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カテゴリー「取材」の記事は以下のとおりです。

169系に乗る・撮る!

ファイル 27-1.jpg  先日信州から帰ったばかりですが、またもや上田市@長野県に滞在中です。9/7の朝に大阪を出発し、豊橋からは先日と同じく飯田線の519M列車に乗車。主な目的は、飯田線臭とでもいいましょうか、飯田線ならではの空気感のようなものを身に染み込ませること。それから119系について先日は撮れなかった側の床下機器他、いくつかの補足資料を撮影することにしました。  飯田からは1本遅らせて115系東日本車に乗り換え。こいつは119系と違ってまだ窓を開けることができるんです。もちろん冷房が入っているため、他の方への迷惑を最小限に抑えるよう車両後部のボックスに陣取り、車掌に断りを入れ、要所要所で窓を開けて沿線風景を撮影しました。7月末に車/徒歩で撮影した際は、道路の併走していない部分は撮れませんでしたので、これでようやく網羅できたのではないかと思います。画像は田切のΩカーブにて。  辰野からは大八廻りで塩尻へ抜け、篠ノ井線からしなの鉄道線に乗り換え、夜になってようやく上田に到着。ここを拠点にしなの鉄道の169系を取材することにしました。 ファイル 27-2.jpg  ところが皆様ご存知のように翌8日は台風が信越地域を直撃しまして、朝から晩まで雨、雨、雨。しかもお目当ての169系は3連4本のうち3本が検査入場で不在という運の無さ(うち1本は湘南色に塗り替え中)で、運用激減。そして残る1本も戸倉の電留線で寝ているところを撮ろうと行ってみると、代走の 189系が手前に留置されていて、169系は顔しか見えない状態という・・・。  そんなこんなで8日の撮影はあきらめて温泉で浮いてました(不貞寝ともいう)。「もしやこのまま手ぶらで帰ることになるのか?」と憂鬱になりましたが、翌9日は朝から3連並結、堂々の9両編成が快速「しなのサンライズ」として姿を現し、胸を撫で下ろすことができました。 ファイル 27-3.jpg  ところで皆様は165/169系といえばどのような記憶が蘇るでしょうか? 私より上の世代の方ですと急行列車華やかりし頃の本来の姿をご存知の方も多いでしょうか。逆に下の世代ともなると、169系に乗ったことがない方も少なくないでしょう。で、私の世代(阪急6300系世代)としては、中央西線や紀勢線の長距離鈍行列車のイメージが強いですね。たいして利用客もいないのに長大編成で、ボックスひとつ貸切どころか、車輌1両独り占め・・・なんてこともよくありました。旅情たっぷりでしたが・・・マァ良くも悪くも国鉄が色濃く残る時代でありました。  もっとも、しなの鉄道所属の169系は飯田線の快速「みすず」に使用されていた車両そのもので、座席は0系新幹線発生品のリクライニングシートに換装されています。ただ残念なことに私は169系時代のみすずに乗ったことが無く、どちらかというと「ムーンライトえちご」のイメージがしっくり来るでしょうか。隙間風は入ったけど、今の183系より快適だったと記憶しています。まぁそんな思い出もよぎらせながら、MT54の爆音を楽しみつつ長野へ向かいます。「サンライズ」は上田から長野はノンストップで30分強、嗚呼、急行列車ここに健在なり。 ファイル 27-4.jpg  さて、ようやく本題ですが、なんでわざわざ169系を追いかけて長野くんだりまでやって来たかと言いますと、先日撮り集めた115系長野色の写真を加工して169系をオブジェクト化すると書きましたが、その下半身となる材料を撮るためです。115系と169系じゃ床下機器がぜんぜん違うのはもちろん、北陸の交直車で代用しようかなどとも思ったのですが、正確性に疑問があると完成してからもモヤモヤしそうでしたので、時間と金はかかってしまいますが現物を撮りにやって来たわけです。  床下の画像も車体と同様、まず全体の配列を確認するため1両の端から端までを収めて数カット撮影します。次に機器を個別に斜め前から・真横から・斜め後ろから・・・といった具合に撮影し、これを3両分、さらに左右両面を撮る必要があります。