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サンライズ出雲で食堂車ゴッコ

  • 2018/01/10 23:00
  • カテゴリー:旅行

20180130235612.jpg お正月休みはかねてから乗りたかったサンライズ出雲91号に乗ってきました。サンライズ自体は何度か乗っていますが、いかんせん夜行列車にしては乗車時間が短く、夜が明けてからの景色を楽しむ余裕があまりないのが不満です。

 出雲91/92号は盆、年末年始の多客期に予備編成を用いて運転される臨時便で、91号が東京発の下り出雲市行きとなりますが、他の定期列車の合間を縫って走るため定期サンライズより3時間長くかかって約15時間弱の長時間乗車が楽しめます。東京駅を発車するのは定期サンライズより少し遅い22:21ですが、定期サンライズの発車する22時の直前に隣のホームへ入線するため、この時期だけはサンライズ2本の並びが見られるのも貴重ですね。

20180130235627.jpg 雑魚寝に近いノビノビ座席以外は全室個室寝台のサンライズ、2階のシングルを10時打ちで確保して乗車しました。人によって好みは様々ですが、私はこの湾曲した窓から眺める夜景や星空が大好きなので2階オンリー、シングルデラックスの広さには憧れるものの景色オタクとしては窓に面していない机は不要なので過剰な贅沢、かといってソロはシングルとさほど値段が変わらないのに狭すぎ…ということで、いつもシングル一択です。

 熟慮するべきは左右どちら側の景色を見たいのか、また小テーブルが進行方向前側にあるのはどの部屋か。特に後者は背もたれに体を委ねて景色を眺める時の快適性が大きく変わってくるので、ネット上に散らばっている詳細な座席表などをよくよく調べて指定しなくてはいけません。

20180202114251.jpg 定期サンライズの乗車時間が短いことは先に触れましたが、そのため寝台以外の設備はシャワーブースとミニサロン、ドリンクの自動販売機のみと最小限です。ミニサロンもあまり長居を想定した調度にはなっておらず、かつての寝台特急にあったロビーカーや食堂車ほどの居住性はありません。

 下りのサンライズ瀬戸/出雲は東京発が22時ちょうど。これは夕食を済ませて乗る時間になります。上りの瀬戸は高松発が21:26で、これもうどんを食べてから乗車する時刻。唯一出雲の上りは出雲市発が18:51なので駅弁なりコンビニ飯なり持ち込む必要があるでしょう。1日に走る定期サンライズ4本のうち供食が必要なのはこの1本だけですので仕方のないことですが、寝台特急に乗って食堂車が無いのは何とも寂しいものです。

 というわけで、前置きが長くなりましたが今回は「サンライズで温かい洋食を食べる」を目標に、無いものは作るの精神で食堂車ゴッコを楽しみます。

20180130235644.jpg 舞台は個室の小テーブル、幅40cm/奥行30cm程度の限られたスペースに食器を並べます。ランチョンマットと皿は100円均一ショップのプラスチック製、グラスはちょっと値が張りましたがこれも傷が付きにくいプラ製、カトラリーもメッキ仕上げのプラ製です。

 メインディッシュはステーキ…と行きたいところですが焼いて時間の経ったものを美味しくいただくのは難しいので、デパ地下のハンバーグで妥協。しかし電子レンジも無いサンライズの車内ではこれを温かい状態で食べるのが難しい。火気は厳禁、大容量の電気も使用禁止ですから、ここは非常時やキャンプで使う加熱材を試してみます。

20180130235715.jpg 専用の耐熱袋に石灰を主とした発熱材と水を入れると化学変化で高温になる便利グッズですが、紐を引けば加熱する「あっちっち駅弁」と同じシステムのものです。パッケージングは異なりますが原理は同じなので車内でも問題なかろうと、さっそく水を投入。すぐに加熱が始まりますが、発生した蒸気が袋の通気穴から吹き出すのでタオル等を巻いておくと、火災報知器(装備されている?)の反応や窓の曇りを防げる上に熱が籠もって加熱が促進されるのでオススメです。

20180130235722.jpg 東京駅周辺のスーパーやデパ地下で仕入れたサラダやソーセージ、パンなどの食材をそれっぽくお皿に盛り付け…、最後に熱々になったハンバーグを乗せたら完成です!

 先行の列車が詰まっているため相模湾に沿ってゆっくり進むこの日のサンライズ。客車列車ほどの風情はありませんが、穏やかな走行音をバックに、街の灯りと月明かりに照らされた水面を眺めつつ、温かい食事を楽しむ時間はまさに寝台特急の食堂車。ベッドの上に胡座をかいて…という苦しい姿勢なのは残念ポイントですが、十分以上に満喫できました。

20180210151633.jpg 営業時間の縛りもなく、気ままに食事を楽しむことができました。あとは眠気の限界が来るまで夜の景色を楽しんで寝るだけ…なのですが、その前に加熱パックの残り水の処分と皿洗いもセルフサービスなのがツライところ。加熱剤の残り水は「人に害はないけど飲用しないように」とのことです。皿洗いは車内の水道を詰まらせないよう、ウェットティッシュなどで出来るだけ拭き取ってから洗いましょう。

 寝台特急に乗って寝るなんてモッタイナイ! 本来の役割との矛盾を感じますが、娯楽としての乗車ですから起きていられる限りは夜景を眺めていたいものです。照明を消して室内を真っ暗にすると外の明かりが鮮明に見えて感激しますが、これも個室寝台ならではの楽しみ。未乗車の方は是非とも体験いただきたいと思います。

 夜明けは明石海峡あたり、伯備線に入ると特急やくもを優先させるため長時間停車を繰り返しつつ13時17分に出雲市着、昼食時すらまだ車内というのんびりダイヤなので、昨晩の食材の残りを消化しながら約15時間の旅を終えました。

