレー並は650円で、食後にコーヒーまで付いてお買い得。粘りの強い、いかにも昭和なカレーライスを腹一杯にいただきました。  食後は利根川の景色を見ながらダラダラ歩き「きむら苑」の露天風呂へ。利根川へ注ぐ小川のすぐ横に作られた野趣溢れる露天風呂は夏でも温水プール並みに湯温が低く、川の流れる音と時折通る電車の音をBGMにゆっくり浸かっていられます。 ファイル 85-16.jpg  水上出発はすでに夕方。今回が初乗車の上越線ですが、k_40s2さんの上越国境で幾度となくお世話になった区間ですから只ならぬ既視感。あの方のデータは全体のリアル感もさることながら情報の取捨選択が絶妙で素晴らしいですね。車窓の景色を眺めながら「おぉー、これこれ!」の連続。こういうのがやりたくて風景付きの路線を作っているわけです。  国境のトンネルを超え、夕暮れの中を越後湯沢へ向けて抑速で下っていくMT54の響きが眠気を誘いますが、ここでちょっとしたおやつタイム。水上温泉街の小荒井製菓に立ち寄って購入した「生どら焼き」を車内でいただきました。和菓子は日頃から食べ慣れているので一風変わった「抹茶・カフェオレ」の味付きを試してみましたが、ふんわりしていて美味。要は餡子に生クリームを練り込んでソフトにしたものですが、味・食感はロールケーキに近い感じです。盛夏ということで保冷パックに入れていただきましたが、冷たいままいただくのが美味しいですね。  長岡で乗り換え、3日目は柏崎まで。回転寿司とネットカフェのコンボで安く上げて最終日に備えました。 ■8/20 ファイル 85-17.jpg  ネットカフェに10時間以上滞在して疲れを取り、もう朝とは言えない時間帯に柏崎を出発。信越本線内は115系、直江津からは475系で北陸本線を海沿いに西進して帰阪の予定です。  この日乗車した475系は塗装こそ北陸色に塗り替えられているものの内装はオリジナルに近く、窓際のテーブルや栓抜きが撤去されていないのが良いですね。しかしこの説明書き、どう見ても「セソヌキ」に見えるし、そもそも最近「こじる」って表現は滅多に聞きませんよね。時代を感じるのは当然、一度も交換されていなければ45年モノ。破損したのか盗難に遭ったのか、車内にこの1枚しか残っていなかったのが残念でしたが、まだまだ急行型の残照が息づいています。 ファイル 85-18.jpg  新潟県から富山県に入って最初の駅「越中宮崎」で下車後、海岸沿いを県境方向へ徒歩で逆戻り。日本海側とは思えないほど鮮やかな夏の海が輝いていますが、あまりの暑さに感動も若干抑え気味。20分ほど歩いて県境に程近い「境」地区の栄食堂で道中最後のグルメです。  細かな体裁は気にしない、いかにも庶民の食堂といった造りですが、それもそのはずメインの顧客は前の国道を走るトラッカーの皆様のようです。今回はちょうど昼時の訪問でしたが、お盆の影響が残ってか他のお客は家族連れがひと組だけ。お陰様でのんびり食事させていただきました。 ファイル 85-19.jpg  このあたりの名物は「たら汁」。一人前(800円)の鍋にブツ切りの鱈が4切、1尾分まるまる入った味噌汁ですね。この真夏に如何なものかとも思いましたが、鍋の見た目に反して淡泊な鱈の身を、味噌とゴボウ、白ネギだけで上品に仕上げていますので全くの無問題。「身も凍るような真冬に食べたらさぞ美味かろう」とも思いますが、季節問わずにいただけます。  カジキの刺身は作り置きでは無く注文してから切ってくれました。モチモチしていたので冷凍では無く生かな? 昨晩食べた回転寿司のマグロがイマイチだったので尚更感激。他にも海鮮のフライやら生姜焼きなどをいただき、軽く立ち寄るつもりが随分と本格的に・・・。 ファイル 85-20.jpg  ほぼ1時間に1本の北陸本線。駅からの往復+食事を1時間で済ますのはギリギリなため、もう1本遅らせてゆっくり食事することにしました。  余った時間は栄食堂とは国道を挟んでお向かいの「たから温泉」へ。