だいたい片面3両分を撮るのに20分くらい欲しいのですが、問題なのはそれだけの長時間停車があるかどうか、更に片側は必ずホームで見えないので複数の駅で撮り分ける必要があることです。  今回は時刻表と行路表、各駅で調べた発着番線のメモ、そして各駅の構内配置図を照らし合わせて検討し、「しなのサンライズ」始発駅の小諸で送り込み回送~発車の間に山側を、長野駅の折り返し待ち30分は山側の予備時間、最後に車両区のある戸倉で編成分割・引き上げ準備の間に川側をみっちり撮影、朝の3時間だけで満足の行く資料が揃いました。各駅とも余った時間は屋上機器や窓まわりなどのディテールも適宜撮影し、また乗車中は停車時に運転台まわりの写真を撮りまくります。 ■長野電鉄特急「ゆけむり」に乗る ファイル 27-5.jpg  愛しの169系ですが、戸倉に入区すると189系に隠れて見えなくなってしまいますので、夕方までは長野電鉄の「ゆけむり」号に乗るなど、時間を潰すことにしました。  「ゆけむり」って何ぞや? って、要は小田急HiSE車なわけですが、実はワタクシ小田急ロマンスカーって一度も乗ったことが無いんですよ。箱根に行ったのは小田原まで箱根登山鉄道が来てた時代でしたし、そういえば大井川でSE車を見た記憶がありますが、既に千頭の留置線で錆にまみれておりました。そんなわけで初ロマンスカーとなる「ゆけむり」号。長野から湯田中まで約40分程度の行程ですが、もう楽しみで楽しみで。乗車券の他にたった100円の特急券を購入し、大人気なく発車の40分くらい前から改札前に並んで乗車を待ちました。だって展望席も自由席なんですもの。 ファイル 27-6.jpg  地方私鉄にしては頑張り過ぎな、昭和の香り漂う地下長野駅を出てしばらく、地下区間を抜けると、これは・・・、ヤバイ! 何がヤバイって、まるで気分はBVE!(いやそれは本末転倒だ)  アホほど並んだ甲斐あって好きな座席を選べたのですが、当然運転席を意識して左の通路側に座りました。車掌側からかぶりつける列車は多くありますが、この位置に座ることはなかなかできません。しかも視界に運転士が存在しませんので、まさに運転士気分。コレで他に誰もいなかったら指差喚呼とかしてしまいそうな勢いですよ。もちろん小田急式で(横文字っぽい発音で叫ぶように)。  いやはや、4連に短縮されたとはいえイイ車両ですね、HiSE。恐れ入りました。次は成田のアレが入線するんでしたっけ、観光路線にはどうかな~? ■木造駅舎めぐり ファイル 27-7.jpg  湯田中という駅名からもお分かりのように、終点は温泉地です。駅の横の入浴施設「楓の湯」でひとっ風呂浴びた後は、復路も長野まで「ゆけむり」号を堪能しました。まだ時間に余裕があるのでまた須坂まで逆戻りして、今度は屋代線を訪問。この沿線には古い木造駅舎がいくつか残っていますので、テクスチャ材料として撮影しておきます。写真は大本営で有名な松代駅。非常にオーソドックスなスタイルの駅舎ですから、素材としての汎用性も高くなりますね。  ファイル 27-8.jpg  飯田線でもここ数年で木造駅舎が取り壊され、コンクリの待合室に変わった駅がいくつもありますが、木造時代の駅舎を再現するためにはある程度材料が必要になります。  車両ストラクチャの話と被りますが、現物の鮮明なカラー写真があればそれに越したことはありませんが、なかなか思うような角度のものは無いものです。ですから現物の写真をベースに足りないディテールを他から持ってきて補うとか、それすら無理ならイチから描き起こすとか、いろいろ手をかけなくてはいけません。  しかし描き起こすといってもホントにイチからではあまりに大変&難易度が高すぎます。ですから、柱・扉・窓枠・白壁・板壁などといったパーツ単位の素材を沢山ストックしておくと、それらを切り貼りして調整するだけで実写さながらのテクスチャを作ることも可能なわけです。たとえば窓枠。このガラスに反射した風景を自力で描ける人はなかなかの画家ですよ。これも撮影する角度を少しずつ変えると、建物の中が透けて見えたり、鏡のように反対側の景色が映りこんだり、空が映るように工夫すればガラス部分を白く飛ばすこともできます。