169系に乗る・撮る!
先日信州から帰ったばかりですが、またもや上田市@長野県に滞在中です。9/7の朝に大阪を出発し、豊橋からは先日と同じく飯田線の519M列車に乗車。主な目的は、飯田線臭とでもいいましょうか、飯田線ならではの空気感のようなものを身に染み込ませること。それから119系について先日は撮れなかった側の床下機器他、いくつかの補足資料を撮影することにしました。 飯田からは1本遅らせて115系東日本車に乗り換え。こいつは119系と違ってまだ窓を開けることができるんです。もちろん冷房が入っているため、他の方への迷惑を最小限に抑えるよう車両後部のボックスに陣取り、車掌に断りを入れ、要所要所で窓を開けて沿線風景を撮影しました。7月末に車/徒歩で撮影した際は、道路の併走していない部分は撮れませんでしたので、これでようやく網羅できたのではないかと思います。画像は田切のΩカーブにて。 辰野からは大八廻りで塩尻へ抜け、篠ノ井線からしなの鉄道線に乗り換え、夜になってようやく上田に到着。ここを拠点にしなの鉄道の169系を取材することにしました。
ところが皆様ご存知のように翌8日は台風が信越地域を直撃しまして、朝から晩まで雨、雨、雨。しかもお目当ての169系は3連4本のうち3本が検査入場で不在という運の無さ(うち1本は湘南色に塗り替え中)で、運用激減。そして残る1本も戸倉の電留線で寝ているところを撮ろうと行ってみると、代走の 189系が手前に留置されていて、169系は顔しか見えない状態という・・・。 そんなこんなで8日の撮影はあきらめて温泉で浮いてました(不貞寝ともいう)。「もしやこのまま手ぶらで帰ることになるのか?」と憂鬱になりましたが、翌9日は朝から3連並結、堂々の9両編成が快速「しなのサンライズ」として姿を現し、胸を撫で下ろすことができました。
ところで皆様は165/169系といえばどのような記憶が蘇るでしょうか? 私より上の世代の方ですと急行列車華やかりし頃の本来の姿をご存知の方も多いでしょうか。逆に下の世代ともなると、169系に乗ったことがない方も少なくないでしょう。で、私の世代(阪急6300系世代)としては、中央西線や紀勢線の長距離鈍行列車のイメージが強いですね。たいして利用客もいないのに長大編成で、ボックスひとつ貸切どころか、車輌1両独り占め・・・なんてこともよくありました。旅情たっぷりでしたが・・・マァ良くも悪くも国鉄が色濃く残る時代でありました。 もっとも、しなの鉄道所属の169系は飯田線の快速「みすず」に使用されていた車両そのもので、座席は0系新幹線発生品のリクライニングシートに換装されています。ただ残念なことに私は169系時代のみすずに乗ったことが無く、どちらかというと「ムーンライトえちご」のイメージがしっくり来るでしょうか。隙間風は入ったけど、今の183系より快適だったと記憶しています。まぁそんな思い出もよぎらせながら、MT54の爆音を楽しみつつ長野へ向かいます。「サンライズ」は上田から長野はノンストップで30分強、嗚呼、急行列車ここに健在なり。
さて、ようやく本題ですが、なんでわざわざ169系を追いかけて長野くんだりまでやって来たかと言いますと、先日撮り集めた115系長野色の写真を加工して169系をオブジェクト化すると書きましたが、その下半身となる材料を撮るためです。115系と169系じゃ床下機器がぜんぜん違うのはもちろん、北陸の交直車で代用しようかなどとも思ったのですが、正確性に疑問があると完成してからもモヤモヤしそうでしたので、時間と金はかかってしまいますが現物を撮りにやって来たわけです。 床下の画像も車体と同様、まず全体の配列を確認するため1両の端から端までを収めて数カット撮影します。次に機器を個別に斜め前から・真横から・斜め後ろから・・・といった具合に撮影し、これを3両分、さらに左右両面を撮る必要があります。だいたい片面3両分を撮るのに20分くらい欲しいのですが、問題なのはそれだけの長時間停車があるかどうか、更に片側は必ずホームで見えないので複数の駅で撮り分ける必要があることです。 今回は時刻表と行路表、各駅で調べた発着番線のメモ、そして各駅の構内配置図を照らし合わせて検討し、「しなのサンライズ」始発駅の小諸で送り込み回送~発車の間に山側を、長野駅の折り返し待ち30分は山側の予備時間、最後に車両区のある戸倉で編成分割・引き上げ準備の間に川側をみっちり撮影、朝の3時間だけで満足の行く資料が揃いました。各駅とも余った時間は屋上機器や窓まわりなどのディテールも適宜撮影し、また乗車中は停車時に運転台まわりの写真を撮りまくります。 ■長野電鉄特急「ゆけむり」に乗る
