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紅葉・蕎麦・ダム

ファイル 74-1.jpg  11月は妙に忙しかったのですが、勤労を感謝されるべき23日、ようやく気分転換できる時間を確保しましたので、紅葉と新蕎麦を楽しむべく自転車でお出かけしてきました。  早朝に大阪府下の自宅を出発、普段は渋滞でイライラする旧街道はほとんど車も走っておらず快走、まずは嵐山で日の出を迎えます。紅葉のピークにはホンの少し早かったようですが、それなりに色付いた山々と渡月橋のコラボはなかなかのモノ。午前7時頃という時間にもかかわらず、周辺住民の早朝散歩や周辺に宿泊されていたであろう観光客が行き交い、なかなかの人出です。 ファイル 74-2.jpg  嵐山からは戦時中に廃止された旧愛宕山鉄道の路盤跡である清滝道を走って清滝へ。単線の清滝トンネルを除けば複線電化の鉄道でしたが、平均して5~6%の坂道がダラダラと続き、中には10%くらいのところも。ホントに廃線跡か?と疑う急勾配ですが、当時の路盤を丸まま転用しているわけではないのかもしれません。  かつては旅館や料亭で賑わったであろう清滝の集落も、随分と廃屋が目立つようになりました。深い渓谷に沿う旅館街の雰囲気は周辺随一と思っているのですが、もう活性化することはできないのでしょうか。このまま枯れさせてしまうには余りに惜しく、せめて共同で温泉でも掘れば嵐山の奥座敷としてやっていけそうな気もするのですが・・・。(※ポンプで無理矢理汲み上げれば何処でも出てくる大深度温泉を天然温泉と称すことへの疑問はさておき、あくまで一帯を保養地として維持するビジネスの話として) ファイル 74-3.jpg  集落の奥に位置するこの階段は、鉄道と同じく戦中に廃止された愛宕山ケーブルの駅遺構。真ん中が線路を埋めた跡、両側の階段部分がプラットホームです。  全長約2.1kmの路線が現存していれば坂本ケーブルを抜いて堂々の日本最長。山麓には旅館街の他テニスコートやローラースケート場、遊園地(公園的なもの)や水泳場が設けられ、山上にはホテルやテント村、スキー場、そして飛行塔を備えた遊園地がありました。戦前の娯楽って私たちが思っている以上に、随分とハイカラだったのです。  戦時体制と鉄材供出のため全ての施設が廃止されてしましたが、もし戦争が無ければその規模からして「西の軽井沢」となっていたのかもしれません。あの戦争は起こるべくして起こったものですし、あれ無しで今の日本は在り得ないとも思っていますが、やはり犠牲になったものが大き過ぎましたね。 ファイル 74-4.jpg  清滝からは六丁峠を越えて保津川沿いに保津峡へ。短距離ながらも最大斜度18%の峠は、ゼェハァ息を切らして何とか登頂。こっちは必死ですが、後から登って来た揃いのウェアを着たチームの人たちは余裕がありそう・・・、こちらは地べたに座り込んだままご挨拶(笑)  保津峡では嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車をポチリと撮影。植樹のおかげでロクな写真になりませんでしたが、逆に車窓の景色は良さそうですね。露天風客車を総じてトロッコと称するのは好みませんが、それは別として一度乗車してみたいですね。 ファイル 74-5.jpg  保津峡からは柚風呂で有名な水尾の集落を経て神明峠へ。この区間も軒並み10%前後~15%越えのラスボスまで延々と勾配が続く険しい道で、なかなかの貧脚殺し。  軽いギアで何とか登って、棚田の広がる越畑の集落へ。元々茅葺きだったであろうトタン屋根の農家が立ち並ぶ中、実に見事な現役茅葺き農家に出会えたので思わず撮影。立派な長屋門にL字型に組み合わされた入母屋・妻入りの母屋。瓦屋根ならともかく、茅葺き屋根では初めて見るスタイルです。石垣や複数の倉、巨大な銀杏の木も相まって、只々立派。  帰ってから調べてみると、17世紀中頃に建てられた「河原家住宅」とのことで、古民家の中でも最古級だそうです。 ファイル 74-6.jpg  越畑の外れにある「フレンドパークまつばら」にて昼食。11時の開店前に到着しましたが、既に他のサイクリストを含め数人の待ち人が並んでいました。事前情報によれば地元の有志により設立・運営されているとのことで、失礼ながらさほど期待していなかったのですが、実は結構な人気店のようです(食べ終えて店を出る頃には人だかりが! 観光シーズンの休日とあって、30分待ちでは済まないかもしれません)。 ファイル 74-7.jpg  メニューは蕎麦メイン。