立ち寄り入浴500円と、温泉にしてはリーズナブルですが、内湯、露天ともに15人はゆったりと入れそうな大きなお風呂はさすが温泉旅館といったところ。ボディソープやシャンプーが洗い場に設置されているのも嬉しいですね。  お湯は無色透明ですが茶色い浮遊物(湯の花)が非常に多く、オーバーフローしたお湯が流れる床面も付着物でヌルッとしています。お湯を舐めてみると海水レベルの塩辛さ。海のすぐ横ですから、ナトリウム系の成分が溶け込んでいるのでしょう。 ファイル 85-21.jpg  たから温泉を後にして越中宮崎駅へ歩いている途中、轟音と共に原色の475系が北上して行きました。身内で北陸本線をBVEデータ化する話が出ておりまして、飯田線用に169系の車両ストラクチャを作るついでに、どうせなら共通部の多い475系でお手伝いをさせていただこうかと思っていたところですが、作りたかった国鉄色の実車はA19編成一本を残すのみ(白青の北陸色は既に取材済)。  この編成、近年の運用はランダムに近い状態で先読みが出来ず出会いは運次第、また既に車齢45年とあっては2014年の北陸新幹線延伸を受けて引退する可能性も濃厚。この機を逃しては撮影の機会が無いかもしれないとの焦りから、急遽予定を変更して原色475系ストーキングを開始しました。 ファイル 85-22.jpg  時刻表で見る限り、直江津まで行って戻ってくる運用のようで、このまま越中宮崎で待つと3時間後。光線の加減から撮影は早いほうが良いので、こちらからお迎えにあがることにしました。糸魚川からデッドセクションを跨ぎ、直流区間に入ってすぐの梶屋敷駅で下車待機。改装されているものの原型を良く留めた木造駅舎と、本当にタダの広場な駅前広場が好印象な田舎駅です。  入線してくる列車を障害物の少ない島式ホームから定点観測的にコマ撮りすれば、側面テクスチャ用の画像を一挙に確保できるためこの駅を選びました。夏の強い光線の都合で100点とは言えませんが、後加工次第で使えるレベルの素材を一通り確保して乗車。途中糸魚川の6分停車でも側面素材を追加、終着富山で前面の撮影をして車体の素材収集は完了です。  富山、金沢で乗り換え敦賀へ至るも、先行列車が鹿衝撃のため30分の遅延が発生。大阪方面への最終乗り継ぎだったため焦りましたが、遅れた米原行き列車では車掌が各乗客に何処まで乗車するかを聞き取り、無線で連絡。たった数名の、しかも18きっぷユーザーのために米原で待ち合わせ接続をしてくれたJR西の姿勢にはいたく感激しました。最後は京都で乗り換え、25時に帰宅。そんなこんなで長い長い、信越上州一周の旅が終わりました。  今回は初訪問の地がいくつもあり、景色よし、列車よし、天気もよし、食事よし、風呂よし・・・と、ここ数年で一番充実した旅行でした。BVE関係の取材も少しですが出来ましたし、これ以上無しといったところ。もう帰宅して1週間以上経っているのに旅の余韻が半端なく、まだ目を閉じるとMT54の眠たい音が脳内に響き渡ります。  たっぷり充電したので、また日々PCに齧り付いてデータの制作を進めなくては・・・と思ったそばから、次は何処に行こうかと妄想しています。

BVE5で色々動かしてみました

 BVE5 IM0.8で作った列車交換の動画、気が付けば投稿から1年が経とうとしています。データの製作はとにかく時間のかかるもので、このところは一駅一年を実感していますが、さすがに時の流れの早さにビックリです。  さて、他列車構文の実装により列車交換が実現した当時は甚く感動したものですが、あれで全てが解決した訳ではありません。例えば動画では尺の都合1分半程度に切り詰めていた飯島駅の停車時間ですが、実際には6分以上もあります。その間構内踏切は閉じっぱなしなのか? 警報機は鳴りっぱなしなのか? スプリングポイントでない駅の分岐器はどうするのか? 色々気になってきますし、そもそも長時間停車をただボ~ッと待つだけでは退屈すぎます。  そうした諸々の問題をできるだけ解消し、よりリアルに、より楽しい路線にするべく、数々の小細工を盛り込んだサンプルを作ってみました。 