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運転オフ会 無事終了しました

ファイル 82-1.jpg  2月11日~12日と2日間にわたって開催しました【運転オフ会 in 大阪】、合計27名の方にご参加いただき、なんとか無事に終了しました。関西はもとより西は九州、東は関東をはじめとする遠方から、またお仕事の都合を調整して参加いただいた方も多数いらして、本当にありがとうございました&お疲れ様でした。  準備の時間も満足とは言えずバタバタしっぱなしでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか? 「また次も!」というお声も複数聞いておりますので、それなりに成功したのかな?と思っていますが・・・、楽しんでいただけてましたら何よりです。  こういった形式のオフ会は初回ということで、できるだけこちらで細部までお膳立てし、お客様として来て頂けるようにしたつもりです。今回でだいたいの流れは出来たと思いますので、次回以降は一人一役と言いますか、皆様でそれぞれ役割分担して理想的なオフ会に育てて行ってもらえたら嬉しいな~と思っています。  運営面では想定していたよりスムーズに運びましたが、機材については改良の余地ありで、次回までに熟成させて行きます。元々改良予定だったブレーキ弁の接点構造に起因するトラブルはある程度想定していましたが・・・まさかグリス切れでハンドル軸が固着するとは! 30時間の連続運転はこれほど過酷なものかと驚きながらメンテナンスしていました。  こちらとしても、不特定多数の方が連続して使用するには、どれくらいの強度・耐久性が必要なのか把握する、良いテストケースになりました。不調時に運転された不運な方には申し訳ありませんでしたが、次回はより完璧な物をお持ちするってことでご勘弁くださいませ。  打ち上げ&反省会の場で「定例化してもいいんじゃない?」という声が上がりまして、来年以降は5月末の土日開催が濃厚です。東京の忘年会が11月末定例ですので、ちょうど半年交替ですね。ということで、次回は来年2013年5月25~26日(予定)です。 ※業務連絡 会期中にPC周辺機器のUSBレシーバーを紛失された方がいらっしゃいます。終了後の清掃時には見つかりませんでしたので、もし皆様のお荷物に紛れ込んでいましたらご一報下さいませ。(USBメモリくらいの大きさ、色は黒)  では、最後に写真をいくつか。実は自分で撮るのをすっかり忘れていまして、参加された皆様から送っていただきました。プライバシー保護としてボカシを入れてますが、念のため画像サイズも小さめです。 ファイル 82-2.jpgファイル 82-3.jpgファイル 82-4.jpgファイル 82-5.jpgファイル 82-6.jpgファイル 82-7.jpgファイル 82-8.jpgファイル 82-9.jpgファイル 82-10.jpgファイル 82-11.jpgファイル 82-12.jpgファイル 82-13.jpg

電車の窓って汚いね・・・

 BVE5で運転台パネル画像がPNG形式に対応してからというもの、窓ガラス部分を汚したり、反射を表現したデータがチラホラと出現するようになりました。  過去の動画に使ったパネル画像も、ガラス部分に映り込んだ時刻表灯を簡単に表現していましたが、今回は本気で汚れの表現に取り組んでみました。  JR東海の名誉のためにひと言添えておきますと、東海車の清掃・メンテは非常に行き届いていて驚かされるレベルです。しかし長距離山岳路線の飯田線ともなると、どうしても走っている間に汚れてくるのでしょう。時と場合によっては今作のような状態になってしまうのです。 ファイル 79-1.jpg  メインは汚れの染み付いたガラス面にワイパーの拭き跡。汚れた部分の「雨垂れ」の質感をどう表現するかが肝ですが、ゼロからそれらしく描画するのは極めて難しいので、実際に汚れた窓に黒紙を充てて撮影し、データ上で強調加工したものを素材としました。  他にも山岳路線らしく、羽虫の死骸が貼り付いていたり、鳥の糞が落ちていたり、飛沫のような汚れが散らばっていたり、マァなんとも汚い。皆さんも一度カメラの露出を思いっきりアンダーに振って電車の窓を撮影してみて下さい。