 夜景を眺めながら列車内で食事…というのも「出来る範囲のちょっとした贅沢」の範囲で考えると、定期トワイライトエクスプレスの廃止後は難しくなりました。食器や食材の準備は面倒かつ荷物が増えるデメリットもありますが、やってみるとナカナカ楽しい遊びでしたので皆様も是非どうぞ~。

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ありがとう、飯島食堂

20150117221815.jpg 例によって遅くなりましたが、皆様あけましておめでとうございます。イベント関係以外の更新をほとんどしなくなった当ブログですが、今年も細く長くお付き合い下さればと思います。   2015年の正月は関西でもまさかの大雪に見舞われましたが、そんな中車を走らせて伊那市へ行ってまいりました。元々予定していたスケジュールでは無かったのですが、伊那市で度々お世話になっている「飯島食堂」が閉店すると聞いて、食べ納めに行くことになりました。  その名前から勘違いされることも多いのですが、飯島駅の駅前にある飯島食堂(実在)ではなく、伊那市駅と伊那北駅の中間地点にある中華料理店の話。さらに問題をややこしくしているのは、本来の屋号は「飯島」もしくは「中華料理 飯島」、でもなぜか誰もが飯島食堂と呼びます。ご本家?には申し訳ない話ですが、私も飯島食堂と聞けば伊那市の飯島食堂を思い浮かべるのです。  20150117221816.jpg 取材で伊那を訪れる度に寄っていると言っても過言ではない飯島食堂。中華料理店と紹介しておきながら注文するのは決まって伊那名物のソースカツ丼。当ブログや動画でも度々扱っているアレです。このフタの閉まっていないカツ二段重ねの超盛りがデフォルト、おそらくカツだけで300~350グラム、汁物・香物が付いてお値段1100円はむしろ安い。  20150117221817.jpg 噂話ではありますが、昔はもっと盛りが少なく値段も安かったのが、ご主人のサービス精神でジワジワと盛りが大きくなり、それではお店の経営が…と奥様がチョイ値上げ。それは申し訳ないとご主人が更に盛りを大きく…のループで今の超盛りになってしまったとか。  なんとも心あたたまるような、笑ってしまうような、そんな歴史のソースカツ丼も残念ながら食べ納め。いよいよもって経営が厳しくなってきたのか!?という話ではなく、現在3代目のご主人も御年71歳。後継者不在のため市内外のファンから惜しまれつつ閉店を決意されたとのことです。  20150117221818.jpg フタが閉まってないんだからフタ要らないじゃないか!なんて言われそうですが、このフタが重要。皿のように置いたフタに、二段のカツの上の段を移してから食べるのがココのお作法。そうしないとキャベツやご飯にアプローチすることが出来ないのです。  500円玉硬貨の直径は26.5mmなので、カツの厚みは実に3cm以上。写真だと全体のスケールが掴みにくくて小さく見えてしまいますが、実際この厚みのカツにはなかなかお目にかかれません。  20150117221819.jpg これだけの厚みがありながら肉の中まで程よく火が通っていて、衣はギトギトすることなくサクサクの揚がり具合。ソースは甘口のウスターをたっぷりくぐらせて…これが全然クドくなくて黙々と食べ進めてしまうのが不思議なところ。  普通ならカツが先になくなるのが勿体無くてチビチビと食べるところですが、むしろご飯が足りないくらいの圧倒的ボリューム。男性でも一杯で確実に満腹、並みの女性なら完食は苦しいかもしれません。  20150117221820.jpg たらふく食べて帰り際、これで最後ということでご主人にご挨拶させていただきました。なんと104年も続いたお店をこれまで守ってこられた3代目の飯島敏道さん、なので伊那市だけど飯島食堂。写真をお願いすると実によい笑顔で並んでくださいました。  お二人ともまだまだお元気そうで、出来ることならもう少しお店を続けていただきたい…なんて思いましたが、ふと手前を見ると大量に積み上げられた揚げる前の肉塊。「縮む前はこんなに大きいの!?」と驚くと同時に、これを休みなく揚げ続けるのは体力的にキツそうだ…と納得してしまいました。惜しいけれどこれで本当に食べ納め。今まで美味しいお料理をありがとうございました。   とはいえ飯島食堂の店仕舞いは1月末。まだまだ半月ほどありますので気になっていた方、もう一度食べておきたい方は今月中に足を運んでその味を堪能して下さい。本来の中華料理もこれまで何品かいただきましたが、こっちも美味い。残り少ない期間ではありますが、できればソースカツ丼と中華料理、2回は行ってそれぞれ味わっていただきたいと思います。    ではでは、長くなりましたが。「飯島食堂さん、ごちそうさまでした!」