素材は質も重要ですが、とにかく量! いろんなパターンを集めておいて損はありません。 ■戸倉国民温泉 ファイル 27-9.jpg  屋代からはしなの鉄道線に乗り換え、車両区のある戸倉駅へ。長野市をぐるっと一周してくると、ちょうど夕方の大量輸送に備えて借りモノの189系が出区し、後ろの165系が見えるタイミング・・・という按排です。朝にさんざん撮ってはいますが、遠方まで来て撮り残しがあったでは洒落になりませんから、もう一通り軽く流して撮っておきます。朝夕の薄暗い時間帯に床下を撮るとシャッタースピードが遅くなってブレてしまいますが、こういう時は一脚が便利です。ホームに人は少ないですが、構内での三脚使用はマナー的によろしくありませんので・・・。  で、撮影後は信州に来る前から気になっていた「戸倉国民温泉」へ。戸倉駅から歩いて15分ほど、大層な名前ですが、いわゆる大衆浴場の類です。戸倉は昔から有名な温泉地ですが、メインは川向こうの「戸倉上山田温泉」で、ホテル・旅館が温泉街を形成しています。対して川の手前の住宅地にある国民温泉はいかにも地元の人のための温泉で、一回300円とリーズナブル。ただしシャンプーや石鹸、タオルなどは持参する必要があります。  で、安いだけが取り柄なのか?というとトンデモナイ。お湯は豊富な湯量の源泉からの掛け流しで、湯船からは常にお湯が溢れています。またシャワーやカランから出るお湯もすべて温泉そのままで、加水や消毒などは一切されていない、本当に純粋な温泉なのです。適度にトロミのあるお湯は肌の弱い私にもピッタリで、湯上り後もシットリ、かつサッパリ。もうすぐ湘南色の169系も走りますし、しなの鉄道の撮影に行かれて「どこかで風呂にでも・・・」という方、オススメノ温泉です。  さて、本日10日が青春18きっぷの最終日ですので、この日のうちに帰阪します。直江津経由で北陸線に乗り、一応補足資料として急行型の交直車を撮っておこうかと思います。車体が白ベースなので、新長野色に化かすのも楽そうですし。あとは・・・金沢でチャンピオンカレーでも食べるか。

碓井峠 鉄道文化むら

ファイル 26-1.jpg  29日は横軽周辺にて取材活動。その日のうちに甲府まで移動して宿泊、30日は朝から中央西線経由でひたすら西進して帰阪しました。  レンタカーを軽井沢で返却ついでに、旧軽井沢駅記念館にて旧しなの鉄道のマルタイをみっちり撮影し、その後はバスで横川へ。主ミッションは「碓氷峠鉄道文化むら」でEF58の資料収集です。BVEストラクチャのテクスチャ素材として、いつか作ろうと詰んである1/50スケールのプラモデルの資料として・・・、ありとあらゆる角度で撮影しておきました。後ろに繋げて10系客車が並べられているのはニクイ演出ですね。20系や24系ほどの華はありませんが、「夜行急行」なんて哀愁漂う雰囲気が大好きな車両です。当時としては慣れない軽量設計ゆえに耐久性が乏しく、今となっては現物を見られる機会がほとんど無いのが残念です。 ファイル 26-2.jpg  昼食はおぎのやの「峠の釜飯」、基本中の基本ですね。園内に保存されているお座敷客車「くつろぎ」の車内でいただきました。微妙~に冷房が効いているので、山中とはいえ猛暑と評判の群馬県ですから助かります。  食後は思うところあってクハ189の運転台を撮影したり採寸したり。外装は国鉄特急色にお色直しされていますが、運転台まわりはかなりくたびれています。後から思えば、故障中のシミュレータ(実車運転台を使用したモノ)を見せてもらうよう頼んだ方が良かったかも・・・。お子様達に混じって部品の写真を撮ったりメモを取ったり、客観的に見れば珍妙な光景だったことでしょう。 ファイル 26-3.jpg しかしこの鉄道文化むら、展示車両の多くは客室内や運転室に入れるように整備されているため、じっくり見て回るとまる一日かかりそうですね。大宮に行くよりも濃い一日が楽しめるように思えます。しかし今回は取材メインであり、かつ碓井第三橋梁の見学もしたかったので、他の車両はまたの機会にして切り上げ、信越旧々線を遊歩道化した「アプトの道」を歩きました。往復10kmのハイキングですが、炎天下の下を延々と続く66.7‰の急勾配は徒歩でもキツく、ホントにこんな坂を列車が走っていたの?