思った以上に汚れているものです。 ファイル 79-2.jpg  作業中の画像は少々大袈裟なくらいで製作を進め、完成したらパネルとして組み込み、実際にBVEを起動して路線上でイメージを確認。下品にならない程度の透過率に調整して完成です。  景色が明るいところと暗いところでは汚れの見え方が全く変わりますので、色んな路線・場所で試してみると良いでしょう。  ガラス面の反射については上手い方法が見つからず、今のところ再現していません。しかし汚れがあるだけで、自分と景色の間に「何かもう1枚ある」感じがして、臨場感が向上します。また、静止している汚れと動く景色が交差することにより、何も無いのと比較して、よりスピードを感じられるのも良いですね。  虫の死骸や鳥の糞は不快感を感じる方もいらっしゃるでしょうからお好みで。拙作の運転台ではこれらが原寸大で表示されるため、なかなかの不潔感が漂っております(笑)

運転台は仕上げ工程へ

ファイル 77-1.jpg  運転オフ会にお持ちします実物大の119系運転台型コントローラー。実のところ「間に合うかな?」と冷や汗ものだったのですが、日々着々と工作を進めましてようやく仮組みまで漕ぎ着けました。  既に掲載済のマスコンとブレーキ弁の頭・ハンドル、メーターの風防、時刻表灯は実物廃品。それ以外は全て自作になります。実物が入手できれば一番楽なのですが119系は独自仕様の物が多く、また実物の廃車がたくさん出たとはいえ、残念ながら近年のJR東海は部品販売を行わないのが通例となっています。 ファイル 77-2.jpg  左壁面には保安装置などの機器が並びます。空洞になっているところには限流値の切り替えスイッチが入りますが、入手できたカムスイッチはツマミの形状が違う物だったため、実物を模して作り直しているところです。  上方に付けた縦長のスイッチがATS元電源。こちらは実際に配線していますので、運転開始時は電源を投入と同時にチャイム鳴動、警報持続ボタンで停止させる動作を行います。パン上げボタン・連絡ブザーは配線無しのダミーです。 ファイル 77-3.jpg  スイッチ箱も完成しました。ATS確認ボタンをバシッと叩くため強度が必要だろうと想定し、合板でしっかり組んだ木箱にプラ板の化粧を施しています。前照灯・室内灯関係のスイッチはプラ造形のダミー。力を入れて動かそうとすると折れちゃいますので、運転会参加の方はご注意下さい。  ボックス手前のエッジは擦れて地金が露出しているところ、それが錆びているところ、下地塗装の層と灰緑色の層を表現したいので、後日ゆっくり時間を取って塗装します。 ファイル 77-4.jpg  壁面は間延びしがちですので、窓枠のディテールを念入りに再現しました。運転中に注視するようなところではありませんが、やはり板に四角い穴を開けただけではリアリティがありません。開口部の奥行き、折り返されたユニット構造の縁、ガラスを押さえるアルミアングル・・・、出来る限り実車の表情を写し取り、それらしく再現しました。  四隅のRを再現するには手間も技術も必要。さすがに個人で金属のアングルを曲げ加工するのは困難なため、全てプラ工作です。窓押さえのアングルはプラ材から工作して塗装した物ですが、壁面角の突き合わせ部分に取り付けたアングルは汎用のアルミ材。金属の中でもツヤの無いアルミは塗装で質感を模すのが比較的簡単で、違和感なく溶け込んでいます。 ファイル 77-5.jpg  バイザーもほぼプラ工作で纏めました。左右で形状の異なるヒンジも忠実に再現。ディテールを再現する上で必要なパーツであることはもちろん、モニタが存在しない窓上部の目隠しも兼ねています。  前面窓に組み込んだ液晶TVは32インチの物ですが、縦横比16:9だと圧倒的に天地寸法が足りていません。だったらより大きな37/40インチを使えばいいのでは?と思われるかもしれませんが、同じフルHDの解像度で画面サイズを上げてしまうとドットピッチが荒くなり、視聴距離1メートル以下の用途には適しません。  試行錯誤した結果、できるだけドットピッチを狭めることを最優先し、デッドゾーンが出来ないよう窓幅ギリギリの32インチTVを採用、余る上部は目隠しをするのが最善と考えました。  まだ作り込みの必要なところもありますが、この調子なら会期までに仕上げる事が出来そうです。