夏休みの遠足

 世間様より少し遅めの盆休みをいただきまして、8/17~20まで長野~新潟~群馬を巡る旅行に出かけてきました。今回はその記録がメインでBVE関係にはほとんど触れませんので、興味の無い方は読み飛ばして下さい。 ■8/17  早朝に大阪府下を出発、いつも通り東海道を乗り継いで豊橋から飯田線519Mに乗車です。119系が全て引退してこの列車も213系になりました。空気バネに転換クロスシートは非常に快適で、地元の方にも好評なのではないでしょうか。 ファイル 85-1.jpg  飯田線内では少しのライフワーク。線路図記述の数値にいくつか誤記と思われる箇所がありましたので、自分の目で正誤確認。また逆に資料は正しいものの線路際の標識が建植ミスと思われるケースもあったため、こちらも目視で地形の再確認です。他にも普通鉄道構造規則を基準に考えるとあり得ない線形に見えるところなど、実地で目視確認しないと納得できない疑問点を潰してきました。それらは別の機会に触れますが、資料や標識も100%の信用はできないものです・・・。  119系時代とは打って変わり、実に快適にのんびりと伊那市まで乗り通して下車、駅前のビジネスホテルにチェックインを済ませ、いつもの飯島食堂へ向かいました。お目当てはソースカツ丼と杏仁豆腐です。 ファイル 85-2.jpg  駒ヶ根・伊那市にはソースカツ丼を供する飲食店が他にもたくさんあり味もボリュームも様々ですが、飯島食堂の夜営業は座敷の個室でゆっくり出来るのが気に入っています(昼はテーブル席の食堂で営業)。これだけのボリュームをテーブル席でガツガツ食べて短時間で退店するのは正直キツイ。  今回初登場の杏仁豆腐は本来3~4人分とのことでラーメン鉢に入っており、まるで湯豆腐のように大きく切られた杏仁豆腐が山盛りに! これを二人で平らげて至福のひととき。杏仁豆腐と言えば温泉卵の白味のようなドロッとしたタイプもありますが、私個人としては角の立った堅めのが好みで、今回のはちょうど良い食感でした。 ■8/18 ファイル 85-3.jpg  ホテルでゆっくり休んで伊那市出発。2日目は岡谷・松本経由で大糸線へ。中央~篠ノ井線の115系は淡緑色の内装が懐かしく、モケットの柄こそ違うものの国鉄時代の印象を色濃く残していました。  大糸線内は残念ながら風情のカケラも無いE127系。18きっぷシーズンにボックス・ロングシート変則合造の2両編成で快適とは言えませんが、穂高、木崎湖に代表される仁科三湖、白馬といった風光明媚な風景が次々と移ろう車窓は、飽きる暇無く乗客を楽しませてくれます。 ファイル 85-4.jpg  白馬を過ぎると列車は姫川の渓谷沿いに北上。川底が透き通って見えるほど水が綺麗で、下車して泳ぎたくなりますね。気の早い話ですが、来年の夏旅行は自転車の輪行と川で泳ぐことを目標にしました。  基本的にローカル線好きな私ですが、中でも複雑な渓谷に沿う区間が一番好きです。関西本線や高山本線、福知山や山陰の旧線も良かったですね。そういう視点で言うと飯田線は南部の一番景色の良いところがトンネルの連続で眺望が期待できませんので、好きな路線としては次点になってしまいます。 ファイル 85-5.jpg  東西JR、電化非電化の境界となる南小谷で途中下車。以前、伊那街道の項で触れた記憶がありますが、大糸線は糸魚川から塩尻へと至る塩の輸送路「千国街道」を鉄道化したもので、南小谷もかつては宿場町でした。現駅舎はなまこ壁調の装飾がされており、旧街道を意識した造りになっているのが分かります。駅から徒歩10分程の「おたり名産館」も同じくなまこ壁の蔵造り風。こちらで蕎麦と天ぷらを昼食にいただきました。 ファイル 85-6.jpg  ざる蕎麦並が650円、大盛りは850円と大変リーズナブル。気持ち太切りで強いコシ、黒い粗挽きの風味高い蕎麦は良い意味で田舎蕎麦といった感じです。  そしてもう一つの名物「特天ぷら」は山菜が12種盛りで500円。葉っぱ?シダみたいなの? 山菜と言うよりむしろ野草といった風貌ですが、それらの知識に乏しいので残念ながらひとつひとつが何なのかサッパリ分かりません。しかし、あっさりしたものから苦みのあるものなどそれぞれに特徴があり、普段なかなか食べることが出来ないことも相まって大変美味しくいただきました。見た目通りボリュームも十分で、蕎麦と天ぷらだけで腹一杯になったのは初めてかもしれません。 ファイル 85-7.jpg  雨が降るよりは嬉しいのですが余りに天気が良いのも考えもので、この日は直射日光がキツイのなんの。名産館で見つけた「栂池雪どけサイダー」なるものを購入して駅へ戻りました。飲んでみると微妙に塩っぽい独特の風味でしたが、成分表示に変わったモノは見当たらず。雪解け水のミネラル分でしょうか?  さて南小谷から糸魚川へはJR西の非電化区間。キハ120に揺られて北上します。相変わらず私の好きな川沿いの区間ですが、このあたりは大雨で線路や橋梁が流され補修しているため、意外と風景が新しく風情に欠けるのが残念です。  そうやって再生を遂げた大糸線北部ですが、北陸新幹線の開業に合わせて廃止が検討されており風前の灯火。糸魚川駅ホームに立てられた「全線開通55周年」の巨大な看板が少し虚しく見えました。  糸魚川からは北陸・信越本線を乗り継いで日本海沿岸を北上、柏崎の手前「青海川」駅で途中下車。長野から新潟へ抜ける際はいつも飯山線を使っていたので(川フェチゆえ)直江津以北は未乗だったのですが、Rock_On氏に勧められて訪問することにしました。  まるで何も無い無人駅ですが「日本一海に近い駅」との触れ込みの通り、ホームのすぐ裏手が海岸になっています。 ファイル 85-8.jpg  日没に合わせて写真を撮りたかったので、それまでに国道8号線沿いの洋食レストラン「ジロー」にて早めの夕食を摂りました。古くからの集落は海岸・駅と同じレベルにありますが、国道8号線といくつかの商店はうんと高い崖の上にあるため、勾配のきつい旧道を15分ほど歩かなくてはなりません。