と疑ってしまうほど。歩きには自信がある方だったのですが、第三橋梁、通称めがね橋に到着する頃にはヘロヘロに。  撮影時はグロッキー状態でしたが、帰路は下りなので割と楽チン。途中の温泉施設「峠の湯」でひとっ風呂浴び、涼しくなる夕方まで時間をつぶしてから横川へ戻りました。横川からの帰路は「時刻表を見ずにどこまで行けるか」的なお遊びで、高崎から八高線経由で中央本線へ、23:30に甲府へ到着しました。最終の小淵沢行きがありましたが、宿も無いところで立ち往生する可能性大でしたので、甲府で一泊することにしました。 ■テクスチャ素材としての写真撮影 ファイル 26-4.jpg ▼ 画像をドラッグすると移動、クリックで拡大表示を終了します。 翌日は塩尻経由で中央西線へ、名古屋から東海道本線で帰阪しました。中央東線の普通列車はほとんどが新長野色の115系で運用されていますが、特急待避の長時間停車が何度かありましたので、テクスチャ用の写真を山ほど撮っておきました。個人的には信州らしく爽やかなこの塗色が気に入っているのですが、好き嫌いが分かれるようですね。  製作中のBVE飯田線は169系で快速「みすず」が運用されていた時代ですので115系は不要なのですが、169系の鮮明な写真が手持ちにありませんので、115系をベースに作ることにします。165/169系と115系、兄弟車ではありますが側面はもちろん、前面もよく見ると細かな差異がありまして、そのあたりは画像処理で何とかしなくてはなりませんね。  何を作る場合でも、現物の鮮明かつ理想的な角度で撮られた写真が残っているのなら、それに超したことはないのですが、そうでなければ現物とはいえ不鮮明なものや立体感ない写真を使うよりも、類似する何かを理想的な条件で撮影し、それをベースに工夫して作った方が結果的には高品質な物を作ることができます。  今回は旅日記状態でBVE的話題がほとんどありませんので、最後にテクスチャ素材の撮影について少し書いてみます。  鉄道写真を沢山ストックしているからといってBVEのテクスチャ素材に困らないかというとそうではなく、むしろそのまま使える写真というのはほとんどありません。光線や陰影の具合や時代設定についてはこれまでも書きましたが、一番重要なのは写真を撮る角度。できるだけ運転台から見た角度に近い角度で撮影しないと、意図した立体感が出せません。列車の場合はナナメ方向から撮影した写真も少なくないと思いますが、遠近で像が小さくなる後半部がテクスチャとして使用に耐える解像度を持っているかというと、まぁだいたいダメでしょう。テクスチャ画像は、テクスチャ画像用に撮影することが望ましいわけです。  上の画像は分解写真・・・ではなく、車輌1両分のテクスチャ素材です。当然ここでは縮小していますが、元画像の解像度は1枚あたり3008x2000ドットで、単にこれは私のカメラの上限値です。メモリも安くなりましたから、こんなところでケチっても仕方ありません。  車体が白いのでディテールを飛ばさないようアンダー気味で撮影。逆に床下を撮る場合はオーバー気味でないとディテールが潰れます。肉眼より遥かにダイナミックレンジの狭いデジタルカメラで車体と床下を同時に撮るのは自殺行為なので、手間はかかりますが別々に撮りましょう。もっとも今回は169系への転用を前提とした撮影ですので、115系の床下は不要。撮影はしていません。  立体感を出すコツは、常に列車に対してナナメにカメラを向け、そのまま列車と並行に移動するように撮影します。まぁ何分割するかは要求される解像度次第で、BVE程度ならここまで細分化する必要な無いとも思うのですが、レンズの歪みによる寸法の狂いを最小限にするためや、遠近による歪みを補正して繋ぎ合わせる際の画質の劣化を最小限に抑えるため、このような撮り方になっています。実際に編集作業をしてみると半分くらいしか使わなかった、なんてこともありますが、まぁ残りは保険というか、精神衛生上の問題ですね。  あとはPhotoshopなど、それぞれ使い慣れたツールで合体させ、色合いを整え、最後の最後に画像サイズを縮小して完成です。「窓やドアを毎回撮影せずに、形は同じなんだから使い回せばいいのでは?」