ただマスコンの逆回し抑速についてはマスコン内部の改修が大がかりになるため、間に合うかは不透明。また、より信頼性の高いブレーキ弁構造も思い付いたのですが、そちらもまるっきり作り直しになるので、間に合いそうに無ければ手を付けずに持って行きます。 ※運転オフ会について  今のところ参加決定の方が主催者含め15人強、仕事の都合がクリアできれば参加されるという方も含めれば20人ほどになっています。とはいえ2日間通しで参加される方ばかりではありませんので、まだ人数には余裕があるかと思います。  運転台は完全な状態に仕上げて持ち込みますので、興味を持たれた方は是非ともご参加下さいませ。

お正月は飛騨高山で

 あけましておめでとうございます。12月はスランプ気味で思うように進まなかった路線制作ですが、今年も地味に着実に進めていきたいところです。  三が日は初詣を兼ねて出かけておりました。このところ旅行といえば伊那方面ばかりでしたので、いくら好きな地方とはいえさすがに食傷気味。ここらで気分転換ということで、飛騨高山を中心に岐阜方面を満喫してきました。 75-1.jpg まずは初詣ということで、美濃国一宮の「南宮大社」へお参り。元旦の早朝から東海道本線を乗り継ぎ、大垣のお隣、垂井駅から寒空の下20分歩いて到着です。  金属業の総本宮だそうで、どちらかと言うと樹脂のお世話になる事が多い私ですが、金属加工もちょいちょいやりますので、「フライスと旋盤の扱いが上手になりますようにm(__)m」と拝んでおきました。神頼みでどうこう出来るコトじゃありませんが、まぁ気分で。  テキトーに屋台を冷やかし再び車中へ。岐阜から高山本線に乗り換え、国鉄気動車のエンジン音を子守歌にウトウトしつつ高山到着。高山本線の雪景色が好きなので冬の高山は何度も訪れていますが、たいてい食事だけして2~3時間程度の滞在でしたので、今回は2泊して高山周辺を満喫します。 75-2.jpg 高山での観光というと古い街並みや陣屋が有名ですが、何よりもまずは「食」。トップバッターは高山ラーメン。実は“ラーメン”ではなく“中華そば”と呼ぶのがこの地方では一般的なのですが、その歴史は古く高山で年越し蕎麦と言えば中華そばが出てくるほど。  いくつか見当を付けていたお店は元旦ということで尽くお休みでしたので、町並保存地区近くの「南車」にて一杯。観光地只中のお店で期待できないかと思いきや、鶏がらが香る醤油味の和風スープに細い縮れ麺、極々シンプルな具と、意外にも高山ラーメンのお手本のような一品でした。高山のチャーシューはオマケのようなモノが多い中、割と肉厚で立派だったのも好印象。 75-3.jpg 控えめのボリュームを良いことに、食後は怒濤の串モノ三昧。まずは飛騨牛の串焼きですが、町並保存地区の只中にある「じゅげむ(※注 一部値上がりしてます)」ではロース/霜降り/赤身の3ランクから選べますが、一番安い赤身をいただきました。どうせ私の舌で感じられる違いなんてたかが知れていますし、何千円もするステーキは無理でも、とりあえず「高山で飛騨牛食べた!」という気分になれるのが良いですね。  続いて醤油味のみたらし団子。関西でみたらし団子といえば甘ダレが基本ですからチョット新鮮。甘い五平餅と一緒に食べても嫌気しません。他にも飛騨牛の入ったコロッケなど、店頭売りしている熱々の小物をお行儀悪く食べながら散策するという、小京都らしからぬラフさ加減が心地よいですね。 75-4.jpg 町並保存地区と言っても、食べ物や土産物が並ぶ店頭に大勢の観光客がたかっていては絵になる風景と言い難く、本当の見頃は店舗の閉店後。商売っ気の無いことに夕方4~5時には店じまいとなるため、観光客の減った薄暮の下、電球の明かりに照らされて浮かび上がる木造建築がとにかく美しい。大勢居た観光客はバスで移動してしまったのでしょうか? 高山へ来てこの瞬間を見ずに帰ってしまうのは余りに勿体ない。 75-5.jpg 過度に観光化された保存地区が苦手な方は、宮川支流の江名子川に沿って散策するのが良いかもしれません。石垣で固められた小川の両側は、古き良き町並の中にも普段着の生活感が息づいていて、保存地区とはまた違った魅力があります。  また双方を徒歩で散策しても無理がない程度の距離で、狭い範囲に色々な表情が凝縮されているのが極めて模型的で好感が持てますね。 