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伊那油槽所

  • 2010/10/21 12:20

 「電車つくるの飽きた!」ってなわけで、路線データ製作に戻っています。まぁ、飽きたってのは半分冗談ですが、キチッと資料を揃えてから取りかかりたい部分があったので、古書を色々手配中なのです。


ファイル 35-1.jpg ▼ 画像をドラッグすると移動、クリックで拡大表示を終了します。 高遠原を出た下り列車は七久保川の鉄橋を渡ると、延々と続く25‰の勾配をフルノッチで駆け上り、そのまま丘の上の七久保駅に到着します。その駅の直前にそびえていたのが「伊那油槽所」。名古屋港の汐見町駅から貨物列車で輸送された石油類を貯蔵するための施設でしたが、1996年にトラック輸送化され、このタンクもコンクリートの土台を残して解体されました。(参考:Yahoo!地図)  現存しない風景を再現するには非常に多くのエネルギーを要します。このタンク群も情報が乏しく、資料による部分と推察が五分五分といったところですが、何とかそれらしい雰囲気は出せたでしょうか。タンクのテクスチャは自力で描こうと努力したのですが思うような質感が出せず、泉北のコンビナートまで写真を撮りに行ってきました。南海高師浜駅の造形が素晴らしかったなぁ・・・。帰路は浜寺公園から阪堺電車で至福のひととき。


ファイル 35-2.jpg ▼ 画像をドラッグすると移動、クリックで拡大表示を終了します。 直前の「山の神」踏切。なんだか渡るのを躊躇ってしまいそうな名前ですが、かつては大宮七窪神社への参道だったのでしょうか? 以前の記事で七久保の地名について「久保=窪。でも高いトコなのに窪って変だよねー」といった内容を書きましたが、地名の由来は駅から北西へ徒歩15分、南駒ヶ岳の麓にある大宮七窪神社のようです。社の裏手に七つの窪地があったとか何とか・・・。現在は油槽所や水田の区画整理のため直線的に走っている周辺の道路ですが、所々に残る旧道の断片のようなものを繋ぎ合わせると、この踏切あたりに出てくるんじゃないかな~?なんて、地図を睨みながら推察していましたが、真偽は如何に。  油槽所の手前角にあるスレート葺きの小屋は、タキ入れ替え用スイッチャーの車庫です。富士重工製のDB15という、比較的珍しいタイプの機関車が働いていましたが、今も現物が与田切公園に保存されてます。写真を沢山撮ってきましたので、いずれ立体化して置いてやる予定。  タンク下のコンクリート部は、土台と防流堤が一体化したもの。こういった大型タンクは万一破れても内容物が周辺に流出しないよう、防波堤のような堤で囲まれています。模型で工業地帯を作る場合なども、そのあたりに留意して製作すると、説得力が増しますね。


ファイル 35-3.jpg ▼ 画像をドラッグすると移動、クリックで拡大表示を終了します。 荷役設備は詳細な資料が無く、キャットウォークだけそれらしく再現しました。一応テクスチャを貼っているのですが、イマイチ立体感・質感ともに欠けるため要調整。  実物はドブ漬け亜鉛メッキの鈍い銀色だと想像しているのですが、そういった色調をBVEのテクスチャだけで再現するのはナカナカ難しいですね。本格的な3DCGだと表面のマテリアル設定で艶や反射の具合を調整したり出来るようですが、あくまでテクスチャのみで質感を表現するBVEは、グレーの濃淡を駆使して「銀色に見せる」必要があり、つまり絵の具で絵を描くのと同じ感覚になります。だからこそアナログ人間(=私)でも付いて行ける・・・とも言えますが、いずれにせよ難しいことには変わりありません。  タキの右側面はディテールを省略していましたので、左側からコピペして修正。コレも今となって内容を見ると酷い構文で、再公開の前に大改良したいところです。そりゃ昨日より今日、今日より明日作った物の方が良い出来でないと、モノ造り屋としてヘコみますが、自分の過去作品をじっくり見るのはちょっと恥ずかしいですね。  とはいえ、過去作の修正ばかりやっていると何時まで経っても前へ進めませんし、作品の集合体である路線データという性質上、時間の経過によるクオリティの波はある程度妥協する必要があるわけで、そのあたりのバランス感覚も難しいものです。

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