天麩羅、炊き込みご飯、鍋類もありますが、物によっては季節・曜日限定なので要注意。  今回は蕎麦を堪能したかったので無難にざる蕎麦を大盛りで。地元の畑で収穫された蕎麦を、挽き立て・打ちたて・湯がきたてでいただけるうえ、今がちょうど新蕎麦の季節です。蕎麦は十割、突き出しは揚げ蕎麦、お茶は蕎麦茶という徹底ぶりも素敵。  麺は極細の包丁切り、皮を含まない白い蕎麦です。下手な十割蕎麦はモサモサしていたりブツブツ切れやすかったりしますが、程良いコシがあってツルツル・プリプリの瑞々しい食感が最高。自宅から気軽に行ける範囲で、こんなに美味しい蕎麦を食べられるとは盲点でした。 ファイル 74-8.jpg  食後は南丹市へと北上して世木ダムへ。「えらく背の低いダムだなー」と思われそうですが、実はこのダム、すぐ下流に日吉ダムが新しく建造されたため、堤体のほとんどがダム湖に水没しているという悲しい存在。本来ダムの最上部にあったゲートは取り払われ、水は自然に越流しています。  後方に見える取水口は生きており、約3km離れた発電所へ導水していますので、発電ダムとしての機能は辛うじて維持しています。しかし、第二の人生というよりは生殺しといった印象を抱いてしまいますね。 ファイル 74-9.jpg  ダム湖に沿って西へ走ると、世木ダムを沈めた日吉ダムに到着。堤体そのものは標準的な平成ダムといった風貌で、マニア的にはコレと言って見るべき点はありませんが、周辺は各種グラウンドや体育館、温水プールや温泉施設まで備えた公園として整備されており、地元とダムが共存共栄する希有な成功例となっています。(→スプリングスひよし)  午後の天気は芳しくなく、疲労回復と雨宿りを兼ねて温泉に浸かりましたが、欲後は気が抜けて休憩室で爆睡してしまいました。このところ2日に1回寝るという生活サイクルだったのですが、この日も徹夜明けで限界が・・・。おかげで再スタート時は既に薄暗く、京都・大阪府境を超える頃にはもう真っ暗。街灯一つ無い峠道を戦々恐々と越えて何とか無事に帰宅しました。  走行距離は約110km。(参考:ルートラボ) 先月のしまなみ海道と比べると何てこと無い距離ですが、急勾配が連続するので疲労度は圧倒的に上。脚よりも腰が痛いです・・・。  さて主目的の紅葉ですが、総評すると今年はイマイチ。早い遅いの問題ではなく、紅葉しきらずに落葉してしまったり、まだ色付き始めの木と既に落葉してしまっている木が混在しているなど、“見渡す限りの鮮やかな紅葉”というシチュエーションには巡り会えませんでした。残念ではありますが、それでも「秋らしさ」を体感するには十分でしたので、これ以上はまた来年に期待しましょう。  よく見かける「四季を感じられる日本人は感受性が高い」なんて自慰的理論は眉唾臭いなぁ・・・と思っているのですが、季節の度に出かける用事を作ってくれるのは良い事だと思います。近場であっても行く度に違う表情を見せてくれますので、なかなか飽きることがありません。  この冬は何処へ雪見に行こうかな~? なんて考えていると、国内だけで手一杯。芸能人のように年末年始を海外で・・・という選択肢は候補にのぼりすらしません(実は海外旅行はおろか、飛行機搭乗すら童貞を守り抜いている旧式人なのですよ)。

伊那谷再訪

 先日はまるで梅雨のような雨続きにやられ、空振りの取材となってしまいましたが、台風も一過、ようやく晴れの予報が続きましたので再び伊那谷を訪れました。仕事? 仕事・・・・ってなんだっけ。  7日の夕方に大阪を出発、豊橋で一泊して8日朝6:00の飯田線に乗車、天竜峡・飯田で乗り換え、10時過ぎには伊那大島に到着です。18きっぷシーズンの上諏訪・豊橋直通519M列車は混み合いますから、自転車を輪行しての乗車は気を遣います。スケジュールが許すなら、今回のように他の乗り継ぎ列車にするのが良いでしょう。 ▼秋ですね ファイル 69-1.jpg  しばらく涼しい日が続いたからでしょうか、稲穂は黄金色に実り、ススキが丈を伸ばし、秋桜は花を咲かせ、あちらもこちらもすっかり秋めいてきました。風情があって良いものですが、テクスチャ材料としては画像を修正しないと季節感が狂ってしまうので面倒です。  初日の取材は伊那大島~上片桐~伊那田島の3駅間と、飛んで小町屋、駒ヶ根あたりを自転車で廻ってみっちりと。特に伊那大島・上片桐は比較的駅周辺が栄えているため建物も多く、鉄道林で隠れている区間以外は、ほとんど歩いて取材をするのと変わりません。 ▼赤蕎麦 ファイル 69-2.jpg  上片桐~伊那田島間では伊那谷の名産「高嶺ルビー」と呼ばれる“赤蕎麦”が花を付けておりました。