平面地図では徒歩3分くらいに見えるのですが・・・左上画像の右端に見える赤い橋(米山大橋)の高さまで、約15分かけて登らなくてはならないのです。  ステーキセットがオススメとのことで、いつになく豪華な食事になりましたが、セットで1070円は十分リーズナブル。特別高級なお肉では無いでしょうが美味しくいただきました。いつもの「食堂」ではなく「レストラン」というお洒落空間でゆっくり食事というのも悪くありませんね。 ファイル 85-9.jpg  さて日没前後の撮影タイム。米山大橋から青海川駅を見下ろして撮ることが出来れば最高だったのですが、自動車専用道では無いにしても歩道が無く路側帯も狭い、しかも大型車がひっきりなしに通る幹線道とあっては命の危険を感じて却下。代替案として駅前の集落とを結ぶ旧道の中腹から撮影することに。  出発前から天気が心配でしたが、嬉しいことに当日は適量の雲を従えた晴れになり、絶好の写真日和となりました。トワイライトエクスプレスの通過も押さえられるよう時間調整をしたのですが、残念ながらまだ少し日が高く理想的な絵にはならず、もう1ヶ月ほど撮影時期を遅らせると程良い時間帯になるでしょうか。 ファイル 85-10.jpg  日常の喧噪から掛け離れた光景を前に、夢中になってシャッターを切っているうちに夕景から日没、薄暮へと移ろい、やがて辺りは真っ暗に。  忘れた頃にやってくる列車が奏でるMT54の寂しげな音、谷間に響くゆったりとしたジョイント音と甲高いホイッスル・・・。そして虫の声とかすかな波の音だけが最後に残る素敵な空間。3時間近くも滞在しましたが、刻一刻と変化する風景のお陰で一瞬たりとも退屈することはありませんでした。 ファイル 85-11.jpg  青海川からは柏崎、長岡を経由して新潟へ移動。新宿行きの夜行快速「ムーンライトえちご」乗車までの間に、駅徒歩10分の銭湯「みどり湯」でリフレッシュ。汗と潮風でベタベタだったので極楽、極楽。  このみどり湯、建物こそ鉄筋コンクリートの無個性な造りですが、木製の靴箱や男女脱衣場を見渡せる番台、天井の高い浴場に壁面の見事なタイル絵(女湯は富士山!)と、古き良き銭湯のスタイルを実に良く留めています。浴場の造りは浴槽が中央、周囲の壁面に洗い場のある(ほぼ)関西式。気になって新潟の他の銭湯も調べてみると東西式が入り乱れているようで、これが地域的な違いなのか時期的な違いなのか分かりませんが意外な発見でした。ただしケロリンの桶は関西人から見ると大柄な関東バージョンです。 ■8/19 ファイル 85-12.jpg  早朝まで485系に揺られて新宿着。5時台の山手線は既に満員電車で大阪には無い活気に驚くものの、同時に殺伐とした空気を感じてゾッとします。上野から東北本線、小山から両毛線で大回りして睡眠時間を稼ぎつつ高崎に到着。3日目はC61の牽引する「SLみなかみ」に乗車です。  さすがの夏休み中、家族連れが大勢を占めますがとにかく人・人・人の大賑わいです。これが撮影目的ならイラッとくるのかもしれませんが、今回は観光列車に乗りに来ただけですので、これだけ多くの人が鉄道に乗って楽しんでいることに純粋な喜びを感じます。 ファイル 85-13.jpg  スハフのディーゼル発電機が発する騒音を避けるため前から2両目の客車を指定しましたが、上越線の線形の良さに加えて大型機の余裕もあり走りそのものは大人しく、線路際が擁壁や建物で閉塞された場所を除いてドラフト音が一切聞こえないのは寂しいですね。磐越西線も比較的平坦、九州も人吉として復活してからはほぼ平坦線、大井川は小型機ばかりですので、走りの迫力を体感するには山口線が最適かと思います。  車端のオーバーハングが大きい12系客車はジョイント音のリズムが悪いのも不満ですが、これは言っても仕方が無いでしょうか。しかし安全対策か冷暖房維持のためか、下段窓がほとんど開かないようストッパーで制限されているのはSL牽引列車として不満の極み。乗ってしまえばタダの混雑した電車と変わらないのは非常に残念です。 ファイル 85-14.jpg  とまぁ乗車中は不満の多いSLみなかみですが、外から眺めるとなかなかの迫力で、さすがハドソンといったところです。  私個人はスマートなC57と、限界いっぱいなC62の大ファンなので、どこか中途半端感のあるC61への興味は薄いのですが、動輪径とボイラーの太さ、適度に主張する煙突やドーム類のバランスは、一般の方が思い浮かべるSLのイメージに近いのではないでしょうか。最大公約数的な優等生スタイルは貴婦人、王者に並べてなぞらえるなら、差し詰め王子様と言ったところでしょうか? ファイル 85-15.jpg  転車台でのぐるぐる回しショーを見物した後、駅とは利根川を挟んで対岸の食堂「あしま園」にて昼食。昭和の喫茶店といった風貌ですが、こちらの売りは大盛りというか超盛り。私の食べたカレーライスは普通盛りですが、画像の印象よりも皿が深くかなりのボリューム。他の方が注文された大盛りを見てみると、宅配ピザほどの大皿に山盛りのカレーが・・・。ちなみにカレー並は650円で、食後にコーヒーまで付いてお買い得。粘りの強い、いかにも昭和なカレーライスを腹一杯にいただきました。  食後は利根川の景色を見ながらダラダラ歩き「きむら苑」の露天風呂へ。利根川へ注ぐ小川のすぐ横に作られた野趣溢れる露天風呂は夏でも温水プール並みに湯温が低く、川の流れる音と時折通る電車の音をBGMにゆっくり浸かっていられます。 ファイル 85-16.jpg  水上出発はすでに夕方。今回が初乗車の上越線ですが、k_40s2さんの上越国境で幾度となくお世話になった区間ですから只ならぬ既視感。あの方のデータは全体のリアル感もさることながら情報の取捨選択が絶妙で素晴らしいですね。車窓の景色を眺めながら「おぉー、これこれ!」の連続。こういうのがやりたくて風景付きの路線を作っているわけです。  国境のトンネルを超え、夕暮れの中を越後湯沢へ向けて抑速で下っていくMT54の響きが眠気を誘いますが、ここでちょっとしたおやつタイム。水上温泉街の小荒井製菓に立ち寄って購入した「生どら焼き」を車内でいただきました。