ファイル 84-1.jpg  七久保駅から南へ、信号所も含めて4駅目の「上片桐」駅を舞台に、90年台末頃まで存在したセメント会社の引き込み線を絡めて寸劇を演じます。サイロ群は路線制作開始当初から既に解体撤去されていましたので資料も乏しく、推測の混じっている部分もあります。テクスチャ類も使用に耐える解像度の実写画像が無いため合成や描き起こしによるものですが、雰囲気は似せることが出来たと思います。  貨物扱い廃止後の姿しかご存じない方にはなかなか新鮮な光景でしょうし、当時を知る方は在りし日の姿を懐かしんでいただけるのではないでしょうか。 今回からYoutubeにも投稿してみました。 ニコニコ動画がエコノミー画質になってしまう方や会員でない方、海外からのアクセスはこちらへどうぞ。(細かいところが動いているので、いずれもフルスクリーン推奨)  BVE5.0で構文の規格がほぼ定まってから9か月、ようやく作者側としても一通り使いこなせるようになった気がします。この間様々な試行錯誤をしていたのですが、その過程で製作時に気を付けるべき点やトラブルの回避法、裏技などもかなり洗い出せましたので、より良いデータ製作のために記事を起こして…なんて思っているのですが、書くことが膨大な上なかなか時間が取れず、纏めるのはもう少し先になると思います。

30年間お疲れ様でした

ファイル 83-1.jpg  春のダイヤ改正まであと数日ありますが、飯田線に於ける119系の運用は先週でほぼ終了しました。週の後半あたりから豊橋に戻った編成から順次浜松へ廃回され、またリバイバル国鉄色のE4編成についても9日金曜日をもって通常運用を離脱し、あとは月末まで団体・臨時便での運用を残すのみとか。  それらの情報を得たのが前日である8日木曜日の夕方。困ったことに9日の運用は早朝~通勤時間帯のみで、朝から大阪を出て豊橋へ向かったのでは間に合いません。仕方なく急ぎの仕事を片付けてカメラ等を準備、この日の最終乗り継ぎの東海道本線で豊橋へ向かいますが、あいにく地元JR西の信号トラブルで新快速がウヤ、京都~米原間を新幹線でワープして何とか豊橋にたどり着きました。 ファイル 83-2.jpg  一泊しても幸先の悪いスタートは尾を引き、9日は早朝から小雨。E4編成の運用は水窪始発→豊橋の512Mと、続いて豊橋-豊川の短距離1往復のみ。少しでも撮影機会を増やすため、512Mを本長篠まで迎えに行って折り返し豊橋まで乗車、豊川往復の407M-410Mには乗車せず、豊橋駅ホームで発車ギリギリまで対向ホームで粘る作戦をとりました。  雨が心配でしたが、車体側面の濡れは最小限で何とか撮影できるコンディション。前面の濡れは気になりましたが、まぁ画像処理で何とかなりそうでしたので、限られた時間で撮ったにしては及第点です。 ファイル 83-3.jpg  ストラクチャに使用するテクスチャ材料の撮影は、どこにどう使用するかを考えながら撮らなくてはなりません。ありがちなのは電車の側面を真横から撮って立体感を失うケース。何を撮るにしても、運転している列車の運転台からの視点にできるだけ近い角度で撮るのが立体的に見せるコツです。  いつもは車体に対して45度くらいの角度をイメージして撮影しているのですが、完成後の立体感が乏しいように感じていましたので、今回は30度くらいの浅い角度で撮ってみました。角度を寝かせすぎると側面のディテールが損なわれるのではないかと心配になったり、望遠で撮ることになるので手ブレが発生しやすくなるなど、何かと勇気が要いりますが思い切って。 ファイル 83-4.jpg  レンズの合焦範囲や遠近補正時に必要な解像度のマージンを考慮して、一度に広範囲を撮ろうとせず、カメラの解像度を天地方向に最大限活用し、長さ方向は後から切り継ぎ合成することを前提に複数枚撮影します。  合成後、窓や戸、諸々の突起物の厚み表現をさらに強化。作業中の画像を見ると厚み部分の幅がやたら大きくて不自然に見えますが、「やりすぎ」くらいを意識して仕上げます。 