75-6.jpg 元旦の宿泊は「桜ゲストハウス」。ドミトリーではなく個室で一泊3000円と、正月にもかかわらず超お買い得。飛騨建築の古民家を改装したもので、お風呂は無くシャワーのみですが、客室の内装は新しくとても綺麗。ふかふかの布団でぐっすり眠れました。  ちなみに浅い角度の切り妻屋根に妻入りという、伊那谷の本棟造りと共通点の多い建築様式ですが、間取りの取り方が違うので別のもの。飛騨地方の建築と言えば真っ先に思い浮かべるのが合掌造りですが、アレは山間部の豪雪地帯に限られたもので、「飛騨建築」といえばこのゲストハウスのようなスタイルを指します。 75-7.jpg で、翌日は合掌造りを見るため、朝からレンタカーを借りて白川郷へ向かいました。宿から出ると大雪で、2WDの予約を急遽4WDに変更してもらって出発。以前は結構エグイ勾配の国道を登って行った記憶がありますが、数年前に開通した東海北陸自動車道のおかげで雪深い山間部をほとんどドンネルで抜けていきます。  到着して集落を散策しつつ、やっぱりまず「食」。今度は中華ではなく普通の山菜蕎麦。もうひとつ、牛時雨が入った「飛騨牛めし」も一緒に。すき焼きのような濃厚な甘みがご飯に染み込んでいて美味。 75-8.jpg お腹も心もほっこりしたら、積雪の山道を40分ほど歩いて城山展望台へ。コケる人あり、立ち往生する車あり・・・。色んな意味でヒヤヒヤしながら登り切った高台の展望台から見おろすと、誰もが一度は写真や映像で見たであろう合掌造り集落の全景が広がっており圧巻。どちらかというと有名観光地が苦手な私もこれには唯々感動。写真には撮っていますが、これは生で見ないと分からないと思いますので、皆様是非足を運んでみて下さい。 75-9.jpg 白川郷を満喫の後、高山の北に位置する飛騨古川へ移動。途中の県道は高速道路や国道と違って除雪が甘くかなりの積雪量。タイヤが発するロードノイズが雪に吸収されて、低回転で走っているとホントに静か。  飛騨古川では昨日に引き続き飛騨牛コロッケを購入。こちらは1個120gと大きいのが特徴で、カタマリの肉がゴロッと入っていました。飛騨牛コロッケを売る店は他にも沢山ありますが、これで200円ならかなりお得かな。 75-10.jpg 夕方になって高山市内に戻り、今度は飛騨牛バーガーなるものを食してみました。鍛冶橋近くのオシャレなカフェにて、窓から宮川を眺めつついただく・・・、ビミョーに私には不釣り合いなシチュエーション。バーガーはやや小ぶりですが背が高く、飛騨牛100%のパテは結構厚い。ハンバーガーごときに680円!? という気もしますが、たまにはファーストフードでないハンバーガーも、ちょっとリッチな気分で悪くないものです。  〆は高山に来るといつも寄ることにしている「桔梗屋」の中華そば。まるで昭和映画のセットのような飲み屋街にある庶民的なお店。他店と比べると少し魚介の香りが強く出ていますが、やはり高山ラーメンらしい、素朴でシンプルな味がお気に入りです。 75-11.jpg 体に炭水化物を過剰供給して今夜のお宿へ。前日はシャワーのみでしたから、今度はちゃんとした温泉に・・・ということで、奥飛騨温泉郷の平湯温泉へ。車外の気温は-9度の表示あり、そろそろ凍結の始まる山道を走らせること約1時間で到着したのは「穂高荘倶楽部」。  ここはちゃんとした部屋で宿泊や食事もできますが、私的に有り難いのはネットカフェのフラットブースのような半個室休憩室。なんと1900円で一泊して、大きな露天風呂に何度でも入る事ができるのです。お湯は少しトロみのある白濁湯。温度は少し低めでしたので、雪を見ながら長時間入っていられました。お金はあまり使ってないけど、気分はめっちゃ贅沢。風情々々♪ 75-12.jpg 3日朝にはレンタカーを返却し、また高山本線に乗車。冬に高山を訪れるのは、何より高山本線の雪景色が美しいから。台車が空気バネなのはチョット惜しいところですが、国鉄型のキハ48に揺られ、車窓の絶景を眺めるだけで来た価値があったというものです。  早く帰るなら岐阜経由ですが、高山本線のハイライトは高山~猪谷間ですから、まるまる1日掛けて富山経由で帰阪します。 75-13.jpg 散々食べた“飛騨牛シリーズ”でしたが、最後の〆として高山駅で購入した駅弁「牛しぐれ弁当」を北陸本線の車中でいただきました。