まだ七分咲きといったところですが、一面の赤い絨毯はなかなかの見物。  花だけではなく実も赤く、作った蕎麦も少し赤味を帯びていて香りが高いとのこと。一度食べてみたいのですが、普通の蕎麦に比べると面積あたりの収穫量が1/3程度ということもあり、新蕎麦の季節でないと食すことができません。だいたい9月下旬から10月上旬でしょうか、いずれは機会を作りたいですね。 ▼みや川 ファイル 69-3.jpg  晩飯は何度も登場しています伊那市の「みや川」にて。地のモノでも何でもない「ハンバーグ定食」ですが、昼食を抜いた上、1日中自転車に乗っていたので空腹に耐えかねて、つい・・・。  写真ではわかりませんが、ハンバーグは長さ15センチ、厚みが3~4センチくらいの巨大なもの。ご飯を小にしましたが(通常だとドンブリに山盛り)それでも終盤はフードファイト状態に。  これでお値段580円→ご飯小で50円引きの530円です。とにかく安くで腹一杯になりたい時はココですね。  宿泊は南箕輪、木ノ下~北殿間の漫喫に連泊です。 ▼温泉 ファイル 69-4.jpg  9日は駒ヶ根~沢渡間を線路沿いに取材。朝夕は日光の黄味と影が強すぎて良い写真が撮れないため、実質的に活動できるのは10~15時くらいに限られてしまいます。曇天なら早朝~日没まで、それなりに使える写真が撮れるのですが、まぁあまり贅沢を言って雨に降られては困りますので、我慢しましょう。  なんとか満足のいく写真素材を撮り集め、早めに活動を切り上げて伊那市の「みはらしの湯」でマッタリしてきました。伊那市の中心部から約7kmとお手軽な距離ですが、中央アルプスの裾野、標高900m(伊那市駅からの標高差は約260m)の高台にありますので、ずっと上り坂です。体力・脚力が十分ではありませんのでかなりキツイ行程ですが、汗だく→温泉の爽快感はたまりません。  露天風呂や休憩室からは伊那谷と南アルプスが一望でき、黄昏時から夜景への移ろいを風呂からボ~ッと眺めるのは、なんとも贅沢な時間の使い方ですね。 ▼サイクリング ファイル 69-5.jpg  10日は18きっぷの最終日。この日のうちに帰阪しないといけませんが、七久保で撮りたいものがあったので、朝から自転車で南下。伊那市街の一部を除いて国道153号の路側帯が狭く、しかも大型車がやたら多いのは前の2日間でよくわかりましたので、天竜川左岸の県道18号を走行。比較的直線・平坦な右岸の国道153号とは打って変わっての田舎道で、伊那・駒ヶ根市境の「火山峠(ひやまとうげ)」をはじめ、常にアップダウンの繰り返しになります。  国道より時間はかかりますが交通量が少なく安全で、なにより左に南アルプス、右に天竜川と中央アルプス、周囲には森や田圃と最高のロケーション。観光で伊那谷を訪れる方は、是非とも国道ではなくこちらを満喫して欲しいですね。ただし松川町内には離合不能な区間が多数ありますので、自動車の場合、運転に自信のない方は要注意です。  同ルートは自転車の練習コースになっているのか、短い間に5人のロード乗りとすれ違いました。お互いメットを下げてご挨拶。中には交流を嫌う方もいらっしゃるでしょうが、同じ趣味の方とすれ違うと、上り坂の途中でも「もうちょっと頑張ろう」という気になります。  飯島町に入って天竜川右岸へ移り七久保駅へ。駅周辺で数カット撮影して自転車での取材は完了です。この3日間で合計160kmほど走りましたが、乗って降りて撮っての繰り返しの割には、よく走れた方です。  午前のうちに上諏訪発の豊橋直行に乗車、快適な313系ですから、そのまま乗っていても良かったのですが、中部天竜の旧貨物ホーム上屋を撮っておきたかったので下車し、1本遅らせて119系でガタゴト豊橋へ。あとは新快速乗り継ぎで、米原で乗り換えるだけの楽チンなタイミングでした。  紆余曲折ありましたが、なんとか冬の間も作業の手を止めないで済むくらいの素材が集まりました。路線データはこの調子で進めるとして、車両さえ何とかなればという条件付きですが、来年中の部分公開も可能ではないかと思います(もちろん確約ではありませんよ、念のため)。  タイミング的に119系引退で飯田線が賑わってくる頃でしょうが、逆に言えば車両の音素材などは、今冬中に収録しておかなければなりませんね。リニアPCMのICレコーダも随分と安くなりましたし、頑張って買っちゃいましょうか。自転車での取材で重いデジ一眼を持ち歩くのはキツイので、マシなコンデジも欲しいし、なんだかんだで出費が続きそうです。

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