と思われるかもしれませんが、微妙な反射やブラインド、車内の様子がそれぞれ微妙に違います。ひとつの画像を使い回すと「繰り返し感」が出てしまいますので、できるだけ車輌の端から端までを撮影して一枚に繋げるようにします。  駅舎などの横に長い建物も基本的には同じ。差し掛け屋根の柱や吊り下げ看板の類が壁面の前にあって邪魔になる場合は、微妙に位置をずらせて数枚撮影し、「写らないところが無いように」カバーします。小さな建物ですと数枚に分割して撮ることはありませんが、運転台からの位置を意識してナナメから撮影するのは同じです。  こういうのは動画で作業しながら解説した方が分かりやすそうですが、はてさて次の動画はいつになりますことやら? 小町屋周辺の空き地がまだまだ目立ちます。

今季の現地取材完了

ファイル 22-1.jpg  予定通り7/29~8/1までの4日間を伊那谷で過ごし、七久保~伊那市の現地取材が完了しました。駅数にして13駅、距離約25km。線路沿いに道路の無い一部の区間は車でワープしていますが、それ以外は徒歩で往復しましたので、1日あたり10km以上は歩いたことになるでしょうか? 動画で言ってました自転車の輪行は体力的に無理でしたが、これはこれで良いリハビリになりました(とはいえ帰ったとたんに疲労のせいか夏風邪にやられまして、忙しさもあって更新が1週間ほど遅れたワケですが・・・)。  後半2日間は駒ヶ根~伊那市を順不同に撮り歩きました。左の画像は赤木~沢渡間を行く119系ですが、実はワタクシ鉄道写真はほとんど撮らないんですよね。学生の頃まではよく車両メインで撮りに行ったものでしたが、以後模型鉄と乗り鉄がメインになると車両そのものよりも、列車から見える風景とか、鉄道を中心とした一帯の風景に興味を持つようになったため、駅の待ち時間にポチッと撮る程度しかしなくなりました。なので鉄道写真のお作法とかは全然わからないのですが、何となくソレっぽいのが撮れたので掲載してみました。方向幕がチョット残念ですが・・・。  ひとつ資料として注目したいのは、今までは無かったはずの真新しい制限標が立てられていること。ATS-Pの導入に合わせてのことと思いますが、今後数を増やしていくのかもしれませんね。95年前後を再現する当BVEデータでは配置しませんが、気になるのはその制限値。基準ではR400は制限75のはずですが、この標識では制限70となっています。やはり線路規格の低さが影響しているのでしょうか? ファイル 22-2.jpg ■JR最急勾配  碓氷峠ほどのインパクトが無いためマイナーですが、横軽無き今となっては赤木~沢渡間の40‰がJRの最急勾配となっています。ほんの数百メートルの区間ですし、私鉄にはもっと急な勾配がいくらでもありますから、わざわざココを見るために現地を訪れる人も少ないとは思いますが、ただでさえ五月蠅い MT55Aを唸らせて駆け上る119系はなかなかの迫力です。  それはそうと、今回の取材で強く認識したことは、線路からの風景だけではなく、周囲から見た線路の写真も重要だということ。例えば左の画像、線路は築堤になっていて左右の宅地や田畑は一段低いところにあるのですが、高いところから低いところを見た高低差というのは非常に認識が難しいのです。まぁ「低いんだろうなぁ」程度には分かりますが、それが何メートルくらいの差になるのかは全く読めません。 ファイル 22-3.jpg  そこで同じ地点を少し離れたところから撮ったものが左の画像です。見下ろしただけではわかりませんでしたが、かなりの高さの築堤上を走っていることが分かりますね。レール面からトロリ線までの高さを約5mとすれば、それと比較して道路からレールまでの高さも4~5mほどありそうです。  このように、低いところから高いところを見ると、その高低差は一目瞭然です。ですから線路が周囲よりも低い谷の部分を走っているなら、前面展望ビデオや列車からのかぶりつき撮影で地形を捉えることが出来ますが、逆に線路が周囲よりも高い位置にある場合は、離れたところから客観的に線路を撮影しないと、地形を再現したBVEデータの製作には資料として片手落ちということになります。  