和菓子は日頃から食べ慣れているので一風変わった「抹茶・カフェオレ」の味付きを試してみましたが、ふんわりしていて美味。要は餡子に生クリームを練り込んでソフトにしたものですが、味・食感はロールケーキに近い感じです。盛夏ということで保冷パックに入れていただきましたが、冷たいままいただくのが美味しいですね。  長岡で乗り換え、3日目は柏崎まで。回転寿司とネットカフェのコンボで安く上げて最終日に備えました。 ■8/20 ファイル 85-17.jpg  ネットカフェに10時間以上滞在して疲れを取り、もう朝とは言えない時間帯に柏崎を出発。信越本線内は115系、直江津からは475系で北陸本線を海沿いに西進して帰阪の予定です。  この日乗車した475系は塗装こそ北陸色に塗り替えられているものの内装はオリジナルに近く、窓際のテーブルや栓抜きが撤去されていないのが良いですね。しかしこの説明書き、どう見ても「セソヌキ」に見えるし、そもそも最近「こじる」って表現は滅多に聞きませんよね。時代を感じるのは当然、一度も交換されていなければ45年モノ。破損したのか盗難に遭ったのか、車内にこの1枚しか残っていなかったのが残念でしたが、まだまだ急行型の残照が息づいています。 ファイル 85-18.jpg  新潟県から富山県に入って最初の駅「越中宮崎」で下車後、海岸沿いを県境方向へ徒歩で逆戻り。日本海側とは思えないほど鮮やかな夏の海が輝いていますが、あまりの暑さに感動も若干抑え気味。20分ほど歩いて県境に程近い「境」地区の栄食堂で道中最後のグルメです。  細かな体裁は気にしない、いかにも庶民の食堂といった造りですが、それもそのはずメインの顧客は前の国道を走るトラッカーの皆様のようです。今回はちょうど昼時の訪問でしたが、お盆の影響が残ってか他のお客は家族連れがひと組だけ。お陰様でのんびり食事させていただきました。 ファイル 85-19.jpg  このあたりの名物は「たら汁」。一人前(800円)の鍋にブツ切りの鱈が4切、1尾分まるまる入った味噌汁ですね。この真夏に如何なものかとも思いましたが、鍋の見た目に反して淡泊な鱈の身を、味噌とゴボウ、白ネギだけで上品に仕上げていますので全くの無問題。「身も凍るような真冬に食べたらさぞ美味かろう」とも思いますが、季節問わずにいただけます。  カジキの刺身は作り置きでは無く注文してから切ってくれました。モチモチしていたので冷凍では無く生かな? 昨晩食べた回転寿司のマグロがイマイチだったので尚更感激。他にも海鮮のフライやら生姜焼きなどをいただき、軽く立ち寄るつもりが随分と本格的に・・・。 ファイル 85-20.jpg  ほぼ1時間に1本の北陸本線。駅からの往復+食事を1時間で済ますのはギリギリなため、もう1本遅らせてゆっくり食事することにしました。  余った時間は栄食堂とは国道を挟んでお向かいの「たから温泉」へ。立ち寄り入浴500円と、温泉にしてはリーズナブルですが、内湯、露天ともに15人はゆったりと入れそうな大きなお風呂はさすが温泉旅館といったところ。ボディソープやシャンプーが洗い場に設置されているのも嬉しいですね。  お湯は無色透明ですが茶色い浮遊物(湯の花)が非常に多く、オーバーフローしたお湯が流れる床面も付着物でヌルッとしています。お湯を舐めてみると海水レベルの塩辛さ。海のすぐ横ですから、ナトリウム系の成分が溶け込んでいるのでしょう。 ファイル 85-21.jpg  たから温泉を後にして越中宮崎駅へ歩いている途中、轟音と共に原色の475系が北上して行きました。身内で北陸本線をBVEデータ化する話が出ておりまして、飯田線用に169系の車両ストラクチャを作るついでに、どうせなら共通部の多い475系でお手伝いをさせていただこうかと思っていたところですが、作りたかった国鉄色の実車はA19編成一本を残すのみ(白青の北陸色は既に取材済)。  この編成、近年の運用はランダムに近い状態で先読みが出来ず出会いは運次第、また既に車齢45年とあっては2014年の北陸新幹線延伸を受けて引退する可能性も濃厚。この機を逃しては撮影の機会が無いかもしれないとの焦りから、急遽予定を変更して原色475系ストーキングを開始しました。 ファイル 85-22.jpg  時刻表で見る限り、直江津まで行って戻ってくる運用のようで、このまま越中宮崎で待つと3時間後。光線の加減から撮影は早いほうが良いので、こちらからお迎えにあがることにしました。糸魚川からデッドセクションを跨ぎ、直流区間に入ってすぐの梶屋敷駅で下車待機。改装されているものの原型を良く留めた木造駅舎と、本当にタダの広場な駅前広場が好印象な田舎駅です。  入線してくる列車を障害物の少ない島式ホームから定点観測的にコマ撮りすれば、側面テクスチャ用の画像を一挙に確保できるためこの駅を選びました。夏の強い光線の都合で100点とは言えませんが、後加工次第で使えるレベルの素材を一通り確保して乗車。途中糸魚川の6分停車でも側面素材を追加、終着富山で前面の撮影をして車体の素材収集は完了です。  富山、金沢で乗り換え敦賀へ至るも、先行列車が鹿衝撃のため30分の遅延が発生。大阪方面への最終乗り継ぎだったため焦りましたが、遅れた米原行き列車では車掌が各乗客に何処まで乗車するかを聞き取り、無線で連絡。たった数名の、しかも18きっぷユーザーのために米原で待ち合わせ接続をしてくれたJR西の姿勢にはいたく感激しました。最後は京都で乗り換え、25時に帰宅。そんなこんなで長い長い、信越上州一周の旅が終わりました。  今回は初訪問の地がいくつもあり、景色よし、列車よし、天気もよし、食事よし、風呂よし・・・と、ここ数年で一番充実した旅行でした。BVE関係の取材も少しですが出来ましたし、これ以上無しといったところ。もう帰宅して1週間以上経っているのに旅の余韻が半端なく、まだ目を閉じるとMT54の眠たい音が脳内に響き渡ります。  たっぷり充電したので、また日々PCに齧り付いてデータの制作を進めなくては・・・と思ったそばから、次は何処に行こうかと妄想しています。