ファイル 83-5.jpg  ストラクチャデータを書き換え、テクスチャを置き換え。微細な貼り付け位置調整のため何度か編集を繰り返し、同時に色彩を路線データにマッチさせて完成です。不自然に見えた厚み表現も、運転台から対向列車を見る角度ならば極々自然な立体感になります。  さらに踏み込んで窓や戸を頂点編集で凹ませたデータも作ってみましたが、手間の割には余りリアルに見えませんでしたので、テクスチャ上での立体表現に留めています。 ファイル 83-6.jpg  かねてより懸案だった車両データはRock_Onさんが製作して下さることになりましたので、こちらも運転台パネル画像の製作に着手しました。まだまだ素材を仮配置しただけですが、アップ撮りした複数の画像を繋ぎ合わせていますので、可能な限りノイズの少ない実写パネルになる予定です。  実写系かイラスト系か、パネル画像については好みが分かれるところですが、個人的には路線データのイメージに合わせるべきと考えています。つまり路線のテクスチャが実写寄りなら実写パネルで、イラストCGならイラストで、明るさや色相・彩度にしても路線とパネルがマッチしていなければ、それぞれが良い出来であっても不自然になってしまいます。  ですので路線と車両の作者が違う場合でも、パネル画像だけは路線の作者が作るとか、止むを得ず作者が別々になるなら、双方のデータの共有、そして感覚の共有を密にする必要があるのではないかと思います。 ファイル 83-7.jpg  仮配置の段階で解像度が不足していたり、角度がマッチしないなど、足りない素材がいくつか出てきましたので、これも今回の乗車中に補っておきました。できるだけノイズを抑えるためiso200で撮影しますので、まともに撮れるのは停車中のみ。駅に止まる度にターゲットを変え、角度を変え、できる限りの素材を集めておきます。泣いても笑っても、119系を撮影できる機会はもうありません。 ファイル 83-8.jpg  E4編成の国鉄飯田線色に特別な思い入れがあるわけではありませんが、データの公開時にはこの水色の119系を対向列車に設定させていただきます。鉄道ゲーム業界に詳しい方ならご存知と思いますが、なぜかJR東海はこの分野に対して何かと厳しく、あくまで「国鉄飯田線」という設定にせざるを得ないのです。同様に駅名票や看板類、リレーボックス等に表記されたJRロゴやオレンジ色のコーポレートカラーも最終的には塗り潰すことになります。  あまり「グレーゾーン」というのは好みませんので、一度JR東海に掛け合ってみたい考えもあるのですが、どうあってもNGが出た場合、他の東海系データの作者さんにもご迷惑が及ぶ可能性がありますので、今のところ消極的回避の方針です。  「まだ公開しないのか?」とヤキモキされている方もいらっしゃるようで対応に苦慮しているのですが、ちゃんと公開に向けて日々作業していますので、そのへんは安心していただいて良いかと思います。  当たり前ですが「出来たところ」だけをピックアップしてブログのネタにしていますから、一見完成しているように見えて、実は空白地帯だってまだまだあるのです。「これだけは置き換えたい」という初期製作のストラクチャや、仮にお借りしたままの素材もいくつか残っています。BVE4→BVE5への対応作業もまだまだ途中です。車両の件も(ほぼ丸投げですが)やっと光が見えてきたところ。  軽量化作業は全線にわたって完了し、大幅にFPSが向上しました。画像の飯島駅も放置していた細部の作りこみが完了したほか、列車交換がらみのギミックをいくつか新たに盛り込んでいます。  「最低限やることリスト」を消化すべく、ほぼ毎日それなりの時間を取って作業しています。できれば2012年のQ4、遅くとも2013年のQ1にはまとまった形での発表を考えていますので、それまで焦らず気長にお待ちいただけると、こちらも心穏やかに作業が捗ります。何卒ご協力をお願いします。

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