地形、という点では現状のデータに大きな不満がありまして・・・。北部の飯田線は天竜川右岸の段丘に沿って走っていますが、ということは傾斜地の等高線に沿って走っているということになります。ですから下り列車だと線路の左側が中央アルプスの山麓で高くなり、右側は天竜川ですから低くなっています。例外もありますが、平均すると常に右肩下がりの地平線の中を走っている感じですね。  現在使用している地面や田畑、線路を横断する道路のストラクチャは全て水平に作っていますので、この“ナナメ感”が表現できていないんです。なので傾斜地用のストラクチャを新たに数種類作るか、もしくは現状の横長データを細分化し、高低差を付けて配置するなどの改良が必要です。いずれにしても根本的な部分であり、ほぼ全ての区間で大幅な変更が必要になるので攻めあぐねている状態です。 ■いろいろ食べたよ ファイル 22-4.jpg  まずは、またもやソースカツ丼。前回の「みや川」さんはいかにも大衆食堂といった体裁でしたが、今度は小洒落た喫茶店のようなレストラン「シャトレ」さんでいただきました。相変わらず3cm以上はありそうな厚切りロースのカツが、お店の謳い文句によると200g以上というボリューム満点で盛りつけられています。  特製の甘口ソースは他店より少し辛みの効いた、一般的なウスターソース寄りの味付け。もちろんウスターそのものではご飯の味と喧嘩してしまうので「わずか」な違いなのですが、これが絶妙に食欲を掻き立てるスパイスとなってアッという間に完食。お値段1,000円。  余談ですが伊那のソースが並べて甘口なのは材料に林檎を多用しているからで、調味料ひとつとっても少し調べてみるとご当地色が出てくるのは面白いですね。 ファイル 22-5.jpg  次はこの地域独特の“ローメン”というもの。ラーメンなんだか焼きそばなんだか、少し太めの蒸し麺に肉やキャベツなどを放り込んでソースやスープで味付けしたもの。カツ丼同様に甘口ソース味なんですが、具体的にどんな味?と言われると説明できないもので、気になる方は実際に食べてみて下さい。以前の取材時にも2軒で食していますが、今回は先述の「みや川」さんで。  画像では分かりにくいのですが、定評通りのボリュームで「並」サイズでも1.5人前はありそうな量でした。このお店は全体的に薄味に仕立てられていますが、大盛りなので卓上の調味料で味付けを変えながら完食するという配慮(らしい)。並が620円で大が790円だったか。ちなみに大は男性3人でも腹一杯になりそうなボリューム(一人でモリモリ完食してる強者を目撃しましたが・・・)。 ファイル 22-6.jpg  最後にご紹介するのは伊那名物というよりも、「みや川」名物の“からあげ定食”です。鶏の唐揚げが3つにスパゲティやサラダ、味噌汁にご飯が付いて 680円。まぁ普通というかお買い得というか、そんな感じに思えますが、ツッコミどころは唐揚げのサイズ。分かりにくいので左上に同行者のゲンコツを置きましたが、一般男性の拳と同じくらいのサイズがあるのです。私は男性にしては手が小さい方なので、自分の握り拳の方が唐揚げよりも小さくてちょっとショック・・・。  手前のご飯が茶碗ではなく丼なので、そのあたりからも全体のボリュームを察していただけるかと思いますが、私は唐揚げ1個で腹一杯になりましたので、残りは袋(店に常備!)に入れて持ち帰りました。ちなみに5個盛りで950円というのもありまして、だいたい唐揚げだけで1kgくらいになるそうです。  当然ながら毎回こんなのを食べていたのでは財布も腹も大変なことになってしまうので、コンビニパンとか牛丼250円とか、そういうのを間に挟みながら適当にやっています。 ■取材道具 ファイル 22-7.jpg  以前の動画で「デジカメの容量が足らないんじゃ?」といったコメントをいただきましたが、車で取材する場合はアレコレ荷物を持っていけますのでノートパソコンを携行しています。1日で撮影する枚数が500~1000枚くらいですので、晩になったら泊まり先でパソコンに移し、記憶がハッキリしているうちに駅間毎にデータを区分けして整理しておきます。