お正月は飛騨高山で

 あけましておめでとうございます。12月はスランプ気味で思うように進まなかった路線制作ですが、今年も地味に着実に進めていきたいところです。  三が日は初詣を兼ねて出かけておりました。このところ旅行といえば伊那方面ばかりでしたので、いくら好きな地方とはいえさすがに食傷気味。ここらで気分転換ということで、飛騨高山を中心に岐阜方面を満喫してきました。 75-1.jpg まずは初詣ということで、美濃国一宮の「南宮大社」へお参り。元旦の早朝から東海道本線を乗り継ぎ、大垣のお隣、垂井駅から寒空の下20分歩いて到着です。  金属業の総本宮だそうで、どちらかと言うと樹脂のお世話になる事が多い私ですが、金属加工もちょいちょいやりますので、「フライスと旋盤の扱いが上手になりますようにm(__)m」と拝んでおきました。神頼みでどうこう出来るコトじゃありませんが、まぁ気分で。  テキトーに屋台を冷やかし再び車中へ。岐阜から高山本線に乗り換え、国鉄気動車のエンジン音を子守歌にウトウトしつつ高山到着。高山本線の雪景色が好きなので冬の高山は何度も訪れていますが、たいてい食事だけして2~3時間程度の滞在でしたので、今回は2泊して高山周辺を満喫します。 75-2.jpg 高山での観光というと古い街並みや陣屋が有名ですが、何よりもまずは「食」。トップバッターは高山ラーメン。実は“ラーメン”ではなく“中華そば”と呼ぶのがこの地方では一般的なのですが、その歴史は古く高山で年越し蕎麦と言えば中華そばが出てくるほど。  いくつか見当を付けていたお店は元旦ということで尽くお休みでしたので、町並保存地区近くの「南車」にて一杯。観光地只中のお店で期待できないかと思いきや、鶏がらが香る醤油味の和風スープに細い縮れ麺、極々シンプルな具と、意外にも高山ラーメンのお手本のような一品でした。高山のチャーシューはオマケのようなモノが多い中、割と肉厚で立派だったのも好印象。 75-3.jpg 控えめのボリュームを良いことに、食後は怒濤の串モノ三昧。まずは飛騨牛の串焼きですが、町並保存地区の只中にある「じゅげむ(※注 一部値上がりしてます)」ではロース/霜降り/赤身の3ランクから選べますが、一番安い赤身をいただきました。どうせ私の舌で感じられる違いなんてたかが知れていますし、何千円もするステーキは無理でも、とりあえず「高山で飛騨牛食べた!」という気分になれるのが良いですね。  続いて醤油味のみたらし団子。関西でみたらし団子といえば甘ダレが基本ですからチョット新鮮。甘い五平餅と一緒に食べても嫌気しません。他にも飛騨牛の入ったコロッケなど、店頭売りしている熱々の小物をお行儀悪く食べながら散策するという、小京都らしからぬラフさ加減が心地よいですね。 75-4.jpg 町並保存地区と言っても、食べ物や土産物が並ぶ店頭に大勢の観光客がたかっていては絵になる風景と言い難く、本当の見頃は店舗の閉店後。商売っ気の無いことに夕方4~5時には店じまいとなるため、観光客の減った薄暮の下、電球の明かりに照らされて浮かび上がる木造建築がとにかく美しい。大勢居た観光客はバスで移動してしまったのでしょうか? 高山へ来てこの瞬間を見ずに帰ってしまうのは余りに勿体ない。 75-5.jpg 過度に観光化された保存地区が苦手な方は、宮川支流の江名子川に沿って散策するのが良いかもしれません。石垣で固められた小川の両側は、古き良き町並の中にも普段着の生活感が息づいていて、保存地区とはまた違った魅力があります。  また双方を徒歩で散策しても無理がない程度の距離で、狭い範囲に色々な表情が凝縮されているのが極めて模型的で好感が持てますね。 75-6.jpg 元旦の宿泊は「桜ゲストハウス」。ドミトリーではなく個室で一泊3000円と、正月にもかかわらず超お買い得。飛騨建築の古民家を改装したもので、お風呂は無くシャワーのみですが、客室の内装は新しくとても綺麗。ふかふかの布団でぐっすり眠れました。  ちなみに浅い角度の切り妻屋根に妻入りという、伊那谷の本棟造りと共通点の多い建築様式ですが、間取りの取り方が違うので別のもの。飛騨地方の建築と言えば真っ先に思い浮かべるのが合掌造りですが、アレは山間部の豪雪地帯に限られたもので、「飛騨建築」といえばこのゲストハウスのようなスタイルを指します。 75-7.jpg で、翌日は合掌造りを見るため、朝からレンタカーを借りて白川郷へ向かいました。