ひもを引っ張って5分待てば熱々になるハイテクなアレ。そのぶん上げ底になっているわけですが、まぁこの季節は温かさ重視で行きましょう。飛騨牛“入り”という謳い文句がどの程度なのか怪しいところですが、旅の気分とMT54のBGMもあって美味しくいただきました。  北陸本線→湖西線→東海道本線と経由して3日晩に帰阪。とにかく炭水化物ばかりよく食べた3日間でしたが、久しぶりに「旅行した-!」という気分になれました。冒頭にも書いたことですが、飯田線方面はもはや仕事感覚で行ってますし、自転車で出かけるのもチョット意味合いが違いますので、今回はホント純粋に旅を楽しめました。  気合いも幾らか充電できたことですし、これでしばらく制作活動に打ち込めそうな気がします。  

紅葉・蕎麦・ダム

ファイル 74-1.jpg  11月は妙に忙しかったのですが、勤労を感謝されるべき23日、ようやく気分転換できる時間を確保しましたので、紅葉と新蕎麦を楽しむべく自転車でお出かけしてきました。  早朝に大阪府下の自宅を出発、普段は渋滞でイライラする旧街道はほとんど車も走っておらず快走、まずは嵐山で日の出を迎えます。紅葉のピークにはホンの少し早かったようですが、それなりに色付いた山々と渡月橋のコラボはなかなかのモノ。午前7時頃という時間にもかかわらず、周辺住民の早朝散歩や周辺に宿泊されていたであろう観光客が行き交い、なかなかの人出です。 ファイル 74-2.jpg  嵐山からは戦時中に廃止された旧愛宕山鉄道の路盤跡である清滝道を走って清滝へ。単線の清滝トンネルを除けば複線電化の鉄道でしたが、平均して5~6%の坂道がダラダラと続き、中には10%くらいのところも。ホントに廃線跡か?と疑う急勾配ですが、当時の路盤を丸まま転用しているわけではないのかもしれません。  かつては旅館や料亭で賑わったであろう清滝の集落も、随分と廃屋が目立つようになりました。深い渓谷に沿う旅館街の雰囲気は周辺随一と思っているのですが、もう活性化することはできないのでしょうか。このまま枯れさせてしまうには余りに惜しく、せめて共同で温泉でも掘れば嵐山の奥座敷としてやっていけそうな気もするのですが・・・。(※ポンプで無理矢理汲み上げれば何処でも出てくる大深度温泉を天然温泉と称すことへの疑問はさておき、あくまで一帯を保養地として維持するビジネスの話として) ファイル 74-3.jpg  集落の奥に位置するこの階段は、鉄道と同じく戦中に廃止された愛宕山ケーブルの駅遺構。真ん中が線路を埋めた跡、両側の階段部分がプラットホームです。  全長約2.1kmの路線が現存していれば坂本ケーブルを抜いて堂々の日本最長。山麓には旅館街の他テニスコートやローラースケート場、遊園地(公園的なもの)や水泳場が設けられ、山上にはホテルやテント村、スキー場、そして飛行塔を備えた遊園地がありました。戦前の娯楽って私たちが思っている以上に、随分とハイカラだったのです。  戦時体制と鉄材供出のため全ての施設が廃止されてしましたが、もし戦争が無ければその規模からして「西の軽井沢」となっていたのかもしれません。あの戦争は起こるべくして起こったものですし、あれ無しで今の日本は在り得ないとも思っていますが、やはり犠牲になったものが大き過ぎましたね。 ファイル 74-4.jpg  清滝からは六丁峠を越えて保津川沿いに保津峡へ。短距離ながらも最大斜度18%の峠は、ゼェハァ息を切らして何とか登頂。こっちは必死ですが、後から登って来た揃いのウェアを着たチームの人たちは余裕がありそう・・・、こちらは地べたに座り込んだままご挨拶(笑)  保津峡では嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車をポチリと撮影。植樹のおかげでロクな写真になりませんでしたが、逆に車窓の景色は良さそうですね。露天風客車を総じてトロッコと称するのは好みませんが、それは別として一度乗車してみたいですね。 ファイル 74-5.jpg  保津峡からは柚風呂で有名な水尾の集落を経て神明峠へ。この区間も軒並み10%前後~15%越えのラスボスまで延々と勾配が続く険しい道で、なかなかの貧脚殺し。  軽いギアで何とか登って、棚田の広がる越畑の集落へ。