愛しの169系ですが、戸倉に入区すると189系に隠れて見えなくなってしまいますので、夕方までは長野電鉄の「ゆけむり」号に乗るなど、時間を潰すことにしました。 「ゆけむり」って何ぞや? って、要は小田急HiSE車なわけですが、実はワタクシ小田急ロマンスカーって一度も乗ったことが無いんですよ。箱根に行ったのは小田原まで箱根登山鉄道が来てた時代でしたし、そういえば大井川でSE車を見た記憶がありますが、既に千頭の留置線で錆にまみれておりました。そんなわけで初ロマンスカーとなる「ゆけむり」号。長野から湯田中まで約40分程度の行程ですが、もう楽しみで楽しみで。乗車券の他にたった100円の特急券を購入し、大人気なく発車の40分くらい前から改札前に並んで乗車を待ちました。だって展望席も自由席なんですもの。
地方私鉄にしては頑張り過ぎな、昭和の香り漂う地下長野駅を出てしばらく、地下区間を抜けると、これは・・・、ヤバイ! 何がヤバイって、まるで気分はBVE!(いやそれは本末転倒だ) アホほど並んだ甲斐あって好きな座席を選べたのですが、当然運転席を意識して左の通路側に座りました。車掌側からかぶりつける列車は多くありますが、この位置に座ることはなかなかできません。しかも視界に運転士が存在しませんので、まさに運転士気分。コレで他に誰もいなかったら指差喚呼とかしてしまいそうな勢いですよ。もちろん小田急式で(横文字っぽい発音で叫ぶように)。 いやはや、4連に短縮されたとはいえイイ車両ですね、HiSE。恐れ入りました。次は成田のアレが入線するんでしたっけ、観光路線にはどうかな~? ■木造駅舎めぐり
湯田中という駅名からもお分かりのように、終点は温泉地です。駅の横の入浴施設「楓の湯」でひとっ風呂浴びた後は、復路も長野まで「ゆけむり」号を堪能しました。まだ時間に余裕があるのでまた須坂まで逆戻りして、今度は屋代線を訪問。この沿線には古い木造駅舎がいくつか残っていますので、テクスチャ材料として撮影しておきます。写真は大本営で有名な松代駅。非常にオーソドックスなスタイルの駅舎ですから、素材としての汎用性も高くなりますね。
飯田線でもここ数年で木造駅舎が取り壊され、コンクリの待合室に変わった駅がいくつもありますが、木造時代の駅舎を再現するためにはある程度材料が必要になります。 車両ストラクチャの話と被りますが、現物の鮮明なカラー写真があればそれに越したことはありませんが、なかなか思うような角度のものは無いものです。ですから現物の写真をベースに足りないディテールを他から持ってきて補うとか、それすら無理ならイチから描き起こすとか、いろいろ手をかけなくてはいけません。 しかし描き起こすといってもホントにイチからではあまりに大変&難易度が高すぎます。ですから、柱・扉・窓枠・白壁・板壁などといったパーツ単位の素材を沢山ストックしておくと、それらを切り貼りして調整するだけで実写さながらのテクスチャを作ることも可能なわけです。たとえば窓枠。このガラスに反射した風景を自力で描ける人はなかなかの画家ですよ。これも撮影する角度を少しずつ変えると、建物の中が透けて見えたり、鏡のように反対側の景色が映りこんだり、空が映るように工夫すればガラス部分を白く飛ばすこともできます。素材は質も重要ですが、とにかく量! いろんなパターンを集めておいて損はありません。 ■戸倉国民温泉
屋代からはしなの鉄道線に乗り換え、車両区のある戸倉駅へ。長野市をぐるっと一周してくると、ちょうど夕方の大量輸送に備えて借りモノの189系が出区し、後ろの165系が見えるタイミング・・・という按排です。朝にさんざん撮ってはいますが、遠方まで来て撮り残しがあったでは洒落になりませんから、もう一通り軽く流して撮っておきます。朝夕の薄暗い時間帯に床下を撮るとシャッタースピードが遅くなってブレてしまいますが、こういう時は一脚が便利です。ホームに人は少ないですが、構内での三脚使用はマナー的によろしくありませんので・・・。 で、撮影後は信州に来る前から気になっていた「戸倉国民温泉」へ。戸倉駅から歩いて15分ほど、大層な名前ですが、いわゆる大衆浴場の類です。戸倉は昔から有名な温泉地ですが、メインは川向こうの「戸倉上山田温泉」で、ホテル・旅館が温泉街を形成しています。対して川の手前の住宅地にある国民温泉はいかにも地元の人のための温泉で、一回300円とリーズナブル。ただしシャンプーや石鹸、タオルなどは持参する必要があります。 で、安いだけが取り柄なのか?というとトンデモナイ。お湯は豊富な湯量の源泉からの掛け流しで、湯船からは常にお湯が溢れています。またシャワーやカランから出るお湯もすべて温泉そのままで、加水や消毒などは一切されていない、本当に純粋な温泉なのです。適度にトロミのあるお湯は肌の弱い私にもピッタリで、湯上り後もシットリ、かつサッパリ。もうすぐ湘南色の169系も走りますし、しなの鉄道の撮影に行かれて「どこかで風呂にでも・・・」という方、オススメノ温泉です。 さて、本日10日が青春18きっぷの最終日ですので、この日のうちに帰阪します。直江津経由で北陸線に乗り、一応補足資料として急行型の交直車を撮っておこうかと思います。車体が白ベースなので、新長野色に化かすのも楽そうですし。あとは・・・金沢でチャンピオンカレーでも食べるか。