宿から出ると大雪で、2WDの予約を急遽4WDに変更してもらって出発。以前は結構エグイ勾配の国道を登って行った記憶がありますが、数年前に開通した東海北陸自動車道のおかげで雪深い山間部をほとんどドンネルで抜けていきます。  到着して集落を散策しつつ、やっぱりまず「食」。今度は中華ではなく普通の山菜蕎麦。もうひとつ、牛時雨が入った「飛騨牛めし」も一緒に。すき焼きのような濃厚な甘みがご飯に染み込んでいて美味。 75-8.jpg お腹も心もほっこりしたら、積雪の山道を40分ほど歩いて城山展望台へ。コケる人あり、立ち往生する車あり・・・。色んな意味でヒヤヒヤしながら登り切った高台の展望台から見おろすと、誰もが一度は写真や映像で見たであろう合掌造り集落の全景が広がっており圧巻。どちらかというと有名観光地が苦手な私もこれには唯々感動。写真には撮っていますが、これは生で見ないと分からないと思いますので、皆様是非足を運んでみて下さい。 75-9.jpg 白川郷を満喫の後、高山の北に位置する飛騨古川へ移動。途中の県道は高速道路や国道と違って除雪が甘くかなりの積雪量。タイヤが発するロードノイズが雪に吸収されて、低回転で走っているとホントに静か。  飛騨古川では昨日に引き続き飛騨牛コロッケを購入。こちらは1個120gと大きいのが特徴で、カタマリの肉がゴロッと入っていました。飛騨牛コロッケを売る店は他にも沢山ありますが、これで200円ならかなりお得かな。 75-10.jpg 夕方になって高山市内に戻り、今度は飛騨牛バーガーなるものを食してみました。鍛冶橋近くのオシャレなカフェにて、窓から宮川を眺めつついただく・・・、ビミョーに私には不釣り合いなシチュエーション。バーガーはやや小ぶりですが背が高く、飛騨牛100%のパテは結構厚い。ハンバーガーごときに680円!? という気もしますが、たまにはファーストフードでないハンバーガーも、ちょっとリッチな気分で悪くないものです。  〆は高山に来るといつも寄ることにしている「桔梗屋」の中華そば。まるで昭和映画のセットのような飲み屋街にある庶民的なお店。他店と比べると少し魚介の香りが強く出ていますが、やはり高山ラーメンらしい、素朴でシンプルな味がお気に入りです。 75-11.jpg 体に炭水化物を過剰供給して今夜のお宿へ。前日はシャワーのみでしたから、今度はちゃんとした温泉に・・・ということで、奥飛騨温泉郷の平湯温泉へ。車外の気温は-9度の表示あり、そろそろ凍結の始まる山道を走らせること約1時間で到着したのは「穂高荘倶楽部」。  ここはちゃんとした部屋で宿泊や食事もできますが、私的に有り難いのはネットカフェのフラットブースのような半個室休憩室。なんと1900円で一泊して、大きな露天風呂に何度でも入る事ができるのです。お湯は少しトロみのある白濁湯。温度は少し低めでしたので、雪を見ながら長時間入っていられました。お金はあまり使ってないけど、気分はめっちゃ贅沢。風情々々♪ 75-12.jpg 3日朝にはレンタカーを返却し、また高山本線に乗車。冬に高山を訪れるのは、何より高山本線の雪景色が美しいから。台車が空気バネなのはチョット惜しいところですが、国鉄型のキハ48に揺られ、車窓の絶景を眺めるだけで来た価値があったというものです。  早く帰るなら岐阜経由ですが、高山本線のハイライトは高山~猪谷間ですから、まるまる1日掛けて富山経由で帰阪します。 75-13.jpg 散々食べた“飛騨牛シリーズ”でしたが、最後の〆として高山駅で購入した駅弁「牛しぐれ弁当」を北陸本線の車中でいただきました。ひもを引っ張って5分待てば熱々になるハイテクなアレ。そのぶん上げ底になっているわけですが、まぁこの季節は温かさ重視で行きましょう。飛騨牛“入り”という謳い文句がどの程度なのか怪しいところですが、旅の気分とMT54のBGMもあって美味しくいただきました。  北陸本線→湖西線→東海道本線と経由して3日晩に帰阪。とにかく炭水化物ばかりよく食べた3日間でしたが、久しぶりに「旅行した-!」という気分になれました。冒頭にも書いたことですが、飯田線方面はもはや仕事感覚で行ってますし、自転車で出かけるのもチョット意味合いが違いますので、今回はホント純粋に旅を楽しめました。  気合いも幾らか充電できたことですし、これでしばらく制作活動に打ち込めそうな気がします。  