大容量のSDカードをたんまり買い込んでおけば良いだけの話でもありますが、一応紙メディア以外の資料も入ってるし、ネット環境さえあれば連絡用にもなるし、何かと便利なので携行しています。  カメラはペンタックスのK100D。デジ一眼としてはエントリー機ですが、電源に単三乾電池を使用できるため、予備のエネループを持ち歩けば多い日も安心。それでも足らない場合はコンビニでアルカリ電池を買えばそこそこ撮影できるのが強みです。オートフォーカスがアホな上にペンタミラーでファインダー像が小さいため、マニュアルでのピント合わせに苦労するのが難点で、ペンタプリズムの上位機種に買い換えたい思いもあるのですが、上位機種は電源が専用リチウムバッテリーなので旅先での万一を考えると躊躇します。ペンタプリズムで乾電池OK、ダイナミックレンジ拡大機能の三点が揃った新型が出たら飛びつくかも。 ファイル 22-8.jpg  レンズは2本。周辺全体のイメージを把握する時はシグマの広角ズームで10~20mm、テクスチャの材料を撮る時はタムロンの安物望遠ズームで 28~200mm。2本の間がちょっと足りてませんが、そこは自分が動けば良いだけの話。用途に求められる画質とフットワークを考えればコンデジでも良さそうなんですが、どの製品も広角側が圧倒的に足りないんですよね。あと使いにくかろうがイザという時にマニュアルで撮れるのは心強い。  携行する地図はYahoo!地図を線路に沿って画像化し、駅間毎に繋ぎ合わせてプリントアウトしたもの。別に他の地図でも良いのですが、飯田線沿線に関しては地図データが2001年前後と古く、データが想定している時代設定に近いので重宝しています。今回は持って行きませんでしたが航空写真モードも同じ時期に撮影されたものでしたので、今はなくなってしまった建物が多く写っており貴重な資料になっています。よ~く見れば架線柱も判別できる解像度なのが嬉しいですね。いつ最新の写真データに更新されてしまうかわかりませんので、地図同様に画像化して保存しておきました。 ファイル 22-9.jpg クリーム色のファイルは運転関係線路要図。平成18年に発行されたものなのでデータが想定している時期とは変わっているところもありますが、そのへんは別資料で補うしかありません。貴重なものなのでまず全ページをコピーして・・・と思っていたのですが、面倒になってそのまま持ち歩いています。まぁコレクターじゃないので、いいか。  勾配や曲線はもちろん、信号機の配置や踏切名なども記載されているので路線データを作る際には重宝しています。ただし、基本的に100m単位で描かれた図ですから、これだけで路線データを作るのは難しいでしょう。現地で得た資料と線路図、地図などを組み合わせて25m単位、そして更に細かなデータを作っていきます。 ■その他雑感  図書館へ寄る時間が取れるか微妙だったのですが、皮肉なことに最終日の炎天下に負けまして、撮影を中断して飯島町の図書館へ避難しました。こぢんまりとした規模で蔵書も多くはありませんが、さすがに郷土史は充実していたので楽しませていただきました。  直接資料になるような記事・写真はほとんど無かったのですが、伊那電が開通した当初の写真を多数見ることが出来、また建築様式と地場産業の関連についての記述も興味深かったですね。ネット全盛の現代ですが、それでも紙メディアの持つ説得力も捨てがたいもので、今まで知らなかったことを知る機会であるのはもちろん、「こうなんじゃないかな?」という推論の裏付けを得る機会にもなります。  今回は飯島町だけでしたが、また次の機会に駒ヶ根市、伊那市の図書館も訪れてみようと思います。  取材期間中は毎晩温泉に入っていたのですが、伊那市の三セクが運営する「みはらしの湯」がそこそこお気に入り。循環させているので塩素臭があるのは残念ですが、ヌルヌル感のある泉質は温泉らしさも十分で、湯上後も気持ちよく過ごせました。  特筆すべきは露天風呂。湯船は小さいものの眺望は良好で、駒ヶ岳山麓に位置するため手前に伊那谷、遥か前方には南アルプスを望むという好立地。露天風呂が好きであちこち入りにいってるんですが、周囲の塀や目隠しのせいで折角の開放感が台無しになっているところが多い中、ここは高台にあるので目隠しも低く、半身浴したまま景色を眺められるのが良いですね。