クリーム色のファイルは運転関係線路要図。平成18年に発行されたものなのでデータが想定している時期とは変わっているところもありますが、そのへんは別資料で補うしかありません。貴重なものなのでまず全ページをコピーして・・・と思っていたのですが、面倒になってそのまま持ち歩いています。まぁコレクターじゃないので、いいか。 勾配や曲線はもちろん、信号機の配置や踏切名なども記載されているので路線データを作る際には重宝しています。ただし、基本的に100m単位で描かれた図ですから、これだけで路線データを作るのは難しいでしょう。現地で得た資料と線路図、地図などを組み合わせて25m単位、そして更に細かなデータを作っていきます。 ■その他雑感 図書館へ寄る時間が取れるか微妙だったのですが、皮肉なことに最終日の炎天下に負けまして、撮影を中断して飯島町の図書館へ避難しました。こぢんまりとした規模で蔵書も多くはありませんが、さすがに郷土史は充実していたので楽しませていただきました。 直接資料になるような記事・写真はほとんど無かったのですが、伊那電が開通した当初の写真を多数見ることが出来、また建築様式と地場産業の関連についての記述も興味深かったですね。ネット全盛の現代ですが、それでも紙メディアの持つ説得力も捨てがたいもので、今まで知らなかったことを知る機会であるのはもちろん、「こうなんじゃないかな?」という推論の裏付けを得る機会にもなります。 今回は飯島町だけでしたが、また次の機会に駒ヶ根市、伊那市の図書館も訪れてみようと思います。 取材期間中は毎晩温泉に入っていたのですが、伊那市の三セクが運営する「みはらしの湯」がそこそこお気に入り。循環させているので塩素臭があるのは残念ですが、ヌルヌル感のある泉質は温泉らしさも十分で、湯上後も気持ちよく過ごせました。 特筆すべきは露天風呂。湯船は小さいものの眺望は良好で、駒ヶ岳山麓に位置するため手前に伊那谷、遥か前方には南アルプスを望むという好立地。露天風呂が好きであちこち入りにいってるんですが、周囲の塀や目隠しのせいで折角の開放感が台無しになっているところが多い中、ここは高台にあるので目隠しも低く、半身浴したまま景色を眺められるのが良いですね。また先述の塩素臭も風がさらってくれるので気になりません。 スケジュールを合わせたわけではなく偶然だったのですが、7/31は『みのわ祭り』の花火大会が行われ、露天風呂に入りながら暮れゆく空と打ち上げ花火を眺めるという、最高に贅沢なシチュエーションを堪能させていただきました。会場は伊那市のお隣の箕輪町、駅で言えば伊那松島のあたりですので距離が8kmほどあり、眼前に広がる大迫力・・・とはいきませんが、人混みに押されることもなくゆったりと、なんとも風情あふれる一時でした。 ちょうど帰阪した頃から100歳以上の高齢者が多数行方不明・・・という悲しいニュースが流れていますが、伊那谷では人々の距離が都市部よりも少し近く、ほっこりさせられました。 人口密度は都市部と比べて圧倒的に低いわけですが、それでも撮影していると農作業をされている方や散歩中の方、結構な数の人と顔を合わせるので、目が合っちゃうとお邪魔している立場のこちらとしてはそのまま逸らすのも気不味いですし、不審者扱いされても困りますので軽く会釈しておいたのですが、そうするとほとんどの方が「こんにちは」と声をかけて返して下さるんですよね。すれ違う子供達なんて向こうから「おはようございまーす!」なんて元気に挨拶してくれて、つい唖然として挨拶を返し損ねそうになったりも。 最初はビックリしましたし、私よりもっと若い方だと「面倒くさい」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、4日も現地に密着しているとだんだん自然に挨拶ができるようになるもので、「あ~、こういうのもいいなぁ」なんて思ってしまいました。まぁ防犯の意味もあるかもしれませんが、少なくとも不快に感じることはありませんから、こういう習慣は素晴らしいですね。