紅葉・蕎麦・ダム

ファイル 74-1.jpg  11月は妙に忙しかったのですが、勤労を感謝されるべき23日、ようやく気分転換できる時間を確保しましたので、紅葉と新蕎麦を楽しむべく自転車でお出かけしてきました。  早朝に大阪府下の自宅を出発、普段は渋滞でイライラする旧街道はほとんど車も走っておらず快走、まずは嵐山で日の出を迎えます。紅葉のピークにはホンの少し早かったようですが、それなりに色付いた山々と渡月橋のコラボはなかなかのモノ。午前7時頃という時間にもかかわらず、周辺住民の早朝散歩や周辺に宿泊されていたであろう観光客が行き交い、なかなかの人出です。 ファイル 74-2.jpg  嵐山からは戦時中に廃止された旧愛宕山鉄道の路盤跡である清滝道を走って清滝へ。単線の清滝トンネルを除けば複線電化の鉄道でしたが、平均して5~6%の坂道がダラダラと続き、中には10%くらいのところも。ホントに廃線跡か?と疑う急勾配ですが、当時の路盤を丸まま転用しているわけではないのかもしれません。  かつては旅館や料亭で賑わったであろう清滝の集落も、随分と廃屋が目立つようになりました。深い渓谷に沿う旅館街の雰囲気は周辺随一と思っているのですが、もう活性化することはできないのでしょうか。このまま枯れさせてしまうには余りに惜しく、せめて共同で温泉でも掘れば嵐山の奥座敷としてやっていけそうな気もするのですが・・・。(※ポンプで無理矢理汲み上げれば何処でも出てくる大深度温泉を天然温泉と称すことへの疑問はさておき、あくまで一帯を保養地として維持するビジネスの話として) ファイル 74-3.jpg  集落の奥に位置するこの階段は、鉄道と同じく戦中に廃止された愛宕山ケーブルの駅遺構。真ん中が線路を埋めた跡、両側の階段部分がプラットホームです。  全長約2.1kmの路線が現存していれば坂本ケーブルを抜いて堂々の日本最長。山麓には旅館街の他テニスコートやローラースケート場、遊園地(公園的なもの)や水泳場が設けられ、山上にはホテルやテント村、スキー場、そして飛行塔を備えた遊園地がありました。戦前の娯楽って私たちが思っている以上に、随分とハイカラだったのです。  戦時体制と鉄材供出のため全ての施設が廃止されてしましたが、もし戦争が無ければその規模からして「西の軽井沢」となっていたのかもしれません。あの戦争は起こるべくして起こったものですし、あれ無しで今の日本は在り得ないとも思っていますが、やはり犠牲になったものが大き過ぎましたね。 ファイル 74-4.jpg  清滝からは六丁峠を越えて保津川沿いに保津峡へ。短距離ながらも最大斜度18%の峠は、ゼェハァ息を切らして何とか登頂。こっちは必死ですが、後から登って来た揃いのウェアを着たチームの人たちは余裕がありそう・・・、こちらは地べたに座り込んだままご挨拶(笑)  保津峡では嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車をポチリと撮影。植樹のおかげでロクな写真になりませんでしたが、逆に車窓の景色は良さそうですね。露天風客車を総じてトロッコと称するのは好みませんが、それは別として一度乗車してみたいですね。 ファイル 74-5.jpg  保津峡からは柚風呂で有名な水尾の集落を経て神明峠へ。この区間も軒並み10%前後~15%越えのラスボスまで延々と勾配が続く険しい道で、なかなかの貧脚殺し。  軽いギアで何とか登って、棚田の広がる越畑の集落へ。元々茅葺きだったであろうトタン屋根の農家が立ち並ぶ中、実に見事な現役茅葺き農家に出会えたので思わず撮影。立派な長屋門にL字型に組み合わされた入母屋・妻入りの母屋。瓦屋根ならともかく、茅葺き屋根では初めて見るスタイルです。石垣や複数の倉、巨大な銀杏の木も相まって、只々立派。  帰ってから調べてみると、17世紀中頃に建てられた「河原家住宅」とのことで、古民家の中でも最古級だそうです。 ファイル 74-6.jpg  越畑の外れにある「フレンドパークまつばら」にて昼食。11時の開店前に到着しましたが、既に他のサイクリストを含め数人の待ち人が並んでいました。事前情報によれば地元の有志により設立・運営されているとのことで、失礼ながらさほど期待していなかったのですが、実は結構な人気店のようです(食べ終えて店を出る頃には人だかりが! 観光シーズンの休日とあって、30分待ちでは済まないかもしれません)。 ファイル 74-7.jpg  メニューは蕎麦メイン。天麩羅、炊き込みご飯、鍋類もありますが、物によっては季節・曜日限定なので要注意。  今回は蕎麦を堪能したかったので無難にざる蕎麦を大盛りで。地元の畑で収穫された蕎麦を、挽き立て・打ちたて・湯がきたてでいただけるうえ、今がちょうど新蕎麦の季節です。蕎麦は十割、突き出しは揚げ蕎麦、お茶は蕎麦茶という徹底ぶりも素敵。  麺は極細の包丁切り、皮を含まない白い蕎麦です。下手な十割蕎麦はモサモサしていたりブツブツ切れやすかったりしますが、程良いコシがあってツルツル・プリプリの瑞々しい食感が最高。自宅から気軽に行ける範囲で、こんなに美味しい蕎麦を食べられるとは盲点でした。 ファイル 74-8.jpg  食後は南丹市へと北上して世木ダムへ。「えらく背の低いダムだなー」と思われそうですが、実はこのダム、すぐ下流に日吉ダムが新しく建造されたため、堤体のほとんどがダム湖に水没しているという悲しい存在。本来ダムの最上部にあったゲートは取り払われ、水は自然に越流しています。  後方に見える取水口は生きており、約3km離れた発電所へ導水していますので、発電ダムとしての機能は辛うじて維持しています。しかし、第二の人生というよりは生殺しといった印象を抱いてしまいますね。 ファイル 74-9.jpg  ダム湖に沿って西へ走ると、世木ダムを沈めた日吉ダムに到着。堤体そのものは標準的な平成ダムといった風貌で、マニア的にはコレと言って見るべき点はありませんが、周辺は各種グラウンドや体育館、温水プールや温泉施設まで備えた公園として整備されており、地元とダムが共存共栄する希有な成功例となっています。(→スプリングスひよし)  午後の天気は芳しくなく、疲労回復と雨宿りを兼ねて温泉に浸かりましたが、欲後は気が抜けて休憩室で爆睡してしまいました。このところ2日に1回寝るという生活サイクルだったのですが、この日も徹夜明けで限界が・・・。おかげで再スタート時は既に薄暗く、京都・大阪府境を超える頃にはもう真っ暗。街灯一つ無い峠道を戦々恐々と越えて何とか無事に帰宅しました。  走行距離は約110km。(参考:ルートラボ) 先月のしまなみ海道と比べると何てこと無い距離ですが、急勾配が連続するので疲労度は圧倒的に上。脚よりも腰が痛いです・・・。  さて主目的の紅葉ですが、総評すると今年はイマイチ。早い遅いの問題ではなく、紅葉しきらずに落葉してしまったり、まだ色付き始めの木と既に落葉してしまっている木が混在しているなど、“見渡す限りの鮮やかな紅葉”というシチュエーションには巡り会えませんでした。残念ではありますが、それでも「秋らしさ」を体感するには十分でしたので、これ以上はまた来年に期待しましょう。  よく見かける「四季を感じられる日本人は感受性が高い」なんて自慰的理論は眉唾臭いなぁ・・・と思っているのですが、季節の度に出かける用事を作ってくれるのは良い事だと思います。近場であっても行く度に違う表情を見せてくれますので、なかなか飽きることがありません。  この冬は何処へ雪見に行こうかな~? なんて考えていると、国内だけで手一杯。芸能人のように年末年始を海外で・・・という選択肢は候補にのぼりすらしません(実は海外旅行はおろか、飛行機搭乗すら童貞を守り抜いている旧式人なのですよ)。

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