また先述の塩素臭も風がさらってくれるので気になりません。  スケジュールを合わせたわけではなく偶然だったのですが、7/31は『みのわ祭り』の花火大会が行われ、露天風呂に入りながら暮れゆく空と打ち上げ花火を眺めるという、最高に贅沢なシチュエーションを堪能させていただきました。会場は伊那市のお隣の箕輪町、駅で言えば伊那松島のあたりですので距離が8kmほどあり、眼前に広がる大迫力・・・とはいきませんが、人混みに押されることもなくゆったりと、なんとも風情あふれる一時でした。  ちょうど帰阪した頃から100歳以上の高齢者が多数行方不明・・・という悲しいニュースが流れていますが、伊那谷では人々の距離が都市部よりも少し近く、ほっこりさせられました。  人口密度は都市部と比べて圧倒的に低いわけですが、それでも撮影していると農作業をされている方や散歩中の方、結構な数の人と顔を合わせるので、目が合っちゃうとお邪魔している立場のこちらとしてはそのまま逸らすのも気不味いですし、不審者扱いされても困りますので軽く会釈しておいたのですが、そうするとほとんどの方が「こんにちは」と声をかけて返して下さるんですよね。すれ違う子供達なんて向こうから「おはようございまーす!」なんて元気に挨拶してくれて、つい唖然として挨拶を返し損ねそうになったりも。  最初はビックリしましたし、私よりもっと若い方だと「面倒くさい」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、4日も現地に密着しているとだんだん自然に挨拶ができるようになるもので、「あ~、こういうのもいいなぁ」なんて思ってしまいました。まぁ防犯の意味もあるかもしれませんが、少なくとも不快に感じることはありませんから、こういう習慣は素晴らしいですね。

七久保~駒ヶ根 取材完了

ファイル 21-1.jpg  日付が変わってしまいましたが…、30日は朝から駒ヶ根を基点に南下し、小町屋・伊那福岡へと線路沿いを歩けるところは往復し、左右両側の風景をくまなく撮影しました。既存部分も資料が不足していた与田切の集落をはじめ、飯島・七久保周辺も再現度を上げるべく再取材を行いました。  画像は与田切川で偶然捉えた119系電車。旧国を追いやったこの電車も遠くないうちに見納め。313系は地元の方にも乗り鉄にも好評のようですが、VVVF車で旅情を感じることが出来ない私はどうしましょう。 ファイル 21-2.jpg  古くからの飯田線ファンにとって聖地といえば田切や伊那松島でしょうか。でも私はBVEから飯田線に入ったようなものですから、聖地といえば七久保と言っても良いくらい、非常に思い入れのある駅です。新長野色の115系が発車していきましたので、「いつもの場所」から写真を撮ってみましたが、こうして “ホンモノ”と比較してしまうと、まだまだ作り込みたい欲が出てきますね。変圧柱がカッコイイなぁ…、作ろうかな。  ちなみにホーム上のミラーはワンマン化に合わせて設置されたものですから、95年前後をイメージして製作している当路線データでは再現していません。 ファイル 21-3.jpg  せっかく飯島町まで足を伸ばしたので、夕食は動画でも紹介しました天龍軒さんで「さくら丼」。実はもう4回目なのですが、相変わらず美味しくいただいております。そういえば動画の中で980円と言ってましたが、今日確認したところ950円でした。お安くなったのか私が覚え違いをしていたのか謎ですが、いずれにせよ更にお求め安い価格設定にご満悦です。  お料理の画像は動画に掲載しましたので、今回はお店の写真をポチッと。ノボリのキャッチフレーズに突っ込んじゃイケマセン。この天龍軒さんを含め、飯島駅前の再開発で商店街がガラッと姿を変えておりまして、15年前の姿を知りたい私を困らせてくれます。時間が取れたら飯島町の図書館にでも行ってみたいところですが…今回はチョット無理かな? 明日(というか今日なのですが)は駒ヶ根から北上し、できれば沢渡あたりまで行きたいと思っています。

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