元々茅葺きだったであろうトタン屋根の農家が立ち並ぶ中、実に見事な現役茅葺き農家に出会えたので思わず撮影。立派な長屋門にL字型に組み合わされた入母屋・妻入りの母屋。瓦屋根ならともかく、茅葺き屋根では初めて見るスタイルです。石垣や複数の倉、巨大な銀杏の木も相まって、只々立派。  帰ってから調べてみると、17世紀中頃に建てられた「河原家住宅」とのことで、古民家の中でも最古級だそうです。 ファイル 74-6.jpg  越畑の外れにある「フレンドパークまつばら」にて昼食。11時の開店前に到着しましたが、既に他のサイクリストを含め数人の待ち人が並んでいました。事前情報によれば地元の有志により設立・運営されているとのことで、失礼ながらさほど期待していなかったのですが、実は結構な人気店のようです(食べ終えて店を出る頃には人だかりが! 観光シーズンの休日とあって、30分待ちでは済まないかもしれません)。 ファイル 74-7.jpg  メニューは蕎麦メイン。天麩羅、炊き込みご飯、鍋類もありますが、物によっては季節・曜日限定なので要注意。  今回は蕎麦を堪能したかったので無難にざる蕎麦を大盛りで。地元の畑で収穫された蕎麦を、挽き立て・打ちたて・湯がきたてでいただけるうえ、今がちょうど新蕎麦の季節です。蕎麦は十割、突き出しは揚げ蕎麦、お茶は蕎麦茶という徹底ぶりも素敵。  麺は極細の包丁切り、皮を含まない白い蕎麦です。下手な十割蕎麦はモサモサしていたりブツブツ切れやすかったりしますが、程良いコシがあってツルツル・プリプリの瑞々しい食感が最高。自宅から気軽に行ける範囲で、こんなに美味しい蕎麦を食べられるとは盲点でした。 ファイル 74-8.jpg  食後は南丹市へと北上して世木ダムへ。「えらく背の低いダムだなー」と思われそうですが、実はこのダム、すぐ下流に日吉ダムが新しく建造されたため、堤体のほとんどがダム湖に水没しているという悲しい存在。本来ダムの最上部にあったゲートは取り払われ、水は自然に越流しています。  後方に見える取水口は生きており、約3km離れた発電所へ導水していますので、発電ダムとしての機能は辛うじて維持しています。しかし、第二の人生というよりは生殺しといった印象を抱いてしまいますね。 ファイル 74-9.jpg  ダム湖に沿って西へ走ると、世木ダムを沈めた日吉ダムに到着。堤体そのものは標準的な平成ダムといった風貌で、マニア的にはコレと言って見るべき点はありませんが、周辺は各種グラウンドや体育館、温水プールや温泉施設まで備えた公園として整備されており、地元とダムが共存共栄する希有な成功例となっています。(→スプリングスひよし)  午後の天気は芳しくなく、疲労回復と雨宿りを兼ねて温泉に浸かりましたが、欲後は気が抜けて休憩室で爆睡してしまいました。このところ2日に1回寝るという生活サイクルだったのですが、この日も徹夜明けで限界が・・・。おかげで再スタート時は既に薄暗く、京都・大阪府境を超える頃にはもう真っ暗。街灯一つ無い峠道を戦々恐々と越えて何とか無事に帰宅しました。  走行距離は約110km。(参考:ルートラボ) 先月のしまなみ海道と比べると何てこと無い距離ですが、急勾配が連続するので疲労度は圧倒的に上。脚よりも腰が痛いです・・・。  さて主目的の紅葉ですが、総評すると今年はイマイチ。早い遅いの問題ではなく、紅葉しきらずに落葉してしまったり、まだ色付き始めの木と既に落葉してしまっている木が混在しているなど、“見渡す限りの鮮やかな紅葉”というシチュエーションには巡り会えませんでした。残念ではありますが、それでも「秋らしさ」を体感するには十分でしたので、これ以上はまた来年に期待しましょう。  よく見かける「四季を感じられる日本人は感受性が高い」なんて自慰的理論は眉唾臭いなぁ・・・と思っているのですが、季節の度に出かける用事を作ってくれるのは良い事だと思います。近場であっても行く度に違う表情を見せてくれますので、なかなか飽きることがありません。  この冬は何処へ雪見に行こうかな~? なんて考えていると、国内だけで手一杯。芸能人のように年末年始を海外で・・・という選択肢は候補にのぼりすらしません(実は海外旅行はおろか、飛行機搭乗すら童貞を守り抜いている旧式人なのですよ)。

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